“名門の業界”を揺るがす「5兆円のイノベーション」

“名門の業界”を揺るがす「5兆円のイノベーション」
国内でもっとも多く二酸化炭素を排出する産業は何だと思いますか?それは、鉄鋼業。多くの石炭を使う従来の製鉄技術からの大転換を図らなければ、日本のカーボンニュートラル=温室効果ガスの排出ゼロは実現できないとさえ言われています。

長い歴史の中で培われた製鉄技術に代わるイノベーションを生み出し、排出ゼロにつなげることはできるのでしょうか。(経済部記者 太田朗)

1トンの鉄に2トンのCO2

自動車や鉄道、建設などあらゆる産業に鋼材を供給する鉄鋼業界。戦後、海外にも輸出を拡大させ、日本経済の成長を支えてきました。最大手の日本製鉄は、前身の新日本製鉄から3人の経団連会長を輩出し、いわば“名門の業界”と位置づけられています。

その“名門”にとって課題となっているのが、脱炭素。製鉄の過程で多くの二酸化炭素を排出し、実に国内の排出量のおよそ15%を占めているのです。すべての産業の中でダントツの多さです。
二酸化炭素の排出が多い理由は、長い歴史の中で培ってきた製鉄技術「高炉法」にあります。鋼材のもととなる粗鋼のおよそ70%は、この「高炉法」で生産されています。

鉄鉱石に、石炭を原料とするコークスを混ぜて酸素を取り除く「還元」で製鉄する技術が高炉法です。これを行う設備の「高炉」は、日本の製鉄所のシンボルでもあります。
設備の耐久年数が長く、高い品質が求められる鉄の大量生産が可能というメリットがありますが、高炉で1トンの鉄を作るのに2トンの二酸化炭素を排出するとされています。そして、300年以上続く高炉法に代わる大量生産に適した製鉄技術は、まだ確立されていません。

政府が2050年に温室効果ガスの排出を実質ゼロにするという目標を打ち出した時、業界団体の鉄鋼連盟が掲げていた目標は「2100年までの実質ゼロ」。なんと政府目標の50年先です。世界的に気候変動への危機感が高まる中で、鉄鋼業界は脱炭素に慎重な姿勢をとっていました。

鉄鋼業界も対応加速、日本製鉄は

ところが、政府が去年12月、脱炭素に向けた実行計画を取りまとめ、技術開発を進める方針を示したことで、鉄鋼業界も対応を迫られます。

ことし2月、鉄鋼連盟は二酸化炭素の排出量の実質ゼロの目標を「2100年」から「2050年」へと一気に50年前倒ししました。

そして3月、業界最大手の日本製鉄も2050年までに二酸化炭素の排出量を実質ゼロにするという目標を初めて示しました。

では具体的にどのようにして、実質ゼロを達成するのか。日本製鉄が、実現への切り札と考えているのが、世界中のどのメーカーもまだ実現していないという2つの製鉄技術の開発です。

電気と水素で鉄を作る

1つは、新しい「電炉」の技術開発です。鉄のスクラップを溶かして再利用し、電気を使って鉄を作る技術は「電炉法」と呼ばれています。石炭を使う高炉と比べて二酸化炭素の排出は70%以上減らせるとされています。

鉄のスクラップには不純物が含まれているため、生産される鉄の品質が低いことがネックでした。しかし技術開発を進めて、電炉でも自動車向けなどの高品質な鋼材を大量に作れるようにしようとしています。
もう1つの技術が、石炭から作るコークスの代わりに水素で鉄を作る方法です。コークスで鉄鉱石から酸素を取り除く還元を行うと大量の二酸化炭素が出ますが、水素で還元すると水しか出ないので、鉄鋼メーカーにとっては、“夢の製鉄法”として熱い視線が注がれているのです。
この技術は現在、千葉県内の製鉄所で、JFEスチールや神戸製鋼所などと共同で研究開発が進められています。このプロジェクトでは、コークスと水素の両方を使う方法で二酸化炭素の削減を目指していますが、将来的には水素だけで鉄鉱石を還元する技術の研究にも乗り出そうとしています。
このほか、JFEスチールは日本製鉄や神戸製鋼所と共同で、鉄鉱石と石炭から作る「フェロコークス」と呼ばれる新しい原料の開発に取り組んでいます。従来の原料の一部を置き換えて高炉に入れることで、二酸化炭素の排出量を10%程度減らす実証実験を行っています。

神戸製鋼所は、高炉に投入する前に鉄鉱石から酸素を取り除いた「還元鉄」を用いて、二酸化炭素を削減する技術の実用化を進めています。

イノベーションに“5兆円”

しかし、こうした新しい製鉄技術の実用化には大きな課題が。全く新しい設備の建設など巨額の投資が必要になるのです。日本製鉄は、実現に向けては4兆円から5兆円の費用が必要になるとの見込みを明らかにしています。

とりわけ、水素を活用した製鉄技術の研究は、いま、各国の鉄鋼メーカーによる開発競争の様相を呈しています。
世界最大手であるヨーロッパの「アルセロール・ミタル」は、2050年までに二酸化炭素の排出を実質ゼロにする目標を掲げ、水素還元の製鉄技術の実用化などに向け、5兆円余りの投資を行う計画。中国最大手の「宝武鋼鉄集団」も水素を使った製鉄技術の開発を進めています。

一方で、日本製鉄など国内メーカーにとっては、主要な顧客である自動車メーカーが中国など海外のメーカーから鋼材を調達する動きが強まるなど経営環境が厳しさを増していて、次世代に向けた投資余力が十分とはいえないという指摘もあります。
日本製鉄の橋本英二社長は、二酸化炭素排出ゼロの目標を発表した3月の記者会見で「カーボンニュートラルの実現には、どれだけ研究開発に費用とマンパワーをかけられるかがポイントになる。政府の理解を得て研究開発への支援をいただきたい」と述べました。

海外のメーカーとの新たな開発競争に打ち勝つためには、国のバックアップは欠かせないという認識です。

政府は脱炭素に向けて野心的な、いわば“国際公約”を打ち出していますが、鉄鋼業界のイノベーション無くして、その実現は不可能です。

国からの支援だけでなく、単独での研究開発は難しいとして、今後、鉄鋼メーカーどうしの連携がいっそう進むことも予想されます。

脱炭素への動きが業界の構図にどのような変化をもたらすのかも、今後の焦点となりそうです。
経済部記者
太田 朗
平成24年入局
神戸局、大阪局を経て現所属
重工業界を担当