絵本「はらぺこあおむし」の作者 エリック・カールさん死去

世界各国で世代を超えて親しまれている絵本「はらぺこあおむし」を描いたアメリカの絵本作家、エリック・カールさんが亡くなりました。91歳でした。

エリック・カールさんは1929年にアメリカ、ニューヨーク州で生まれ、ドイツで美術を学んだあと、「ニューヨーク・タイムズ」のグラフィックデザイナーを経て、1967年に出版された絵本「くまさんくまさんなにみてるの?」で絵本作家としてデビューしました。

動物や虫といった生き物を豊かな色彩で描く作風で人気を集め、中でも幼いあおむしの成長を描いた「はらぺこあおむし」は1969年にアメリカで出版されたあと60以上の言語に翻訳され、5000万部以上発行されて、世界各地で世代を超えて親しまれています。
カールさんは4年前の2017年に来日した際、NHKのインタビューで、鮮やかな色彩の原点について、幼いころのドイツのナチス政権下での体験に言及し、「私は戦争を経験し、悲しい時代を過ごしました。その時の悲しさを絵本を通して喜びに変えている」と話していました。

アメリカのメディアによりますと、カールさんは5月23日、東部マサチューセッツ州にあるアトリエで腎不全のため91歳で亡くなったということです。

カールさんの公式ホームページにはカールさんの死去の知らせとともに、「月明かりのなか、すてきな星につかまって、虹の作家は夜空を旅しています」という家族からのメッセージが掲載されています。

児童書専門店に特設コーナー

絵本作家のエリック・カールさんが亡くなったことを受けて、東京・港区にある絵本や児童書の専門店「クレヨンハウス」では、27日朝、「はらぺこあおむし」などの代表作の絵本や人形などのグッズを集めた特設コーナーを作り、小さい子どもが絵本を手に取って仕掛けを楽しむ様子などが見られました。

2歳の娘と訪れた30代の女性は「娘がもっと幼なかった時から親しんできた作家さんで、私も小さい時に読んでいたので、亡くなったと聞いて何とも言えない気持ちです。娘は、あおむしがちょうになるところが好きで、いっぱい食べるところはびっくりしながら、楽しそうに読んでいます」と話していました。

また、3歳の子どもがいるという30代の女性は「『はらぺこあおむし』は子どもがすごく好きな絵本で、0歳の頃から本当に毎日ページをめくって、一時期はそればかり読んでいました。はっきりとしたカラフルな色彩に子どもたちの手が伸びるのかなと思います。今でも色あせませんし、これからも子どもたちにずっと読まれていくんだろうと思います」と話していました。

この店には、20年ほど前にカールさんが来日した際、本人が訪れたということで、特設コーナーには、「すばらしい絵本たちをありがとうございました。エリックさんの絵本たち、これからも大切にしていきます」とスタッフからのメッセージが添えられています。

「クレヨンハウス」の伊藤保奈さんは、「エリックさんの本には本当に愛されている作品がたくさんあります。『はらぺこあおむし』は3世代で読まれている作品で『懐かしいね』と手に取る親御さんやおじいちゃんおばあちゃんの声も多く聞きます。こんなに名前が浸透している海外の作家さんは本当に珍しいと思います」と話していました。

鮮やかな色彩 原点は戦争体験

NHKは、いまから4年前の平成29年、来日したエリック・カールさんにインタビュー取材をしました。

カールさんの絵本に共通する鮮やかな色彩について伺うと、カールさんは、その原点は、戦争体験にあると言い、「私は戦争を経験し、悲しい時代を過ごしました。そのときの悲しさを、絵本を通して、喜びに変えているんです」と話しました。

カールさんは6歳の時に、アメリカから両親のふるさと、ドイツに移り住みましたが、まもなく第2次世界大戦が始まり、当時のようすについて、「爆撃機から目立たないよう、家は茶色やクリーム色に塗り替えられていましたし、街では、鮮やかなスカーフや服を見ることもなくなりました。すべてが灰色だったんです」と話しました。

