経団連会長 病床から伝えたかった“執念”

経団連会長 病床から伝えたかった“執念”
「経団連の中西会長が退任する」ーーー5月10日、当初予定されていた定例記者会見の中止とともに、退任の一報が財界を駆け巡った。任期を1年残しての退任に驚きの声があがった。
去年8月、私が経団連の担当になった時には、すでに入院していた中西会長。直接、顔をあわせる機会はほとんどなかったが、いつも病室からオンラインで取材に応じる異例の会長だった。
病をおして職務を続けながら、それでも突然の退任を決断する過程で何があったのか。急きょ、後任に十倉雅和氏を起用した理由は。中西会長の苦闘の日々を報告する。(経済部記者 山田賢太郎)

“本格派”会長の3年

日本の大手企業や業界団体、地方の経済団体などで構成される経団連。トップである会長は、1企業の枠を超えてオールジャパンのために発信する。
その存在感は国のトップになぞらえて“財界総理”と呼ばれる。
歴代会長の行動や実績は、政官界も無視できないまさに「総理」。
徹底した合理化と社内の活性化で石川島播磨重工業(現在のIHI)や東芝の再建に尽力し、「財界の荒法師」などの異名を持つ第4代会長の土光敏夫氏。
中国の胡錦涛国家主席と極秘会談を行うなど、要人と独自のパイプを持ち、外交の一翼を担った第10代会長の奥田碩氏など、数々の名が浮かぶ。
2018年5月に就任した中西宏明氏は第14代の会長だ。日立製作所のトップとして、過去最大の巨額の赤字に陥った会社の立て直しに手腕を発揮した。
日立は、電機業界では財界活動に一定の距離があるとも言われてきた。しかし“財界の名門”東芝や東京電力は経営が揺らぎ、トヨタは自動車業界の代表としての活動に力点を移していた。日本を代表する電機メーカー出身で経済界きっての論客という会長の誕生に大いに期待が高まった。

中西氏は就任当初から、就職活動のルール廃止を決め、新卒一括採用や終身雇用などの「日本型雇用システム」の見直しを呼びかけ、世論に一石を投じた。エネルギー政策やデジタル社会の実現に向けた提言も積極的に発信、周囲の期待に応える行動力だった。

病室が執務室に

しかし中西氏の会長職は病と闘う日々でもあった。

2019年5月、体調を崩して入院。リンパ腫の診断を受けたと病名を明らかにした。
9月に退院して職務に復帰したが、2020年7月に再入院。リンパ腫が再発したと発表した。

中西氏は会長職を投げ出すことはなかった。記者会見は病室からオンラインで臨んだ。政府の経済財政諮問会議にも委員としてオンラインで出席を続けた。

ことしの年頭インタビューでは、「皆さんに迷惑をかけている自覚もあるが、あとで必ず取り戻したい」と話した。
3月にはNHKの単独インタビューに病室からオンラインで応じた。温室効果ガスの排出量を2050年に実質ゼロにする政府目標の達成について、「脱炭素を目指さないと、経済界の存在意義が問われるところまで来ている」と発言し、実現に道筋をつけることに強い意欲を示した。
新型コロナの拡大でオンラインでの対応は日常化している。それでも“財界総理”が病室からオンラインで職務を続けるのは極めて異例で、重責に応え続けようという姿勢が伝わってきた。

4月5日の定例記者会見では病状について「普通だったら退院だが、今の新型コロナの状態では、もう少しウォッチしないといけないと、医師に言われて困っている」と話し、みずからは一刻も早く復帰したいと感じている様子だった。

「退院は近いな」ーーー誰もがそう感じていたが、このあと、中西氏は公式の場に姿を見せなくなった。

リンパ腫再々発か、中西氏退任へ

政府の会議を相次いで欠席した中西氏。記者会見への出席も見送られた。

4月22日に、2030年に向けて温室効果ガスの排出を2013年度比で46%削減するとの政府目標が打ち出されたあとも、中西氏への取材の機会はなかった。こだわってきた気候変動対策やエネルギー問題の大きなヤマ場での思いがけない沈黙だった。
会長周辺は「治療の副作用が強く出ている」と説明していたが、会員企業や政府周辺からは「病状が深刻なのでは」と心配する声も出始めた。

