夫も兄もコロナで死んだ「私が殺したんや」自分を責める日々

夫も兄もコロナで死んだ「私が殺したんや」自分を責める日々
「私が父ちゃん殺したんや」

4月1日。

大阪の60代の女性は、夫と近所に住む兄と3人で墓参りに出かけました。

しかし、全員が新型コロナに感染し、入院。

退院した時には、80代の夫も70代の兄もすでに死亡していました。

看取ることも、火葬にも立ち会うこともできなかった。

女性は今も自分を責め続けています。

(大阪拠点放送局 記者 霜越透)

「私が父ちゃん殺したんや」

大阪・東大阪市の静かな住宅街にある一軒家。

室内には真新しい大型の冷蔵庫や、テレビ、ソファが並んでいます。

子どもたちはすでに独立。

「2人の老後を楽しいものにしよう」と家具や家電は買いそろえたばかりでした。

しかし、今、この家で暮らしているのは60代の和代さん(仮名)だけです。

80代の夫は新型コロナに感染し、4月25日に死亡しました。

残された和代さんは、夫の遺骨を安置した仏壇に一人静かに手を合わせています。

後悔を抱えながら。
和代さん
「私が父ちゃん殺したんや。私がその日、お墓に行かんかったら、みんな今楽しく生きてるやん」

3人で行った墓参りのあと…

感染のきっかけは、墓参りでした。

4月1日、和代さんは夫と近所に住む70代の兄と3人で墓参りに行きました。

兄は、夫とも仲がよく、3人で旅行に行ったり、食事をしたりする仲でした。

朝早くに兄の車で出発し、喫茶店で食事を終えた後、兵庫県内の墓地に向かいました。

普段は新型コロナの感染を避けるため、なるべく外食は控えていました。

しかしその日は、夫の誕生日。

身内だけの少人数ということもあり、お祝いも兼ねて、帰りに3人でステーキハウスで食事をとりました。

「高熱が出ている」

翌日の4月2日。

兄からの連絡で事態は一変します。

「高熱が出ている」というのです。

その後、兄の陽性が判明し、保健所から濃厚接触者になったと連絡があります。
和代さんも夫も38度の熱が出ました。

しかし、病院が見つからず、なかなか検査を受けることができません。

市販の解熱剤を飲みながら自宅療養を続けていましたが、薬の効果は、数日で感じられなくなりました。

ようやく検査を受けることができたのは、4月6日。

4月7日、夫婦2人とも陽性が判明します。

「俺は大丈夫だから、母ちゃん、先行け」

和代さんの症状はどんどん悪化。

4月8日には立つこともできなくなり、保健所に連絡。

救急車で東大阪市の医療機関に搬送され、そのまま入院しました。

「俺は大丈夫だから、母ちゃん、先行け」
夫は自宅に残って、療養を続けることを選びました。

居間で倒れている夫を友人が見つける

しかし、2日後の4月10日。

食事を届けに来た友人が、居間で倒れている夫を見つけます。

連絡を受けた和代さんは、入院調整を行う大阪府に、自分と同じ医療機関への入院を求めました。

しかし「順番があるのでできない」と断られました。

夫は、隣の八尾市の医療機関に入院しました。

夫と交わした最後の言葉

心配になった和代さんは、その夜、夫に電話をかけました。

夫は自分が入院することになっても、和代さんのことを気遣っていたといいます。

「母ちゃん、どうなんや?」
和代さん
「大丈夫やで、父ちゃん。一緒に帰れるわ」
和代さんが入院している部屋には、ほかにも患者がいました。

もっと長く話していたい気持ちを抑え、すぐに電話を切りました。

その後、和代さんは何度も夫に電話しましたが、再びつながることはありませんでした。

夫と交わした最後の言葉でした。

夫の容体が悪化 大阪の医療体制が厳しくなる中で…

なぜ、夫に電話がつながらなかったのか。

その理由は、病院から連絡を受けた娘からのラインで知りました。
4月12日 娘からのライン
「病院から電話あり。午前中に挿管しました。鎮静剤が切れると不快感があるので、ずっと眠った状態です」
夫は入院から2日後、4月12日に容体が悪化し、人工呼吸器が必要な状態となっていました。