そうした中、カールさんが12歳のとき、美術の先生が見せてくれた絵画の鮮やかな色が、心に強く刻まれたといい、「当時、ヒトラーは、ピカソの抽象画やマティスの大胆な表現を抑圧していました。私は、ピカソもマティスも知りませんでしたが、ある日、美術の先生が、こっそり、その色鮮やかな絵を見せてくれたんです。そして先生は、『君は自由に絵を描けばいいんだ』と言ってくれました。当時はなぜ先生がそんなことをしてくれたんだろうと思いましたが、いまでもずっと、強く心に残っています」と振り返りました。

色が、自由と平和のシンボルとして、心に穏やかさをもたらしてくれると思えるようになった経験から、カールさんは、色鮮やかな絵を描くようになったのです。

カールさんと35年以上にわたって親交がある、絵本評論家の松本猛さんは、カールさんの絵本が多くの人に親しまれる背景に、こうした戦争体験から生まれた色彩があるのと同時に、古い絵画のさまざまな画法を研究し、紙を貼り付けたり、布を押し当てたりして描く独特のタッチを生み出し、開くたびに新たな発見がある作品となっていることも大きいと話しています。

また、絵本にパンチで穴を開けて子どもたちが指を入れて遊べるようにするなどの工夫は、いたずら好きのカールさんならではのもので、自分も楽しめる絵本を作るという作風は、世界中の絵本作家や編集者に影響を与えたと指摘しています。

松本さんは、母親にあたる絵本作家のいわさきちひろさんの絵をはじめカールさんのものも含めた世界中の絵本の原画を集めた『ちひろ美術館』を開設し、絵本の「美術」としての価値を伝え、保存する活動を進めてきましたが、カールさんはこうした活動に共感し、自身の美術館をアメリカに作るきっかけにもなったということです。

カールさんとアメリカで会う時は自然の中を長時間一緒に散歩することが多く、見つけた虫を子どものように手に取って見せてきたということです。

また、時には、戦争は絶対に起こしてはいけないと平和について熱く語ることもあったということです。

カールさんと最後に会ったのは、おととしの秋、ニューヨークでの授賞式の際で、とても元気だったとのことで、松本さんは、「父のように優しくしてもらい、かわいがって頂いただけに、胸に大きな穴が開いたようなさみしさがある。いっぽうで、カールさんが残した絵本は、世界中の子どもたちの心の中に生き続け、あの本で育った大人も含めカールさんの優しさ、楽しさは心の中に残っていくと思う。そして、カールさんの絵本がある限りは世界中の絵本作りの人たちを励まし続けると思う」と話していました。

毛筆と墨で「はらぺこあおむし」描き上げる

世界的に親しまれた「はらぺこあおむし」の日本語版を45年前から出版している、東京・新宿区の出版社「偕成社」では、エリック・カールさんの作品をこれまでに70点以上翻訳・出版していて、カールさんとは長年、交流を続けてきたということです。

4年前、平成29年の来日に合わせてカールさんが出版社を訪れた際には、日本風のおもてなしとして社員が書道を披露したところ、カールさんは「その筆を貸してくれ」と申し出て、毛筆と墨を使って、わずか数十秒で、大きな「はらぺこあおむし」の絵を描き上げたということです。

墨の「はらぺこあおむし」は、縦長の和紙に立った姿で描かれていて、表情は優しく笑っていて、胴体には毛筆独特のかすれも見られます。

この会社では、その時の墨の絵を掛け軸にして大切に保管していて、レプリカを1つ作りカールさんの元にも届けたということです。

「偕成社」の今村正樹社長はこの時のことを振り返り「ものすごく太い筆を軽々と操って、『何を描くのかな』と見ていたら、いつの間にかはらぺこあおむしになって、感激しました。このあおむしの顔が自画像のようで、カールさん自身の顔だなあと思います。いつも周囲への関心が高くて、何かを見つめていて、その雰囲気をこの絵の目からも感じます。お年を召しても日々活動する、本当にエネルギッシュな方でした」と、その人柄をしのんでいました。

そのうえで、カールさんが亡くなったことについて「個人的には親しい友人を亡くした気持ちもします。自身のアトリエでは本当に楽しそうに絵本やコラージュなどを作っていました。いなくなったことは非常にさみしいですが、本自体が生きている限り、作家の存在もその中に感じられます。少しでも長く本が読まれ続けるように出版社としても努力して、カールさんが生き続けられるようにしたいです」と話していました。