青い目の男の子

青い目の男の子
産まれた子どもの目は、うすい青色をしていました。

私の病気が子どもに遺伝したことを悟った瞬間でした。

子どもが保育園に通うようになると

「ママ、お迎えに来ないで」と言いました。

驚きましたが、私は冷静に気持ちを伝えました。

逃げずに気持ちを伝えていく、それが私の子育てで一番大事だと思っています。
(ネットワーク報道部記者 小倉真依)
取材に応じてくれたのは、43歳の木綿子さん(ゆうこ)です。
出産するまでの葛藤の日々と、その後の子育てへの思いを語ってくれました。

自信が持てない

私(木綿子さん)は、骨がもろく折れやすい先天性の病気「骨形成不全症」です。

幼いころから骨折を繰り返す生活でした。
どのくらい折れやすいかというと、扉がバタンと閉まって、その音にビクッとしただけで足を骨折していました。

転んだら骨折し、入院し、数か月は寝たきりになるので歩くことは恐怖でしかありませんでした。

階段は踏み外したら死んでしまうんじゃないかと思い、ゆっくりゆっくり上り下りしていました。

動きがのろくなるので学校では「邪魔なんだよ」「こっちに来るな」と、うとまれていました。

そんな言葉の数々によって、自分はいないほうがいい存在だと思うようになり、自分に自信が持てなくなっていきました。
骨折する恐怖から早く解放されたいとも思うようになり、養護学校(現在の特別支援学校)の高校生の時、もう歩かないと決めました。

車いすの生活となりました。

すると今度は
「何かをしたいと思っても誰かの手助けが必要なんだ」
「人の負担になっている、迷惑になっている」そう思うようになりました。

次第に自分の意見を言わず、人に従うような性格になっていきました。

「お前って、むかつく」

そんな私に正面から「お前って、むかつく」と言ってきた人がいました。

それは養護学校を卒業して障害者の施設に行き、仕事に就くためにインテリアデザインを学ぶようになった時のことです。

友人と話していた私は、何を聞かれても自分を出さず「どっちでもいい」という態度を見せていました。

その時「お前って、むかつく」と男性が言ったのです。

人に従っていればいいという気持ちが、見透かされたような気がしました。

男性には手足のまひがあり、私と同じように車いすの生活でした。

性格は私とは正反対で
「養護学校の時、夜に寮を抜け出して友だちのところに遊びに行ったんだ」とか
「むしゃくしゃしたときに壁に穴をあけたりロッカーを壊したりした」という話をしていました。

話の内容がいいか悪いかは別として、病気があっても、それにとらわれず遠慮せずに生きている感じがしました。

それが新鮮で2人でよく話をするようになりました。

世界が変わった

遠慮のないその男性に、ある日「お前、おれのこと好きだろ」と言われ、私が「ずるい、そう言われたら違うって言えない」と言い返して交際が始まりました。

男性は彼となり、車いすでライブや映画、ディズニーランドに出かけるようになりました。
世界の見え方が変わり一緒に過ごす時間というか、生きていること、そのものが心から楽しいと思えるようになりました。

