東大寺大仏の造立携わった行基供養か 類例ない建物跡 奈良

奈良市の遺跡で、柱の穴が円形に並ぶ奈良時代の建物の跡が見つかりました。この時代の建物としては類例がない構造で、調査に当たった研究所は、東大寺の大仏造立などに携わった高僧、行基を供養する建物の可能性が高いとみています。

建物の跡が見つかったのは、平城京などが見渡せる小高い丘の上にある奈良市の菅原遺跡です。
元興寺文化財研究所が発掘調査したところ、直径14メートル余りの円周の上に並ぶように柱の穴が15か所で確認され、出土した瓦や土器の年代から8世紀中ごろの奈良時代に円形の建物があったことが分かりました。

研究所によりますと、円形の建物はこの時代には類例がなく、後の時代には亡くなった人の供養などに使われたということです。

この遺跡の場所には、奈良時代の高僧、行基の業績を記した「行基年譜」に登場する「長岡院」という寺院があったと推定されていることから、研究所は行基を供養する建物の可能性が高いと見ています。
行基は数々の社会事業を行うとともに、聖武天皇の信任を得て東大寺の大仏造立に携わり、西暦749年に亡くなりました。

古代史に詳しい大阪市立大学の栄原永遠男名誉教授は「行基は『菩薩』と言われていました。今回の建物には、行基の遺徳を長くしのぼうという意図があったのではないか」と話しています。

どんな建物が建っていた?

今回見つかったのは、奈良時代のものとしては類例のない円形の建物の跡ですが、建物上部の構造は分かっていません。

調査を行った元興寺文化財研究所は、2種類の復元案を作成しました。
1つ目の案は、「八角円堂」です。
現存するものとしては、聖徳太子を供養するために建てられた奈良・法隆寺の夢殿などが代表例です。ただ、この場合は柱の並びが八角形になっていることが多く、柱の穴が円周上に並ぶ今回の建物の場合、不自然さが残ります。
もう1つの案が「多宝塔」です。
平安時代ごろからあったとされ、いずれも和歌山県にある高野山の金剛三昧院や、根来寺のものが知られています。多宝塔には円筒形の部分があり、柱が円形に配置されることもあることから、専門家はこちらの案が有力とみています。

古代の建築が専門の奈良文化財研究所の箱崎和久部長は、「多宝塔の初源的な形態ではないかと思う。故人をしのぶような建物の一例と考えることもできるのではないか」と話しています。