僕は5歳からヤングケアラーだった

僕は5歳からヤングケアラーだった
「人生に希望を見いだせず、何もやる気になれなかった」

こう振り返るイギリス人の男の子。
その理由は、5歳から担ってきた母親のケアです。

「この生活が当たり前」だと思って1日1日を乗り切ってきましたが、今は当たり前じゃなかったと気づくことができました。
そう思えるようになったのは、ある人たちの存在でした。
(国際部記者 山本健人)

想像できなかった将来

「寝たい時に寝られず、自分のペースで物事を進められませんでした。精神的にきつかったです」
こう話すのは、17歳のジェイス・ロレントさんです。

イングランド南部の小さな街、ウィンチェスターに母親と5歳離れた弟の3人で暮らしています。
今は笑って振り返ることもできるジェイスさんですが、5歳から13歳ごろまで、母親のケアと弟の世話を1人で担っていました。

当時はケアに追われる日々で、ほかのことへの気力を失い、進学など将来のことを考える余裕すらなかったといいます。
「もしあのまま手を差し伸べてもらえなかったら、自分の将来がどうなっていたか想像もつきません」

5歳から始まったケア

ジェイスさんには、元気だった時の母親の記憶はありません。

ジェイスさんが5歳のころに、母親がうつ病を発症したためです。

母親は、家に引きこもりがちで、気分が落ち込むとささいなことでもひどく心配しました。

そのたびジェイスさんが話し相手になり、心を落ち着かせました。

ジェイスさんは、母親に元気になってほしいという一心で、母親の話に耳を傾けました。

だから、母親に甘えることも、わがままを言うことも我慢したといいます。

そして、ジェイスさんは成長していくにつれて、食事の準備、洗濯、買い物といった家事を担うようになっていきます。

まだ幼い弟のミルクやおむつ替えといった世話も、ジェイスさんがするようになりました。

それでも母親の症状はよくなるどころか悪化していき、うつ状態に加えてそう状態も繰り返す「双極性障害」と診断されました。

うつ状態の時はひどく落ち込みますが、そう状態の時には、被害妄想が激しくなって怒りやすくなり、自傷行為に及ぶこともあったといいます。

難しくなったケアと学校の両立

家事に弟の世話、そして母親のケア。

ジェイスさんは、家から出られなくなる日が増え、学校を休みがちになっていきました。

11歳から16歳が通うセカンダリー・スクールに進学した時の1年間の出席率は6割ほど。

1日1日をなんとか乗り切る生活で、宿題や試験勉強は手に付かなくなりました。

十分な睡眠時間の確保さえままならなくなっていきました。

母親のケアが中心の生活は「当たり前」のこと。

でも「当たり前」の生活をしているはずなのに、学校生活との両立が成り立たない。

先生や友だちに話しても、きっと理解してもらえない。

だから、誰にも相談できませんでした。

「もう限界かもしれない」

ジェイスさんは、ひとり思い悩み続けました。

「自分はヤングケアラー」

しかし、13歳になった時、ジェイスさんに転機が訪れます。

ある日学校で、見知らぬ女性から声をかけられ、こう言われました。

「あなたはヤングケアラー、というのよ」

女性は、授業の出席率が低いことを不審に思った学校が連絡した支援団体のスタッフでした。
彼女はジェイスさんに「ヤングケアラー」というのは、家族の介護やケア、身の回りの世話を担う子どもたちを意味することばで、子どもだけでそれらを担うことは当たり前のことではなく、必要があれば支援を受けることができることを教えてくれました。

この団体の支援を受けはじめ、ジェイスさんの生活は改善していきます。

支援団体は、ジェイスさんの家庭を訪問して母親とも面談し、どんな支援が必要か状況を把握。

その上で、公的なサービスを利用するなどして、ジェイスさんの負担が軽くできる方法を一緒に考えてくれました。

また、母親が患う病気がどういうもので、どんな対応が必要なのか、ジェイスさんが学ぶ機会も作ってくれました。

団体では、ヤングケアラーどうしが交流する場も設けていて、ジェイスさんは、自分だけで抱えていた悩みや不安を打ち明けました。

こうしたことを繰り返すうち、これまで、常に何かを心配し、時間に追われるような感覚がなくなり、物事を前向きに捉えられるようになったといいます。

この結果、ほとんど学校を休まずに通えるようになり、大学への進学を考えられるようにもなったといいます。
ジェイスさん
「母親のケアに向き合い、上手に付き合えるようになりました。物事をひとりで抱え込まずに周りの人に頼ることも学びました。支援団体の担当者が、母や自分のことを定期的に気にかけてくれます。母親のケアは続いていますが、自分が進学するなんて夢にも思いませんでした」