このころの大阪は患者が急増し、病床の確保が課題でした。

大阪府は比較的規模が大きい24の病院に対して、軽症や中等症の患者が重症化しても、転院させずに治療を続けるよう求めたのです。

夫の入院先も要請の対象になっていました。
4月12日 娘からのライン
「転院の要請出しましたが、望みは薄いです」
夫は転院することなく、同じ病院で治療が続けられました。

和代さんはコロナに感染し入院しているため、夫に会いに行くこともできません。

病院とやり取りしている娘のラインだけが頼りでした。
4月18日のライン
和代さん

「父ちゃんのことが気になっています」

「父ね 頑張っていると思う」
4月19日のライン
和代さん
「父ちゃんのことが知りたいな、何か食べれてるかなぁ」

「何もたべれないです 父はずっと寝ています。口から呼吸器入ってるから意識があると苦しいから眠ってるそうです」
4月20日のライン

「父は変わらない状態ですが、肺がほとんど機能していない状態です。このまま週末まで様子みます。高齢のためもう回復はないかもとの事です」

先に入院していた兄が死亡

文面から伝わってくる夫の容体は日に日に悪化していきました。

一緒に墓参りに行き、先に入院していた兄は、4月16日に亡くなったと連絡がありました。

「元気だった兄が亡くなるなんて…」
「夫は大丈夫だろうか…」

和代さんはショックで眠ることができず、体重も大きく減りました。

その9日後には夫も死亡

4月25日、午後2時すぎ。

夫は入院先の病院で亡くなりました。

最後まで意識が回復することはありませんでした。

和代さんはその知らせをベッドの上で聞き、泣き崩れました。

翌日、火葬が行われましたが、立ち会うこともかないませんでした。

和代さんが退院できたのは、夫の死から2日後の4月27日。

「一緒に帰れるわ」と電話で話していた最愛の夫は、遺骨となって帰ってきました。
和代さん
「今でも信じられない。だから寝てても『父ちゃん』って呼んでんねん。それで目が覚めて『そういえばいてへんわ』って思って。骨一つでも拾えたらよかったけど、自分では何も見ていない。お骨だけ家に来てるけど、ほんまは『この人ちゃうかもしれへん』って思う。父ちゃんが『ただいま』って帰ってくるんちゃうんかって」

気持ちの整理つかぬまま 自分を責め続ける日々

和代さんが退院してから1か月。

入院生活で落ちた体力は徐々に回復し、休みながらではありますが、日課だった散歩もできるようになりました。

しかし、家で出迎えてくれていた夫はもういません。

ふと我に返ったとき、墓参りに誘った自分の行動を責めてしまうといいます。
和代さん
「自分が『お墓行こ』言うたんで、私が父ちゃん殺したんや。あんだけ楽しんでる人の人生を奪ってしまって、まだ生きたかったやろうし、楽しんではったからね、人生をね。私の一言がなかったら、その日に行かんかったら…。『帰ってきて』って言いたい。夫も自分が死んだと思ってへんやろと思うねん。『ごめんな』としか言えん」
和代さんはコロナに感染したことを知られたくないため、夫の葬儀をあげることもできませんでした。

周りの人に相談することができず、一人悩みを抱えこんでいます。

大阪府内でコロナに感染して亡くなった人は、5月26日時点で全国で最も多い2217人。

その一人一人に大切な家族がいます。

コロナのせいで、直接、看取ることも、火葬に立ち会うこともできなかった。

気持ちの整理がつかないまま、和代さんは今も自分を責め続けています。
大阪拠点放送局 記者
霜越 透
2008年入局
旭川、札幌、政治部を経て、現所属。
大阪内政班で行政や政治の動きを取材。