夫が残した“責任のバトン” 赤木ファイル・妻の闘い

夫が残した“責任のバトン” 赤木ファイル・妻の闘い
「私の雇い主は国民。国民のために仕事ができることを誇りに思っています」。
こう口癖のように語っていた近畿財務局の職員、赤木俊夫さん(享年54)が財務省の決裁文書の改ざんに関わったことへの「責任」を考え抜いた末、自ら命を絶って3年が経ちました。
いま、妻の赤木雅子さんは裁判を起こし、なぜ改ざんが行われ、国民に尽くしてきた夫が死ななければならなかったのか国に答えを求め続けています。
「夫は苦しんで苦しんで改ざんをして苦しみ抜いて誰にも助けてもらえなかった。夫の事をもう見捨てないでほしい」。
1人で裁判を闘っているのは亡き夫から“責任のバトン”を受け取ったと考えているからです。取材で知った、妻の思いを伝えます。

(報道局社会番組部 ディレクター 西山 穂 大阪拠点放送局 記者 林 勇志)

夫が命をかけた「責任」

私たちが赤木雅子さんに初めて会ったのは去年5月。

俊夫さんが残した手記を公表し、裁判を始めて間もない頃でした。

雅子さんの手元にはその「手記」や「手書きのメモ」が大切に保管されています。

そこには、決裁文書の改ざんの経緯や関わってしまった事を強く後悔する俊夫さんの思いがつづられていました。
「この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55才の春を迎えることができない儚さと怖さ)」

(手記より)
「雅子へ これまで本当にありがとうゴメンなさい 恐いよ」

(手書きのメモより)

夫が強いられた改ざん

俊夫さんが決裁文書の改ざんに関わったのは2017年の2月です。

当時、国会では、森友学園の土地取引をめぐる問題について激しい論戦が続いていました。

小学校の用地として学園に売却された国有地が地中のゴミの撤去費用などとして「8億円値引き」されていたことが発覚。

小学校の名誉校長が安倍前総理大臣の妻の昭恵氏だったことから「政治が関与した不当な値引きではないか」との疑念が持たれたのです。
2月17日、安倍前総理大臣は国会で「私や妻が関係していれば総理大臣も国会議員も辞める」と関与を否定します。

この発言をきっかけに追及を強めた野党の質問に、財務省の担当者として答弁していたのが当時、理財局長だった佐川宣寿氏です。
「近畿財務局と森友学園との交渉記録はございませんでした」

「面会等の記録は残っていないということでございます」

(2月24日・衆議院予算委員会での答弁)
しかし、実際には関連文書は残っていて、佐川氏の答弁が虚偽だったことが後に発覚します。

財務省がこの改ざん問題について内部で調査し、2018年6月に公表した報告書によると、この頃、本省内では文書に政治家関係者からの照会状況に関する記載があることが問題視されていました。

調査報告書は部下から報告を受けた佐川氏が、こうした記載のある文書は外にだすべきではないと反応したことで、昭恵氏や政治家の名前を削除するなどの改ざんが始まったとしています。

改ざんの理由は「国会審議の紛糾を懸念」し、「更なる質問につながり得る材料を極力少なくすること」だったとしています。
改ざんが始まったのは佐川氏の国会答弁の2日後の26日。

日曜日でした。

この日、久しぶりに休みが取れた俊夫さんは雅子さんと自宅近くの梅林公園を散歩していました。

満開の梅の花を眺めていたとき、呼び出しの電話がかかってきました。
雅子さん
「信頼する上司の方から電話があって、『僕、助けに行ってくるわ』と向かったんですね。もう行かなきゃいいのになと思ったけど、一生懸命やるべき仕事なんだろうなと思ったので『頑張ってきてね』と送り出したんです」
この日を境に、俊夫さんの生活は一変します。

出先機関の財務局の一職員で、森友学園の契約担当でもなかった俊夫さんの「手記」には、本省や幹部職員からの不正な作業の指示にあらがいきれなかった状況が記されています。
「第一回目は昨年2月26日(日)のことです。当日15時30分頃、出勤していた統括官から本省の指示の作業が多いので、手伝って欲しいとの連絡。現場として私はこれに相当抵抗しました。(近畿財務)局長は、本件に関して全責任を負うとの発言があったと(管財)部長から聞きました。本省からの出向組の(管財部)次長は、『元の調書が書き過ぎているんだよ』と調書の修正を悪いこととも思わず、あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行ったのです」

(手記より)

改ざん後も“嘘の対応”

