WEB特集

90歳のカミングアウト

「私は長年、自分の本当の姿を否定してきました」
こう話す男性の初恋の相手は、5歳年下の青年でした。男性は長い人生を振り返り、当時の自分が下した、ある決断を今も後悔しているといいます。二度と同じ思いをしたくない、若い世代に同じ思いをしてほしくない。だから、90歳の時、男性は、ゲイであることをカミングアウトしました。(国際部記者 近藤由香利)

12歳の時に気づいた

今から91年前の1930年、アメリカ・中西部カンザス州の小さな町で生まれたケネス・フェルツさんが、ゲイであることを自覚したのは12歳のころでした。
幼少期のケネスさん
男の子の友だちに誘われたお泊まり会。
寒い夜だったので、友だちと一緒に体を寄せ合って寝ることになりました。

その時「男の子とこうしていたい」と感じ、自分が同性愛者だと気づいたといいます。

でも当時は、同性愛者に対する偏見や差別感情は、今とは比べものにならないほど厳しいものだったといいます。

ケネスさんは当時を振り返り「“ストレート”(異性愛者)として生きていくため、男の子が好きな自分を隠しておくほかなかった」と打ち明けてくれました。

初恋の人

ケネスさんは、1950年にアメリカ海軍に入隊し、その後、大学を経てカリフォルニア州の会社に就職。

そこで5歳年下の男性に出会いました。
彼のデスクは、ケネスさんの少し前。
仕事を手伝ってくれたのをきっかけに、毎日のようにコーヒーを飲みに行くようになりました。

互いに引きつけられるように距離が近づいていくのを感じました。

それは、2人の感情が溶け合っていくような感覚だったといいます。

その半年後、ケネスさんは、彼が暮らす姉の家で同居を始めます。

彼の姉は、弟がゲイであることを理解していました。

それはケネスさんにとって、好きな人を好きでいられる、ありのままの自分で過ごせる、初めての生活でした。

一方で、2人でデートをする時には、細心の注意が必要でした。

当時はゲイだと知られれば、仕事を失ったり、家族や友人から見放されたりする恐れもあったといいます。

このため外出する際は、恋人どうしに見られないように、互いに距離を取り、会話をすることも控えました。

ケネスさんたちがデート先によく選んだのはキャンプでした。
人目を気にしなくて済むからです。

寒い夜、たき火の前で肩を寄せ合い、星空を眺めていると、この時間がずっと続いてほしいと思いました。

ケネスさんにとって、彼との暮らしは、自分がゲイのままでいられ、彼の愛を感じられる幸せな時間でした。

愛と信仰のはざまで

しかし、その時間はそれほど長くは続きませんでした。

彼といっしょに暮らしはじめて1年半ほどがたち、2人で教会を訪れた時のことでした。

教会で歌う彼を見ている時に、ケネスさんの中に、ある気持ちが芽生え、抑えることができなくなったといいます。

「自分は“間違ったこと”をしているのではないか」

ケネスさんは厳格なキリスト教徒で、当時「同性愛行為はいけないこと」だと教えられたといいます。

神聖な場所である教会に、愛する彼と一緒にいる。

教えに背いてまで、彼のことを愛し続けることができるのか。
でも、大好きな彼のそばにずっといたい。

ケネスさんは、葛藤し続けました。

1か月後、ケネスさんは彼に何も言わず家を出ることにしました。

もう彼を愛し続ける自信が持てなくなったからです。
そして教えに従って生きていくと誓ったといいます。

彼のもとを去ったあとも、どこで住所を知ったのか彼から「戻ってきてほしい」と求める手紙が届きました。

ケネスさんが返信しないでいると、最後となった手紙にはこう書いてありました。

「君が返事をくれないのなら、2度と君のことを困らせないよ」

ケネスさんは手紙を手にしたまま、心の中で彼に何度も謝ったといいます。

娘からのカミングアウト

それから5年後、ケネスさんは女性と結婚し、その後、子どもも授かりレベッカと名付けました。
ケネスさんと娘のレベッカさん
一方で、“偽りの結婚生活”に精神的なストレスを感じ離婚。
娘を引き取り2人で暮らしてきました。

