どうなる!大阪名物のお好み焼き 売り上げ9割減の衝撃

どうなる!大阪名物のお好み焼き 売り上げ9割減の衝撃
「社長は、わかりにくいんですよ。もうちょっとはっきりしゃべってもらったほうが、僕らも受け入れやすいですね、こんなときだから」

これは大阪で知らない人はいないとも言われるお好み焼きチェーンの幹部会議で、社長に向けられたことばです。新型コロナの影響で飲食店の多くが瀬戸際に立たされる中、この会社では、社員一人一人の知恵や工夫を引き出すことで危機を乗り越えようと、新たな取り組みを相次いで始めています。ねらいはどこにあるのか。カリスマ創業者を継いだ2代目社長に密着しました。
(大阪拠点放送局ディレクター 家坂徳二)

売り上げが前年の1割に

鉄板の上に落とされた、おねりをさばくテコの音。ソースを落とし、マヨネーズとかつお節をたっぷり。

全国の繁華街を中心に77店舗を展開していた、大阪の味“粉もん”お好み焼きで47年勝負してきた老舗です。店舗はシックな内装で、スタッフは全員がコック服を着用。
イスラム教の人のための礼拝場所も備えるなど“高級感”を売りにしたおもてなしで外国人観光客にも支持され、近年売り上げを急速に伸ばしていました。

しかし、新型コロナウイルスの拡大で、かつてない苦境に直面しています。

年間5億円を売り上げていた旗艦店、大阪・ミナミの道頓堀ビル店で、去年6月の売り上げが、前年の1割に落ち込むなど、多くの店舗で売り上げが軒並み減少したのです。

これまでの在り方を変えるきっかけに

中井社長
「本当に想像を絶する、こういう状況になるなんて、誰も予想できなかったですよね」
中井貫二社長(44)は去年3月、アルバイトも含め、およそ200人の全従業員を命にかえても守ると宣言。一方で、この危機的な事態を、これまでの会社の在り方を変えるきっかけにしたいと考えていました。

中井さんが社長に就任したのは3年前。創業者の父親(現会長)の後を継ぐはずだった兄が病気で亡くなったことから、急きょ務めていた証券会社を辞めました。

それ以来ずっと抱いていた“違和感”がありました。カリスマ経営者として事業を拡大してきた父親のもと、社員が「みずから発想しない」「意見を言わない」という空気が社内にまん延していたのです。
中井社長
「誰かについていくというよりも、みんなが自分たちで発想ができる、たとえ創業者や社長がいなかったとしても、会社がしっかりと回る仕組みもやっぱり作らないといけない」
そこで打ち出したのが「リボーン会議」。

現場をよく知る課長や本部長など幹部社員10人を、月に2・3回集め、外部から経営コンサルタントも招いて、徹底的な議論を目指しました。

自分で考えろと言われても…

とはいえ、社員たちは簡単には変わりません。リボーン会議での議論は当初、低調でした。

雰囲気が変わったのは、去年8月。感染が再拡大し先行きの不透明感が一層強まる中で、メンバーの一人から全体の1割に当たる8店舗を一挙に閉鎖する、大胆なリストラ案が提案された時でした。

中井さんはこれに異を唱えました。
中井社長
「今回店舗数がこう出てきて、じゃ、全店退店しようとはまあならないですよ。1人たりとも辞めさせないというのは僕はずっと言ってますけども」
ここでこれまでほとんど発言の無かった幹部の1人が声をあげました。
源氏さん
「社長は、やっぱりわかりにくいですよ。おまえら考えろよ、的な話し方をするので、もうちょっとはっきりしゃべってもらったほうが僕らは受け入れやすいです。人を切らないとかそういうことじゃなくて、これをするために気持ちよくやめてもらうとか、それをちゃんと決めないと」
現場トップの営業本部長、源氏雄三さんです。

20年前、アルバイトとして会社に入り、現場に立ち続けてきた源氏さん。売り上げの大幅な減少を目の当たりにする中で、全員の雇用を守っていては会社が存続できないと声をあげたのです。

