熱狂なき“分断”の中で

熱狂なき“分断”の中で
史上初の延期という事態を経て迎える開幕まで2か月。

開催か中止か、さまざまな意見がある中で、東京オリンピックに向けてラストスパートをかける選手たち。

ただ、向けられるまなざしは、かつてのオリンピックとは大きく様変わりしている。

人類の調和を目指すスポーツの祭典が、いつしか社会の分断を招いているという現実。スポーツを伝えてきた私たちも悩みの中にいる。
(スポーツニュース部・橋本剛 小林達記)

“近くて遠い”選手たち

到着ロビーは閑散としていた。

その日、私はビデオカメラを手に1人、成田空港にいた。

飛び込みのワールドカップに参加するため来日する海外選手たちを取材するためだ。
5月1日に始まった飛び込みのテスト大会は新型コロナウイルスの感染が世界中に広がったあと、全ての競技を通じて初めて海外選手を国内に迎えて開かれたテスト大会だ。

オリンピック出場がかかる最終予選も兼ねていて、日本を含む世界46か国から225人の選手が参加する予定だった。

去年開かれた体操の国際大会で来日した中国の選手団が防護服姿で空港に降り立った映像は今でも記憶に残っている。
あれから半年。

ワクチン接種が進んだ海外選手たちの様子を見れば、彼らがふだんウイルスとどう向き合い、今の日本をどう見ているのかが分かるのではないか。

そう考えたのだ。
国際線の便数が激減した成田空港には利用客もメディアの姿もなかった。

一角に10数人の集団がたたずんでいる姿はすぐに目についた。

マスクを二重につけ、おそろいのキャリーケースにはイタリアの国旗がプリントされている。

空港でのウイルス検査を終えたイタリア選手団だった。
近くには通訳らしき日本人もいる。

「インタビューのチャンスだ」と私はすかさずカメラの録画ボタンを押した。

その時、ふとある考えが頭をよぎった。

「あれ、選手に近づいていいんだっけ?」

徹底した隔離は

選手たちは到着後2週間の待機を免除されるかわりに、外部との接触を極力減らすため厳しい管理下に置かれることになっていた。
大きな泡に包み込むように隔離する「バブル(泡)」と呼ばれる方式だ。

日本滞在中は競技会場とホテルをシャトルバスで行き来するだけで外出は許されない。

食事は自室でとり、2日に1回検査を受ける。

その「バブル」の中にいるはずの選手が空港で無防備に目の前にいる。

ここで万が一、選手が感染したら、最終予選に出場できずオリンピックへの道が絶たれてしまうにもかかわらずだ。

それでも遠巻きに見守っていると1人の女子選手が「コンニチハ」と声をかけてくれた。

私も笑顔で「こんにちは」と返した。

スポーツを通してなら、少ないことばでも海外選手とコミュニケーションできる。

国際大会を取材する際のだいご味の1つだ。

しかし、それ以上選手たちに近づくことはしなかった。

インタビューは見送り、選手がシャトルバスに乗り込むのを、ただ黙って見送ることにした。

選手が“遠い”感じた違和感

4日後に始まった大会では、選手と動線が分けられ私たちメディアはプールサイドに入ることは許されなかった。

2階のスタンドでは、実物の選手より大型ビジョンを見る時間の方が多かった。

無観客の会場ですばらしい演技を披露した選手に送られるのは、コーチや別の選手からのまばらな拍手だけだ。
選手へのインタビューもプールサイドに面した部屋からガラス越しに行う。

会場にいながら選手たちを身近に感じることは、ない。

開催国として大会本番で選手たちを迎えるはずだった日本の多くの人たちも、同じような思いを抱えているのだろうか。
「安全で安心な大会運営を確認した」

大会組織委員会は大会中に感染者がでなかったことで大会をそう総括した。

主催した国際水泳連盟の公式サイトにも大会の安全性をたたえる選手のコメントが並んだ。

しかし、会場にいながら感じたのは「安全安心」よりも「違和感」だ。

ただその違和感の正体が何なのか、このときはまだ分からずにいた。

五輪が引き起こす“分断”

飛び込みのテスト大会が終わってしばらくして、競泳の池江璃花子選手の発信が注目を集めた。

自身のSNSに「オリンピック開催反対の声をあげて欲しい」と求めるコメントが寄せられたと明かしたのだ。
「中止を求める声が多いのは当然だが、選手個人に当てるのはとても苦しい」と訴えた池江選手。

この問題に組織委員会の橋本会長は「アスリートではなく私が責められるべき問題」とかばった。

オリンピックを目標にする選手に、大会中止を訴える人たちの矛先が向かってしまうという現実。

ネット上では「選手が責められるべきではない」という意見もあれば、「リスクを承知で開催を望むなら選手も中止を求める声を受け止めるべきだ」といった意見もあった。

開催するには誰かが責めを負わなければならないのか。

半世紀ぶりの東京オリンピックを迎えるこの国に、かつてのような熱狂は戻りそうにない。

分断を深める“選手へのワクチン接種”