周囲の予想は外れていなかった。中西氏の病状に大きな変化があったのだ。
記者会見の約1週間後、4月13日の朝、中西氏側から「経団連会長を退任したい」という意向が示されたという。

その数日前、主治医からリンパ腫が再々発した可能性があると診断されていた。

退院直前まで治療が進み、残り1年の任期を全うしたいとしていた中西氏だが、リンパ腫の再々発は、復帰のめどが立たなくなったことを意味する。

ある関係者は「再々発した可能性があるということに大きなショックを受けていた」と明かす。
後任に職務を円滑に引き継ぐため、6月1日の経団連の定時総会が迫る中、ギリギリのタイミングで中西氏は退任を決断した。
退任を発表する記者会見にも、本人の姿はなかった。壇上にあがった経団連の事務方トップ、久保田政一事務総長は、中西氏と電話で話したことを明らかにし「会長の心中を察すると言葉もなかった」と言葉を詰まらせた。
中西氏からは退任にあたってのコメントは現時点で発表されていない。沈黙がその悔しさを示しているかのようだ。

脱炭素へ一丸、新会長も製造業から

経団連会長の任期は2期4年。通常、ラストイヤーである4年目で、後任の会長選びが本格化する。あと1年残していた中西氏の後任の会長候補は、まだ絞り込まれていなかった。

中西氏から後任の選定の指示を受けた経団連は直ちに人選に着手した。

経団連会長の選考基準は明文化されていないが、次のような人物がふさわしいとされている。
1 社長や会長といった経営トップの経験がある。

2 経団連副会長をつとめたことがある。

3 製造業のトップである。
東京電力出身の平岩外四氏(第7代会長)など一部を除いて、ほとんどの会長は製造業の出身だ。
中西氏はもともと、こうした慣例にとらわれず、金融や商社も含めて幅広く次の会長候補を選ぼうとしていた模様だ。
しかし、経済界には喫緊の課題がある。中西氏も強い思い入れを持つ「脱炭素社会の実現」だ。温室効果ガスの削減には、電力や鉄鋼、自動車、電機など幅広い業界が一枚岩となって取り組む必要がある。技術革新に必要なコスト負担の在り方や原発の位置づけも含めたエネルギー政策など、業界の利害がからみあう「高いハードル」が次期会長には待ち受けている。
こうした中、いま経済界を束ねるには、業界の実情を知る製造業の出身者がふさわしいということでまとまる。そして、環境対策に取り組んでいる化学業界から、経団連副会長の経験がある住友化学の十倉雅和会長に白羽の矢が立った。
中西氏から退任の打診を受けた2日後の4月15日。経団連は十倉氏に会長就任を打診。十倉氏は、20日に就任を受諾した。住友化学は、2010年から4年間、経団連会長をつとめた米倉弘昌氏以来、2人目の財界総理を送り出すことになった。
十倉氏は、新会長内定を受けた5月10日の会見で、「要請を受けることは『義』があると判断した。受けた以上は志を高く持って全力を尽くしたい」と抱負を述べた。

これからの財界は

私はこの1年、中西氏とはオンラインの取材で向き合ってきた。病室から職務を続ける姿に、日本経済の行く末への危機感と財界総理としての執念のような思いを感じた。残念なことではあったが、中西氏はオンラインでも十分に仕事を果たせることを示した。
そして十倉新会長が新しい“財界総理”として受け継いだ仕事は大変重い。どのようなリーダーシップを発揮するのか、その日々も伝えていきたい。
経済部記者
山田 賢太郎
平成14年入局
自動車や電機メーカー
などの担当を経て
経済3団体などの
財界を担当