組織の判断によって俊夫さんが強いられた不正は、改ざんだけではありませんでした。

財務省は、森友学園との応接録について市民から開示請求を受けた際、実際には存在するのに「文書不存在」と偽り、「不開示決定」をしていました。

この対応をした担当者のひとりが俊夫さんでした。

口癖は「私の雇い主は国民」

不正に関わる前、俊夫さんはよくこう話していたといいます。

「私の雇い主は国民。国民のために仕事ができることを誇りに思っています」。

俊夫さんが愛用していた手帳には「国家公務員倫理カード」が大切に挟まれていました。

・国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか?
・国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか?
国民の代表者が集う国会に出す偽りの文書の作成、それに情報公開請求という国民の権利をないがしろにする嘘の決定。

公務員の職務からかけ離れた行為への関与に俊夫さんの心は壊れていきました。

うつ病を患い、休職せざるをえなくなりました。

職場で夫に何が起きていたのかわからない雅子さん、苦しむ夫のそばにいながら、何もできなかったといいます。
雅子さん
「ちょっとずつちょっとずつ夫が壊れていくんです。だんだん幻聴とか、幻覚がひどくなりました。一生懸命職場に戻ろうとしていました。生活の事もあるけど、自分の人生としてもこのままではダメだと。大好きだった職場に帰りたかったんだと思います。でも、できませんでした。私もどう助けていいのか、どう言葉をかけていいのかわからなくてどうしてあげることもできなかったです」
2018年3月7日、俊夫さんは自宅で自ら命を絶ちました。

その日の朝、布団で横になっていることが多くなっていた俊夫さんは、仕事に向かう雅子さんを玄関まで見送り「ありがとう」と声をかけました。

2人が交わした最後の言葉でした。

なぜ裁判、夫からの『バトン』

夫の死から2年が過ぎた去年3月、雅子さんは、俊夫さんの手記を公表し、国(財務省)と佐川氏に損害賠償を求める裁判を大阪地方裁判所に起こしました。

この間、俊夫さんが手記に記していた「関わった者としての責任」とは何か、考え続けたといいます。

財務省の調査報告書には、改ざんについて「真摯に反省し、二度と起こらないよう全省を挙げて取り組んでいく」との“決意”が書かれています。

しかし、報告書には、俊夫さんが亡くなったことは一切触れられていません。

雅子さんは、その決意を空虚なものに感じていました。

そして、出した答えが、裁判を通して職場で夫に何があったのか真実を明らかにするということでした。
雅子さん
「夫の手記を見たときにこれは夫が世の中に投げかけていると気づきました。夫はいまの体力ではこの方法しかとることができないと残していましたが、私はその『バトン』を渡されたと思っています。夫がひとり悩んで受け止めて受け止め過ぎてしまった『責任』。裁判を通して今度は自分が果たせたらと思うんです」
雅子さんは「賠償金を得るための訴えではない」と話します。

訴状には「改ざんが誰の指示で行われたのかを法廷で当事者に説明させるとともに、保身やそんたくによる軽率な判断や指示で現場の職員が苦しみ命を絶つことが2度とないようにすることがこの裁判の目的だ」と書かれています。

裁判での国・佐川氏の姿勢

始まった裁判で、国(財務省)は、改ざん行為や、関与した俊夫さんがうつ病を発症し自殺したという基本的な事実関係について争わないという考えを示しました。

そして、争いがない以上、法廷での当事者の証言や改ざんの経過がわかる証拠の提出は必要がないと主張しました。

雅子さんの訴えは損害賠償請求の形を取っています。

「賠償額の算定だけで審理を早く終えたい」「終わった話を蒸し返されたくない」そういう国の考えがにじみ出ていると雅子さんは感じました。

一方、佐川氏側も「公務員は在職中の行為で個人として賠償責任を負わない」と主張して、証人尋問などの具体的な審理に入ることなく訴えを退けるよう求めました。

“赤木ファイル”の存在

この裁判で雅子さんが力を注いできたのが俊夫さんが職場に残したとされる“赤木ファイル”を社会に公開することです。

その存在は、弔問に訪れた俊夫さんの元上司が打ち明けていました。
元上司
「(改ざん)前の文書であるとか、修正後のやつであるとか、何回かやりとりしたようなやつがファイリングされていて、それがきちっと、パッと見ただけでわかるように整理されてある。これを見たら、われわれがどういう過程で(改ざんを)やったかというのが全部わかる。めっちゃきれいに整理してあるわと。全部書いてあるんやと。どこがどうで何がどういう本省の指示かっていうこと」