自分の意見も素直に伝えられるようになり、私自身が変わっていったんです。

4年半付き合って23歳で、その男性と結婚しました。

1人の人と出会っただけで生き方が変わる。

人生つくづく、わからないものだと思います。

2分の1

はじめは子どもがほしいとは思っていませんでした。

でも、夫と一緒に暮らすうちにその考えは変わりました。

「この人との子どもができたらどんなに幸せだろう」

子どもと家族3人で一緒に笑い合っている光景を想像しました。
同時にその夢を叶えていいのだろうかとも思いました。

私の病気は、2分の1の確率で子どもに遺伝するというふうに医者から言われていたからです。

周囲から
「子どもを望むのは子どもがかわいそう」
「子育てはそんな甘いものじゃない」そう言われたこともありました。

私の子どもに生まれても幸せではないかもしれない、という考えも頭の中をぐるぐるとめぐりました。

でも子どもがほしいという気持ちを拭い去ることはどうしてもできませんでした。

私の母も同じ病気で、私に遺伝したのですが命が授かったことに感謝していました。

つらい思いもたくさんしてきたけれど、産んでくれたので大切な人と出会うことができました。

子どもは私たちが幸せにしてみせると思うようになりました。

青い目の男の子

流産を経験したあと、29歳の時、男の子を出産しました。

「おぎゃー」という泣き声が聞こえたときは、涙が止まりませんでした。

低出生体重児だったため、すぐに保育器へと入れられました。
手を入れました。

私の指先をちっちゃな手がつかみました。

そのとき見た子どもの目は、うすい青色をしていました。

病気が遺伝したことを悟った瞬間でした。

骨形成不全症の子は、白目が青みがかって生まれてくることがあるからです。

目の前で懸命に小さな胸を動かしている姿を見て、何としても、この子を守ろうと思いました。

そんな私が、死のうと思う

名前は自分で自分の運命を切り開いていける子に育ってほしいという願いを込めて「天翔」(そらと)と名付けました。

しかし幸せにするという覚悟はすぐにぐらつきました。

生後2か月の時です。

注意は払っていましたが、車に乗せベビーシートから出すときに、腕がベルトに引っ掛かり、骨折させてしまったのです。

天翔が声をあげて泣きました。

私は20回以上は骨折していて、骨が折れる時の痛みが想像できます。

病院に向かう車中、この子はあと何度、この痛みを経験しなければならないのかと、やりきれない気持ちになりました。

いっそのこと、一緒に死のうと思いました。
すると、天翔が私の顔を見るように目を開けました。

「ああ、この子は生きている、生きようとしている。この子を産んで、今度は一緒に死のうだなんて、なんて身勝手なのか」

そう思い踏みとどまりました。

私は通っていた養護学校で、病気のために生きたくても生きられなかった友だちを何人も見てきました。

そんな私が死のうと思ってしまったことに驚き、怖くなったのを覚えています。

あのときは、人生で一番つらかったです。

「ママ、お迎えに来ないで」

天翔は骨を丈夫にする治療を受け、ハイハイやつかまり立ちができるようになりました。

保育園にも入り、成長していく姿に喜びをかみしめる日々が続いていました。

そんな日々の先に、忘れられない出来事が起きました。
入園して数日後、天翔が保育園から帰ってきた時のことです。

「ママ、もう保育園にお迎えに来ないで」と突然、言いました。

「どうして?」と聞くと
「車いすだと恥ずかしいから」と答えました。

「なんで恥ずかしいの?」と聞くと
「他のママと違うから。他のママは歩けるから」と言いました。

私は逃げずにちゃんと話をしなければいけないと思いました。

「ママはどう頑張っても歩けないから歩いてお迎えに行くのは無理なんだよ。歩けないことは恥ずかしいこと?」

「いや、でもお友だちからいろいろ聞かれる」

「確かにそうだね。『あれ、誰のママ』ってなるよね。それは分かるけど、でも、ママは天翔のママとして恥ずかしいことは一切してないから車いすで堂々とお迎えに行くんだよ」

こんなやりとりをしました。
そのあと「お迎えに来ないで」とは言わなくなりました。

ある時、保育園で「天翔くんのママは車いすだから何もできないんでしょ」と友達から言われた時「ぼくのママは車いすだけど何でもできるよ」と言ったという話を本人から聞きました。

うれしかったです。

あなたに伝えたい

天翔と一緒にいるところで、思わぬ言葉を言われたこともあります。

あれは3歳ぐらいになったころだったと思います。

「おまえみたいなやつが子どもを産んでいいと思っているのか」

車いすで一緒にスーパーに買い物に行ったとき、初老の男性が、すれ違いざまに言いました。

突然のことで私は何も言えませんでした。
障害のある私は、人の手を借りないと生きてはいけません。

多くの人の支えや制度があることによって、子育てができています。

ただ、人を愛する気持ちや、家族をつくりみんなで幸せになりたいと願う気持ちは、障害があってもなくても同じで、それはあなたと変わらないんだということを、男性には知ってもらえたらいいなといまも思っています。

「なんでこんな体に生まれたんだ」

天翔が小学4年生のとき、いつか来るかもしれないと思っていた日が来ました。

下駄箱に肩をぶつけただけで天翔が右手を骨折してきました。

生活が不便になりぐずりだしました。

私はつらい思いをしているからこそ、明るい口調で前向きなことを言うようにしました。
天翔「字が書けないよ」

私 「左手は動かせるよ」

天翔「ごはんも食べられない」

私 「練習したら左手でも食べられるようになるよ」
すると怒って叫びました。
「そんな簡単に言うけど、どれだけ大変か何もわかってない」

「なんでこんな体に生まれたんだ」
それはいつか言われるかもしれないと思っていた言葉でした。

私はやはり逃げずに自分の思いを伝えました。

「病気や障害があることが不幸なんじゃないよ。人生を不幸にするかどうかは自分次第なんだよ」

私は産んだことに「ごめんね」と謝りたくはありませんでした。

病気や障害があることが悪いことだと思わないでほしかったからです。

小学4年生にはまだ理解できない言葉かもしれません。

むすっとした顔をして、目もあわせず、黙って聞いていました。

私は何事もなかったように、台所でごはんを作り始めました。

それから30分ほどたったころ、車いすに乗っている私の背中にぴたっとくっついてきて「ママ、ごめんね」と言いました。

私は「別に気にしなくていいよ」と言ってまたごはんを作り続けました。

幸せ

「ママ、ごめんね」といったものの、それですべてが解決されるようなことはもちろんありません。

中学生になり、治療のかいがあって歩いて生活し、好きな音楽や英語を楽しんでいますが、痛みがあると時折「なんでこんな体に生まれたんだ」と言うこともあります。

そのたびに、幸せになるかどうかは自分次第だということ、そしてどんなに望まれて生まれてきたのかを逃げずに伝えています。

「生まれてきてくれてありがとう」という言葉も、たくさん伝えるようにしています。

子どもには自分は人と違うという、他人のものさしで幸せを測ってほしくない、自分のものさしで測ってほしいと願っています。

いま私は家族でゲームをしたり、おしゃべりをしたり、ごはんを食べたりするそんなありふれた日常がとても幸せです。

生きることにたくさんつまずいてきたけれど、逃げずに幸せを求めることを諦めなかったからいまがあるのかもしれません。

天翔にも幸せを求めることをこれからもずっと続けていってほしいと思っています。

誰がどんな状況で生まれても、当たり前に幸せを求めていける、そういう世の中であってほしいと思っています。