中井さんはこのタイミングで改革に込めた思いをぶつけました。
中井社長
「今までそういう会社だったんでしょ。会長がある意味トップダウンで、ぱんぱんぱんって決めていったと。それをみんな右へならえでやってきた。僕はそれはあかんでって、ずっと言ってるんですよ。ここにいるメンバーが全部決めないと、全員がある意味、主人公で決めていかないといけないわけですよ。それぐらいちゃんと思い入れを持ってちゃんと考えてるかっていうことですよ」
本音でぶつかり合った中井さんと幹部たち。

その本気を感じた中井さんは、提案された撤退案を、取締役会で検討することを約束。その後、会長を交えた取締役会で、5つの店舗の撤退が正式に決まりました。

ボトムアップで新たな提案も

厳しい状況をどう打開するか。社員から新たな提案ももたらされました。

毎日すべての店舗の売り上げをチェックしていた社員が、ファミリー層の来店が回復しつつあることに気付きました。これまでの大都市中心の店舗戦略ではなく、コロナの影響が相対的に少ない地方に商機があると考えたのです。

ここでネックになるのが価格。店舗の開発を担当する別の社員からは、長年続けてきた高級路線からの転換が提案されました。これまでの概念を崩して、若い層に支持されるような、親しみのある雰囲気の店舗づくりです。

リスクはあるものの中井さんは、実現に向けて動き出すことに決めました。

3か月近くかけて選ばれた出店先は、岐阜県各務原市にあるショッピングモール。長年売りにしてきたテーブル席の鉄板を廃止し、商品単価も数百円下げることにしました。

責任者は入社2年目!

地方への出店にあたり、中井さんはもう一つ大きな決断をしました。店舗の責任者に、あえて経験が浅い社員を選びました。
月山祐輝さん、入社2年目ながら愚直な働きぶりを社内で評価されており、その突破力に賭けようと、考えたのです。

月山さんを中心にスタッフたちは、注文から料理を提供するまでの流れ、客とのやり取りなどを想定したリハーサルを前日まで繰り返し、オープンに備えました。
迎えた開店の日。ランチタイムや夕食時には、行列ができる盛況ぶりです。月山さんは、接客とちゅう房を行き来しながら、スタッフの連携を確認し、多くのお客をもてなします。

初日の売り上げは…
月山さん「40万5000円。いきました!」
店員「おー!」
目標の2倍近い金額。年間を通しても最大となる正月に匹敵する売り上げでした。

さらなる飛躍へ

順調な滑り出しとなったこの出店を皮切りに、3月には埼玉県越谷市、4月には三重県鈴鹿市のショッピングモールにも店をオープンするなど、新たな戦略のもとで攻めの経営を続けています。

社員からの提案も増えています。

その1つが、冷凍お好み焼き工場の建設です。長年の課題だった提供時間を大幅に短縮し、店舗のオペレーションも簡素化。従来の“高級路線”だけでなく、“安価に楽しんでもらう店”も作ろうというのです。

社員一人一人が“自分ごと”として考えるボトムアップ型の経営が少しずつ浸透していると中井さんは手応えを感じています。
中井社長
「全員が覚悟を決めている腹決めてやってくれている。同じ方向を向いて一枚岩になっている実感はありますけど、やっぱり自分たちをもう一度磨き直すっていう、そういう機会をコロナは与えてくれたというふうに思っています」
今回、中井さんへの長期密着ロケは10か月に及び、感染拡大で経営危機が現実のものとなった時も包み隠さず取材に応じてもらいました。

その胆力に敬意を払うとともに、中井さんの胸の奥には、カメラを通して、同じように苦しんでいる全国の飲食店などの人たちと思いを共有したい、エールを送りたいという気持ちが少なからずあったのでは無いでしょうか。
「災い転じて福となす」

2代目社長と社員たちの挑戦と奮闘を引き続き追っていきたいと思います。
大阪拠点放送局ディレクター
家坂徳二
2017年入局
大阪の飲食店を中心に新型コロナの影響を取材