(元上司の音声データより)
しかし、国(財務省)は、赤木ファイルについても「裁判とは関係なく、存否を明らかにする必要はない」として、存在するかどうかの確認すら拒んだのです。

赤木ファイル、国会でも議論に

裁判が続く中、国会の場でもファイルのことが取り上げられるようになりました。

野党議員が存否を明らかにし公開するよう求めたのです。

ところが、ここでも国はかたくなに拒みました。

しかも、理由は「裁判に不当な影響を及ぼすことになりかねない」というものでした。
雅子さん
「裁判では『訴えに争いがないから提出する必要がない』と答え、国会では、『裁判に不当な影響を与えるから回答しない』というのは二枚舌です」
雅子さんは、いまでも組織防衛が優先されていると感じ、裁判が開かれるたび、自ら法廷に立って訴え続けました。

「裁判官の皆様にお願いがあります。訴訟の手続きは私には難しくてわかりませんが、夫が自ら命を絶った原因と経緯が明らかになるように訴訟を進めてください」。

「誰でもいい、本当のことを教えて欲しい」。

「私は真実が知りたいだけです」。

俊夫さんと共に働いてきた職場の同僚の心にも届くように。

裁判の転機、ファイル公開へ

ことし3月下旬、こう着していた裁判が大きく動きました。

訴訟指揮をとる中尾彰裁判長が、非公開の進行協議の中で、国に対して「審理を進める上で、赤木ファイルの内容を確認する必要があると考えている」と伝えたのです。

そして、提出命令を出すことも示唆し、自主的に開示するよう強く促しました。

雅子さんのことばが裁判を動かした形です。

裁判所から対応を迫られた国は5月6日、ついにファイルの存在を認め、開示に応じることを表明しました。

これについて財務省は「何か対応を一転させたわけでなく、原告の申し立てや裁判所の訴訟指揮に応じて手続きを積み重ねてきた」としています。

ファイルに新事実は

国は赤木ファイルには、▽改ざんの過程などが時系列でまとめられた文書や、▽財務省理財局と近畿財務局の間でやりとりされたメールと添付資料がとじられていると説明しています。

無関係な個人情報などの部分にマスキング(黒塗り)処理を限定的にしたうえで、6月23日に予定されている次の裁判までに開示するとしています。

実現することになった赤木ファイルの公開、改ざんをめぐる新事実が明らかになるのでしょうか。

裁判の関係者の間では、資料の大半は出先機関の職員だった俊夫さんが手に入る範囲で個人的にまとめたもので、財務省の調査報告書の内容を根底から覆すものではないといった見方があります。

菅総理大臣や麻生副総理兼財務大臣は、国がファイルの存在を認めたあとも「改ざんについては財務省が調査報告書をまとめており、さらに検察の捜査も行われ、結論が出ている」などとして再調査は必要ないという考えを示しています。

それでは、公開に大きな意義はないのでしょうか。

かつて苦しむ夫に何もできなかったという雅子さん。

なぜ俊夫さんが残したファイルの公開を求めるのか理由を話してくれました。
雅子さん
「自分がいったい何をさせられたかを事細かに書いていると思うので、夫がどうして死ぬようなことになったのかはそれを見たらわかると思うんですよね。夫は自分の責任を感じて亡くなってしまったんですけど私はどうやって止めたらよかったのかまだ答えがわからない。そういう意味でも書いている内容がわかれば、私は助ける方法が今からでもわかるんじゃないかなと思います」

俊夫さんの『バトン』は誰が

自らの「責任」をどう取るか考え続け、命を絶つことしかできなかった俊夫さんから「責任のバトン」を受け取ったという雅子さん。

ひたすら求めているのは、夫がなぜ死ななければならなかったのか、その説明を尽くすことです。

巨大組織の中で、間違った判断はなぜ止められなかったのか。

どうして抵抗する夫に無理を強いたのか。

取り返しのつかない犠牲を生んだことをどう受け止めているのか。

しかし、改ざんに関わった関係者は一様に口を閉ざしています。

雅子さんは、そこを明らかにし、省みなければ、いつか国民の信頼を裏切る過ちが繰り返されてしまうと考えています。

本当に『バトン』を受け取るべきは誰なのか、この裁判は問いかけています。
報道局社会番組部 ディレクター
西山 穂
2003年入局
名古屋局、大阪局などを経て現職
森友学園をめぐる問題を継続取材
大阪拠点放送局 記者
林 勇志
2011年入局
千葉局、大津局を経て
2018年から大阪で司法担当