私は親に捨てられたのか

私は親に捨てられたのか
自分は親に捨てられたのか。

そう問い続けている人々がいる。養子に出された多くの子どもたちだ。

国際養子の受け入れ大国、アメリカ。
受け入れた養子の疑問に答えるため、国を越えてその生い立ちを探り続けた家族が突き止めた事実とは。
(ワシントン支局 辻浩平)

私はなぜ捨てられたのか

「生みの親はなぜ私を手放したのか。私は親に捨てられたと感じて生きてきました」
中国・河南省から15年前、4歳の時にアメリカのユタ州に養子としてやってきたメイラン・スタイさんの言葉だ。

アジア系アメリカ人として育ち、今は地元の大学に通うスタイさん。

アメリカの両親から愛情を注がれて育ったが、成長するにつれてこの疑問は大きくなっていったという。

アメリカでは国際養子縁組みが広く浸透している。

著名人にも多く、歌手のマドンナさんや俳優のメグ・ライアンさん、アンジェリーナ・ジョリーさんも海外からの養子を受け入れている。
子どもに恵まれない夫婦に限らず、信仰心があつく身寄りのない子どもを救いたいという家族、未婚だが子どもが欲しい人。

すでに実子がいながら養子を迎える人も少なくない。

国際養子が決して特別なことではないこともさることながら、日本人の私としては白人とアジア人など、人種を越えた家族が珍しくないことにも驚かされる。

実際、アメリカが受け入れる国際養子で最も多いのは中国からで、その数はこれまでに8万人以上にのぼっている。

親の年齢制限など、養子を迎えるための条件が中国からの場合はそれほど厳しくなかったからだ。

冒頭に登場したメイランさんを養子として受け入れた父親のブライアン・スタイさん。

妻と2人きりの生活に満足し、「子どもはいなくてもいい」と話し合っていたが、次第に考えが変わっていったという。
ブライアンさん
「養子をもらうと決めたのは、中国に恵まれない子どもが多くいるというニュースを見たのがきっかけでした。捨てられ、身寄りがない子どもに家庭を提供したいと思ったんです」
子どもを育てる喜びを知ったブライアンさん夫妻は、これまでに3人の娘を中国の孤児院から迎え入れた。

娘たちからは「なぜ生みの親は私を捨てたのか。親は誰なのか」と繰り返し聞かれたが、当時、知っていたのは「捨てられていたのを保護した」という孤児院から聞いた情報だけだった。
「娘たちの疑問に答えたい」

これがすべての始まりだった。

突き止めたと思った「事実」

ブライアンさんは、取材に訪れた私たちを自宅の一室に案内してくれた。

そこには中国に何度も通って集めた地元の新聞が大量に保管されていた。
新聞には孤児院に保護された赤ちゃんの顔写真と並んで性別、保護された日、健康状態などが細かく記されている。

「公告」として地元の当局が新聞に掲載したものだ。

一定期間内に親が名乗り出なければ養子に出される仕組みだという。
ブライアンさんは娘の生い立ちについて調べるうちに、こうした新聞があることを知り、以降、夢中になって集めている。

無数にある写真の中から娘を探し出し、捨てられていた娘を孤児院に届けたという女性も突き止め、当時の状況について話を聞いていた。
ブライアンさん
「娘が当時、どんな服を着ていたか、段ボールに哺乳瓶と一緒に入れられていたことまで、その女性は詳しく話してくれました。娘の生い立ちについてすべてわかった気になっていました」
娘の生い立ちを把握し、役割は果たしたと思っていたブライアンさん。

ところが、事態は急展開を迎えることになる。

嘘がもたらした絶望

きっかけは数年後、偶然目にしたニュースだった。

中国・湖南省の孤児院がお金を出して赤ちゃんを集めていたという、組織的な事件だった。

背景には海外に養子に出すと高額なお金が手に入ることがある。

いわゆる人身売買だった。
「娘は捨てられ、保護されたのではなく、売られていたのではないか」

いてもたってもいられなくなったブライアンさんは中国出身の妻と再び中国の孤児院を訪問。

改めて問いただすと「捨てられ保護された」という当初の説明が作り話だったことが明らかになった。
ブライアンさん
「娘を保護したという女性は、『ごめんなさい。私が見つけたのではありません』と言いました。まったくのでたらめだったのです。『なぜ嘘をついたんだ』と問いただしても、『嘘を一度つき始めるとつき続けるしかないんだ』と答えるだけでした」
娘が実の親から売られていたのかどうかなど、どのような経緯で孤児院に預けられたのかは結局、わからずじまいだった。