その間も、自分がゲイであることをずっと隠してきました。

レベッカさんが22歳のとき、話があると声をかけてきました。

「お父さん、私はレズビアンなの」

彼女は自身が同性愛者だとカミングアウトしてきたのです。

ケネスさんは気づくと娘を叱りつけていました。

同性愛者は偏見の目にさらされること、差別を受けるかもしれないこと。

大切な一人娘を守りたいという思いからでした。

一方で、ケネスさんは心の中では、娘の気持ちを理解していました。

そして、彼女がありたいように生きてほしいとも思いました。

ケネスさんが本当の自分を隠したまま、生きていくことを選んだ代わりに大切なものを失ってしまった、あの時の気持ちを彼女には味わってほしくない。

そう願っていました。

人生の終盤、向き合った本当の自分

死ぬまで本当の自分は隠したままにー。

そう思っていたケネスさんでしたが、89歳になったおととし、ガンだと診断されます。

さらに、新型コロナウイルスの感染が拡大し、自宅から出られず孤独な闘病生活が続く中、ケネスさんはこれまでの人生について考えることが増えました。
入院中のケネスさん
手記に残そう。
ふとケネスさんは思い立ち、1人パソコンに向かって、記憶をたどっていきました。

そして、これまでずっと心の奥にしまってきた、初恋の彼と過ごした1年半を思い出した時、ケネスさんは気持ちを抑えることができなくなったといいます。

優しくほほえみかけてくる彼の顔。

一緒に横になった時に感じた彼のぬくもり。

彼との時間で感じることができた、ひとつひとつの幸せ。

ケネスさんは、長く忘れようとしていたあの時の感情があふれ、しばらく動くことができませんでした。

そんな時、娘に「お父さんどうしたの」と声をかけられたケネスさん。
意図せず「彼と別れなければよかった」と漏らしていました。

そして「彼って誰なの」と聞く娘に、自分がゲイであることを伝えていました。

娘は何も言わず、ケネスさんを受け入れてくれたといいます。

ケネスさんは、彼といっしょに過ごした時以来、初めて自分が自分のままでいられる感覚を取り戻しました。

ありのままの自分を友人たちとも共有したい。

去年6月、ケネスさんは友人にメールを送るつもりでしたが、誤って自身のSNSに投稿。

カミングアウトはまたたくまに世界中の人に共有されていきました。

自分が生きるべき人生を

この投稿は大きな反響を呼び、友人だけでなく、世界中から90歳のカミングアウトを歓迎するたくさんのメッセージが寄せられました。

意図せず多くの人に知られることになりましたが、こうしたメッセージはケネスさんにとってどれもうれしいものでした。

ケネスさんはその後も、初恋の男性について、別れたあと何度も彼がどこにいるのか確認しようとしていたことも、SNSなどに投稿しました。

すると、1人の女性が、彼の所在を確認して連絡をくれました。

彼は2年前に亡くなっていましたが、彼のめいと連絡を取れるようになり、彼の晩年を知ることができました。

彼のめいは、写真もたくさん送ってくれました。

ケネスさんは、カミングアウトをしたことで、彼と再びつながれたことだけでなく、「自由」を取り戻せたことに、何よりも喜びを感じているといいます。
ケネスさんとレベッカさん
ケネス・フェルツさん
「今は何でもできます。人から隠れる必要もありません。今の私には自由が何よりも大切なんです。でも、私の投稿でこんなに大きな反応をもらえるとは思っていませんでした。私は、ある日、自分がゲイであることを隠さず、自分の足で歩んでいこうと決めた、ただの年寄りなんですからね」

自分がありたいように生きられるように

ケネスさんは、今、新しい恋人もでき、性の多様性を象徴するレインボーカラーの服を着たり、髪の色を青やピンクに染めたりして人生を楽しんでいるといいます。

当初は父親に同性愛者であることを反対された娘のレベッカさんも、女性と結婚し、2人の子どもと暮らしています。
2人の孫と娘と写るケネスさん
ありのままに生きていい。

ケネスさんのカミングアウトは、多くの人たちにこのメッセージを届けました。

一方で、性の多様性に対する差別や偏見が根強く残っているのも事実です。

自分たちの周りに、ケネスさんのような人たちがいるのが当たり前だと感じられる社会になれば、ひとりひとりがもっと生きやすくなっていく。

ケネスさんのカミングアウトは、そうしたことを訴えかけていると感じました。
国際部記者
近藤由香利
2009年入局。
盛岡局、大阪局、国際放送局を経て、現職
担当は主に朝鮮半島とアメリカ

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