雲仙 普賢岳 大火砕流から30年 発生時刻に犠牲者悼む鐘と祈り

雲仙 普賢岳の大火砕流から30年となった3日、消防団員や警察官などが犠牲となった農業研修所の跡地では、発生時刻に合わせて追悼の鐘が打ち鳴らされ、遺族などが祈りをささげました。

島原市にあった「北上木場農業研修所」は、当時「定点」と呼ばれる撮影ポイントにいた報道関係者に対応するため、警戒にあたった人たちの活動拠点で、大火砕流によって消防団員や警察官などが犠牲となりました。

3日は遺族や現役の消防団員などが現場を訪れ、線香をあげたり、飲み物を供えたりして犠牲者を悼みました。

そして、発生時刻の午後4時8分になると、サイレンの音とともに追悼の鐘が打ち鳴らされ、現場を訪れた人たちが雲仙 普賢岳に向かって静かに祈りをささげました。

警察官だった樋口隆洋さんを亡くした兄の樋口常洋さん(58)は「30年前はきょうと同じような天気で当時のことを思い出した。最後まで警察官としての任務を全うした弟に、改めて『お疲れ様でした』と声をかけたい」と話していました。

また当時、島原市長を務めていた鐘ヶ江管一さん(90)は「あの日の大火砕流は、今までのものと比べ物にならないと感じたことを覚えている。毎朝、犠牲になった43人の冥福を祈っている」と話していました。

3日は「定点」でも発生時刻に合わせて遺族などが手を合わせました。

「定点」には大火砕流のあと、目印として高さ2.5メートルの白い木製の三角すいが長年、置かれていました。

ことしになり噴火災害の遺構として保存・整備するための工事が行われ、掘り出された当時の報道陣の車両などが展示されています。

日本テレビのカメラマンだった小村幸司さんを亡くした兄の小村哲也さん(58)は「定点が整備されて感謝している。災害報道は、今でも危ないと思うことはあるが、30年前の経験が生かされているのではないか」と話していました。