イギリスのヤングケアラー支援

イギリスでは、およそ30年前からヤングケアラーが社会問題として認識され、支援の取り組みは世界的にも早い時期から進められています。

また、ヤングケアラーということばも、イギリスが発祥だとされています。

2014年には「子どもと家族に関する法律」が制定され、この中で、ヤングケアラーは「他の人のためにケアを提供している、または提供しようとしている18歳未満の者」と明確に定義。

地方自治体に対しては、ヤングケアラーにどんな支援が必要かを把握するための調査を行い、適切なサービスを提供することを義務づけました。

こうした制度のもと、地方自治体の担当課は支援団体と連携し、ヤングケアラーへの支援を行っています。

支援団体の多くはチャリティー団体で、全国的に活動している団体や、特定の地域だけで活動している団体など、少なくとも300の団体が活動しているといいます。

実際の支援現場は

支援団体のひとつで、イギリス中部で活動する「シェフィールド・ヤングケアラーズ」。

16人のスタッフが毎年200人ほどのヤングケアラーの支援を行っています。

年間予算のおよそ25%は地元自治体からの助成金、残りは主に寄付金だということです。

主な支援活動は、同年代のヤングケアラーどうしが悩みや不安を共有する放課後クラブ、支援団体の担当者との1対1の面談、家庭訪問、日々の介護やケアから離れることのできる遠足やスポーツ活動などです。

中でも力を入れているのが、いかにヤングケアラーを見つけ出し、支援につなげるかという点です。

団体の代表を務めるサラ・ゴーウェンさんによると、取り組みが早くから始まったイギリスでも、家族の介護やケアを周りに言いたがらなかったり、本人自身がヤングケアラーであることを認識していなかったりして、支援につなげられない子どもたちが依然として多くいるといいます。

そこで団体では、子どもたちとの接点が多い学校の教職員やソーシャルワーカーに対して、支援が必要な子どもたちの兆候を見つけ出す研修を行い、見過ごされるヤングケアラーを無くそうとしています。

また、地域に学校関係者などが集まり、ヤングケアラーとみられる子どもの情報を共有する場を定期的に設けているほか、今後、医療機関にも情報提供をしてもらうよう働きかけていくことにしています。
サラ・ゴーウェン代表
「隠れているヤングケアラーを見つけ出すのは容易なことではありません。それでも、毎年家族の介護やケアを担う子どもたちは増えていくので、関係機関と連携して探し続ける努力をしなければなりません」

動き始めた日本は

一方の日本。

ことし4月にヤングケアラーの初めての実態調査の結果が公表されました。

それによると、中学生のおよそ17人に1人、全日制の高校生の24人に1人がヤングケアラーという結果でした。

また、国のプロジェクトチームによる支援策の検討が始まるなど、支援の動きは少しずつ広がっています。

支援のあり方について日本の専門家は次のように指摘しています。
斎藤真緒教授
「日本では、ヤングケアラーを見つけ出したあとにどのような対応をすべきかという議論が中心になっていますが、イギリスのように学校や病院などで、ヤングケアラーになる可能性がある子どもの情報を早くにつかむ仕組みも考えていく必要があります。また、ヤングケアラーたちが自分たちの実情に合った支援を選択できるように、さまざまなサービスを提供する支援団体の活動を行政がサポートしていくことも重要です」

ヤングケアラーを孤立させないために

取材をはじめた当初、ヤングケアラーに対して「支援を受けるべき存在だ」という先入観を持っていましたが、母親に元気になってほしい一心でケアにあたるジェイスさんの話を聞き、求められているのは大人による“一方的な”支援ではなく、ヤングケアラー自身が自分に合った支援を選択できる環境であることに気がつきました。

どんなサービスであっても、家族のケアをすべて取り除くことはできません。

社会とのつながりの浅い子どもたちが介護やケアによって孤立し、気づかないうちに将来のさまざまな選択肢を失ってしまうことのないように、社会全体で手を差し伸べていくことが求められていると思います。
国際部記者 山本健人
2015年入局 初任地・鹿児島局を経て現所属。
アメリカ担当として人種差別問題などを中心に幅広く取材。
NHKでは、知ってほしい“ヤングケアラー”という特設ページを立ち上げ、関連する記事をまとめているほか、みなさまのご意見やご自身の体験などを募集しています。

以下のバナーをクリックしてご覧ください。