開幕が近づくにつれて分断が深まるという構図。

それに拍車をかけたのが、5月に入って突然IOCが行った発表だ。
6日、バッハ会長は大会に参加する選手にIOCが確保したワクチンを提供することを表明。

この時、感じたのは、飛び込みのテスト大会とは別の種類の違和感だ。

選手たちのワクチンは日本政府が確保したものとは別だとはいえ、予約をとるのに苦労する多くの高齢者よりも先に選手が接種を受けることになる。

その状況は国民の反発を生み、分断を深めてしまうのではないか。

そして、その心配は現実となった。

発表の2日後、陸上のテスト大会を前に行われた記者会見でのことだ。

ワクチン接種に関する質問は容赦なく選手たちに向けられた。
答えに窮して絞り出すようにして複雑な胸の内を明かす選手たち。

その姿はこれまでの取材で目にしたことがないものだった。
男子短距離 桐生祥秀選手
「どういう発言をすればいいのか迷っている自分がいる」
競技への確固たる信念を持ち、ふだんの取材には、よどみなく答える桐生選手が、この質問には言葉を詰まらせたのだ。
女子長距離 新谷仁美選手
「命に大きい小さいはないので『アスリートだけが』『オリンピック選手だけが』というのはおかしいと思う。優先順位をつけること自体がおかしい話なので平等に考えてほしい」
真っ正面から疑問を呈した新谷選手のように、意見をはっきり述べることができる選手は少ない。

トップ選手になればなるほどその影響力や、誤解や波紋を呼ぶリスクから発言には慎重になる。

所属先やスポンサーの顔でもある彼らは「どう見られるか」を常に意識しなければならない存在だ。

この日「選手たちが大会に向けて意気込みを語る」と書くはずの会見で、私は「陸上テスト大会を前に選手たちが複雑な胸の内語る」というタイトルの原稿を書いた。

「社会の分断を象徴するようなこの会見の様子を伝えなければ」

会見で感じた“空気感を伝えること”が、記者としての判断だった。

“目立たない”大会ボランティア

開幕まで2か月を切り、準備を進めなければならない人たちの間にも分断が進む社会への戸惑いが広っている。

今月始まった大会ボランティアのユニフォーム配付。

これを配るのも、一足先に活動を始めたボランティアの人たちだ。
観客や関係者が見つけやすいよう大会エンブレムをベースにした人目をひくデザインのユニフォーム。

本番では約8万人もの大会ボランティアがこれを着て、会場周辺のいたるところに立つことで盛り上げにつながると期待されていた。

しかし、ひっそりと始まったユニフォーム配付の様子は、取材することすら許されなかった。

開幕直前だというのに東京の街でユニフォーム姿のボランティアを目にすることもない。

いかに“分断を減らすか”

大会への期待を口にするのもはばかられるほど分断が深まる現状について、専門家はこう指摘する。
笹生准教授
「私自身もスポーツが大好きなだけに、オリンピックのせいで国民が分断されてしまうのは本当に悲しい。簡単な道ではないがオリンピックが引き起こす分断をいかに減らすかが1番大事なポイントだ。大会をやらないことも1つの選択肢だし、他の方法も同時に考えていく必要がある。今のオリンピックはあまりに商業化が進んでしまったが、オリンピック憲章の最も重要な理念は世界平和を実現することであって、トップ選手が競うのはあくまで付随するものだ。大会関係者はその理念に立ち返ってほしい」

あと2か月 できることは

飛び込みのテスト大会で感じた選手との距離感。

選手へのワクチン確保の発表で感じた違和感。

記者としてスポーツを伝える現場にいながら、国内の感染状況や厳しい世論を前に、心のどこかでオリンピックとの距離を置こうとしてしまっていたのかもしれない。

日本だけでなく世界中を巻き込む巨大イベントだからこそ、開催を願う人、中止を訴える人、賛成反対の双方の立場に理由や事情があり、どちらか一方が「正解」ではないがゆえに、深い分断が生まれている。

片一方の意見を置き去りにしたままでは、大会が実現しても、中止になったとしても、あとに残されるのは「社会の分断」という負の遺産になりかねない。

「安全安心」な大会は本当に実現できるのか。

中止が叫ばれる中で開く大会にはどんな価値が見いだせるのか。

それを考えるための情報は足りているか。

考え方の違いを乗り越えて、社会の分断という深い溝を少しでも埋めようとする過程は、オリンピックが掲げる“人類の調和を目指す”理念そのものかもしれない。

東京大会を決して“負の遺産”にしないため、私たちも問い続ける。

残された時間はあとわずかだ。
スポーツニュース部
橋本剛 2005年入局
社会部で東日本大震災からの復興や環境問題を取材
スポーツニュース部では競泳を担当
スポーツニュース部
小林達記 2014年入局
神戸局 大阪局を経てスポーツニュース部
陸上、アーチェリーなどを担当