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ワクチン接種 なぜ日本は遅い?【後編】

「日本の新型コロナウイルスのワクチン接種はなぜ遅いのか」この疑問に答えるため日本とイギリスで取材を進めてきました。後編でお伝えするのは、ワクチンの確保やそもそもの開発などを巡る課題です。これは長年指摘されてきた問題でもありました。(取材班)

ワクチン開発 研究者の怒り

どうして日本のワクチン接種は遅れているのか。
これに対して取材の中で多くの専門家があげた答えがこちらです。

「国内で作れていないから」
国産ワクチンができていればもっと接種が進んでいた。

当たり前と言えば、当たり前かもしれません。しかし、その背景には実に大きな課題が横たわっています。

まず話を聞いたのは東京大学医科学研究所の石井健教授。国内製薬大手とともに国産の「mRNAワクチン」の開発に関わっている研究者です。石井教授は、ワクチン開発の遅れは、国の支援体制をはじめ複合的で根深い問題だと言います。
東京大学医科学研究所 石井健教授
東京大学医科学研究所 石井健教授
「ワクチン開発に対して欧米では2020年初頭には数兆円の予算がつぎ込まれましたが、同じ頃、日本では100億円規模でした。開発の進捗状況はその差が出たと考えています。海外では、国を挙げたバックアップ体制のもと、開発に必要な手続きを簡略化し、臨床試験を行う施設の確保や工場の確保など国が大きく関わってきました。さらに規制当局は開発段階から審査を並行して進めることでスピードアップを図ってきました。しかし日本は『平時対応』だったのです」
石井教授は「感染症に対するワクチンの緊急開発は安全保障と外交の意義を持つという意識が日本には足りなかった。緊急の感染症の発生に対する基礎研究は20年前からすでに大きな差がついていた」と指摘しています。

さらに広がる差

その差はさらに広がろうとしています。

その原因は、企業にとっては利益にならない薬でも国にとって必要なものは開発を支援していく体制作りです。

聖マリアンナ医科大学の國島広之教授によると、例えばイギリスやスウェーデンでは、たくさんの販売が見込めない場合でも、一部の抗生物質について、国が企業に一定の金額を支給して保障する制度が始まったということです。

国の安全保障にも関わる医療については、国が積極的にサポートする仕組みが各国で整備されてきているのです。

社会の“ワクチン忌避”も

一方で、問題の背景として、国民の間にある「ワクチン」というものに対する認識についての指摘や、メディアへの苦言も聞かれました。
東京大学大学院 坂元晴香特任研究員
東京大学大学院医学系研究科 坂元晴香特任研究員
「日本ではもともと国民の間に『ワクチン忌避』が根強くあります。さらにメディアもそれをあおるような報道をしてきました。その結果、外国と比べてもワクチンに対してかなり慎重な体制が作られてきたのだと思います」
厚生労働省元幹部も国内の開発はマイナスからのスタートだったと話します。
厚労省元幹部
「過去のワクチン接種の健康被害に対する批判もあって、この数十年間、国民のワクチン忌避が強まる傾向がありました。訴訟のリスクが高い一方で、温度管理や保存できる期限の短さを考えると手間がかかるなど、開発するインセンティブが下がり撤退した企業もあります。海外に比べて、人材面でも技術面でも国内メーカーの体力は弱くなっていると感じます」
国内のワクチン開発は、現在、臨床試験に入っている製薬会社が4社。一部がことし中に承認を得たいとしています。

日本のワクチン確保を巡っては今回の取材で見てきたように様々な課題が浮かび上がっています。

これに対して政府関係者は「日本が確保しているワクチンの数自体は感染状況が同程度の国と比べれば大きく劣っているわけではない」と主張しています。

ワクチンの確保

イギリスはどのようにワクチンを確保したのでしょうか。

ジョンソン首相が「史上最大のワクチン接種プログラム」と位置づける今回の計画。その準備は、去年の春から始まっていました。

イギリスでは、去年4月、政府がワクチンの接種計画のための「タスクフォース」を立ち上げました。大手製薬会社の元幹部などを主要メンバーとする官民一体の組織で、ワクチンの確保にあたりました。

去年5月、イギリスに本社を置く製薬大手アストラゼネカとイギリスの名門大学、オックスフォード大学が共同で開発したワクチンを1億回分確保。その後、ファイザー、モデルナなどのワクチンも次々に確保を進め、これまでに8種類、5億回分以上を確保しています。

イギリスの人口は6700万弱ですから、必要な分の4倍近くを確保している計算です。どのワクチンも臨床試験の段階で確保しており、開発に成功するかどうか、わからない状況でした。このため、1種類に頼るのではなく、製造方法が異なる種類のワクチンを確保していきました。
5月6日現在、イギリスが確保したワクチンは合わせて5億1700万回分に上ります。

ワクチンの開発

イギリスはワクチン開発や製造への支援も行ってきました。

オックスフォード大学は、去年1月、中国での感染が伝えられるとすぐにワクチンの開発を開始しました。大規模な生産体制を確保するため、4月には、アストラゼネカと開発を進めていくと発表しました。