「身寄りのない子を救いたい」という純粋な思いから養子を引き取ったブライアンさん。

事実を知ったときの心境について尋ねると、長い沈黙のあとに、こう答えた。

「自分の決断が真実に基づいていないかもしれないと知り、絶望的な気持ちになりました」

7万人分の記録

自分たちのようなケースは他にもあるのではないか。

悲嘆に暮れたブライアンさんだったが、全体像を知りたいと、大規模な調査に乗り出していく。

中国全土から新聞を取り寄せ、一人一人のデータベースを作成。

20年かけて集めたデータは7万人以上にのぼっている。
ブライアンさん夫妻は、DNA鑑定を通じて生みの親を探す活動も始めた。

中国側で子どもを手放したという親を探しだし、唾液を採取。

アメリカ側の養子やその家族の要望を受けてマッチングするのだ。

これまでに特定した実の親子は100組近くにのぼる。

「孤児院に保護された子どもは売られていたのか」

消えない疑念に突き動かされるブライアンさん夫妻は、特定した生みの親から、どのような経緯で子どもを手放したのか聞いて回ったのだった。

制度の「ひずみ」がもたらしたもの

するとそこから見えてきたのは意外な事実だった。

金銭目的の人身売買は一部のケースであり、ある制度の「ひずみ」が複雑な背景にあることが見えてきたのだ。

その制度とは中国の一人っ子政策だ。

中国からアメリカへの国際養子縁組みがピークを迎えたのは2005年。

その数、年間8000人。

95%が女の子だった。
これは中国で男の子を望む伝統的な価値観が背景にある。

生みの親から聞き取りをする中で浮かび上がったのは、2人目に男の子を授かった親が泣く泣く上の女の子を手放したり、2人目の子どもを当局者が取り上げたりするケースだった。

聞き取りができた生みの親およそ100組のうち、「子どもを自ら捨てた」という親はわずか1組だった。

にもかかわらず、いずれのケースでも孤児院は、アメリカの受け入れ家族に対し、「子どもは捨てられ、保護された」と説明をしていた。

一緒に調査を続けている妻のロンランさんは、ためらいがちにこう答えた。
ロンランさん
「厳しい一人っ子政策のプレッシャーがあったのです。医師や助産師、時には当局の摘発を恐れた祖父母が、2人目を授かった親に対し、子どもを手放すよう、強く働きかけていたのです。お金目的のケースもありましたが、多くは一人っ子政策が生んだひずみによるものでした」
人口抑制のために導入された中国の一人っ子政策。

遠いアメリカで国際養子を受け入れた家族や養子本人を悩ませるという、思いもよらない影響を及ぼしていた。

どれくらいの規模なのか?

こうした事例はどれくらいの規模で広がっているのか。

はっきりとした数はわかっていないが、その後も中国各地で同様のことが報じられている。

アメリカの家族の中には、受け入れた養子が実は生みの親が泣く泣く手放していた存在だったと知って、「子どもを取り返されてしまうのではないか」と不安を抱える人もいる。

養子が孤児院に売られていたことがわかったアメリカの家族からは、再発防止に向けた対策をとるようアメリカ議会に求める動きすら出ている。

様変わりする養子環境

アメリカと中国との間の養子を巡る環境はこの20年ほどで大きく変化した。

中国は急速に豊かになり、男の子を望む伝統的な価値観も変化しつつある。

そして一人っ子政策は2015年に廃止された。

中国政府は海外に養子を出す条件を厳しくし、ピーク時に年間8000人近くにのぼったアメリカへの養子は、今は10分の1にまで減少している。

「私たちは家族です」

20年近くかけて我が子の生い立ちを調べ続けてきたブライアンさん。

3人の娘のうち、三女のメイランさんについては生みの親を探し出すことができた。

メイランさんは生みの親が捨てたのではなく、2人目の子どもとして泣く泣く手放したケースだった。

2年前、メイランさんは生みの親との再会も果たしている。

その時の気持ちについて、メイランさんは言葉を選びながら、こう振り返った。
メイランさん
「生みの親は私を捨てたのだとずっと思ってきました。怒りに似た感情もあり、一切関わりたくないと感じながら生きてきたのです。でも、手放さざるを得なかったという事情を知り、ひどい人たちだと思い込んできたことに罪悪感を感じました。ただ、私の両親は今のアメリカの両親です。生物学的につながっていなくても、私たちは家族です」
ブライアンさんの自宅の部屋の壁には家族写真が所狭しと飾られている。

一緒に時を重ねてきた家族の姿が誇らしげに映っていた。
生い立ちについて複雑な思いは持ちつつも、家族として過ごしてきた時間こそが、今を形づくっている。

家族写真はそう語りかけている気がした。
ワシントン支局 辻浩平
2002年入局。
鳥取局、国際部、エルサレム特派員、盛岡局、政治部などを経て2020年7月からワシントン支局。