実は、オックスフォード大学は当初、アメリカの製薬大手との共同開発を検討していたのですが、アメリカ政府が輸出を制限するなどの「囲い込み」をする可能性を懸念したイギリス政府が、国内に生産拠点を持つアストラゼネカとの開発を促したと伝えられています。輸入するよりも、国内で製造・供給ができれば、その方が確実だからです。

イギリス政府は、去年5月、オックスフォード大学に対し、ワクチン開発のため、6550万ポンド(約100億円)を支援することを発表。
合わせて、ワクチンを1億回分確保したことを明らかにしました。その後、アストラゼネカとオックスフォードが開発したワクチンは承認され、接種が進められていて、ジョンソン首相は「イギリスの科学の勝利だ」と繰り返しアピールしています。
イギリス国内には、アストラゼネカのほかにも、今後供給が見込まれるバルネバや、ノババックスのワクチンの製造拠点もあります。

バルネバの拠点には、数百万ポンド規模の支援を行うことをすでに発表しています。

また2018年には国立のワクチン研究・製造拠点の設立を発表し、年内の運用開始を目指しています。

イギリス政府は「こうした投資は、ワクチン開発を進める事業者にとって、事業拠点としてのイギリスの魅力を高めることになる」としていて、将来的なパンデミックに備える思惑もありそうです。

承認も迅速に

さらに、ワクチンの承認に向けた手続きも迅速に行われました。

ファイザーなどが開発したワクチンをイギリスが承認したのは、世界で最も早い去年12月でした。感染拡大が深刻な状況の中、承認を迅速に進めるために使われたのが「ローリング・レビュー」という手続きです。

これは、公衆衛生の面から緊急性があると判断された場合には、臨床試験の安全性や有効性に関するデータがすべてそろっていない段階であっても、逐次、審査を行っていくというものです。今回、EU=ヨーロッパ連合でも同様の手続きが行われました。

ファイザーのワクチンの場合、イギリス政府はファイザーが行った臨床試験について10月から審査を始めていました。その結果、12月2日の承認発表につながりました。

日本では12月18日に承認申請が行われました。日本国内で行われた160人分の臨床試験については同様にデータが全てそろっていない段階で審査が行われ、承認されたのは2月14日でした。

イギリスでは、1年後に安全性などについて見直しが行われる予定です。規制当局は、緊急の措置であっても、安全性については厳格に審査を行っていると、繰り返し強調しています。

イギリス政府は、ワクチンを確保するたびに発表してきましたが、去年の早い段階では「開発に成功すれば」といったような条件もついていました。開発の成否もわからない中で大金を投入し開発支援や確保を進める姿勢に、「大きなギャンブルだ」という見方もありました。
しかしイギリスは、1年以上にわたって新型コロナウイルスによる深刻な打撃を受け、去年感染が拡大した当初は、政府の対策が後手後手にまわったとして、ジョンソン政権は厳しい批判にさらされました。こうした状況を踏まえて、ジョンソン首相はワクチン確保に向けて素早い対応に動いたとみられています。

日本政府は…

日本政府は「これまで複数にわたる補正予算で国産ワクチンの研究開発や臨床試験の支援などに3000億円以上を計上してきた。新型コロナウイルスだけでなく様々な感染症に対応できる体制を構築したい」としています。

日本の今後は

およそ1年あまり前に始まった新型コロナウイルスのパンデミック。

この間、世界中の国がワクチンの開発に取り組み、そして今、まさにワクチン接種に取り組んでいます。日本もそうした国の1つです。パンデミックはどの国にとっても突然の出来事でした。そしてどの国にとっても、これまで培ってきた底力が試されています。

それでも、イギリスで去年の夏から接種会場や要員の確保を始めていたことは印象的です。ワクチンの確保や開発に対する政府の取り組み、自治体任せにせず政府機関が主導する体制、混乱を避ける取り組み、情報の一元管理やネットでのスムーズな予約。
イギリスの事例は私たちに多くの課題を突きつけています。

ワクチンを巡っては、安全最優先が大前提です。日本政府は、5月以降、ワクチン供給が一気に加速するとしています。このかつてないオペレーションともいえる大規模ワクチン接種を順調に進めることができるのでしょうか。

そして、次の感染症への備えをどれだけ進めていけるのでしょうか。
科学文化部記者
三谷維摩
2009年入局
徳島局、大阪局などを経て現職
医療分野を担当
社会部記者
黒川あゆみ
2009年入局
熊本局、福岡局を経て現職
主に医療・社会保障分野を取材
社会部記者
高橋歩唯
2014年入局
松山局を経て現職
主に医療・社会保障分野を担当
社会部記者
小林さやか
2007年入局
北九州局、福岡局を経て現職
厚生労働省担当
ロンドン支局長
向井麻里
1998年入局
国際部やシドニー支局を経て現在は英政治や社会問題など担当

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