敗因は“政治とカネ”だけか

敗因は“政治とカネ”だけか
戦後、池田・宮沢の2人の総理大臣を輩出した広島県。自民党の金城湯池の1つで“保守王国”とも評されてきた。
しかし、おととしの参議院選挙をめぐって事態が一変した。保守分裂の激しい選挙の末に、巨額買収事件で当選は無効となり、やり直しとなった再選挙で、自民党は苦杯をなめた。
何が歯車を狂わせたのか、自民党の戦いを追った。
(佐々木良介、五十嵐淳)

参議院広島選挙区の過去の特集記事 “仁義なき戦い”シリーズ は文末のリンクからご覧ください

“政治とカネ”で厳しい声に

4月25日午後10時過ぎ。
報道各社が、立憲民主党などが推した宮口治子に「当確」を報じた。

それを確認した自民党広島県連会長の岸田文雄は、支援者を前に頭を下げた。
「自民党広島県連の力不足で、みなさんにおわびする。政治とカネの問題をめぐって大変厳しい声にあたった」

“案里の呪縛”で大逆風

選挙戦を通じて自民党は、“河井案里の呪縛”に悩まされ続けた。
おととしの選挙では党本部が主導して、広島県議会議員だった河井案里を公認候補として擁立。県連が推した当時の現職と熾烈な保守分裂選挙となった。
結果、夫で法務大臣も務めた克行が地元議員ら100人に総額2900万円余りを配ったとして公職選挙法違反の罪に問われ、案里が県議会議員4人に総額160万円を渡したとして有罪が確定するという、前代未聞の“巨額買収事件”に発展した。
「もともと広島で2議席独占は無理筋の話で、案里を無理矢理擁立したのは党本部であって、県連は被害者だ」

県連に所属する地方議員はいまでも悔しそうに本音を語る。
しかし有権者にとっては「党本部」だろうが「県連」だろうが「自民党」は「自民党」だ。

自民党にとっては大逆風の選挙戦となった。

再選挙の出陣式に党本部から出席した選挙対策委員長の山口泰明は、挨拶としては異例の謝罪のことばから始めた。
「まずもって党本部を代表して、2年前から続いた政治の混乱。これについては本当に皆様方にもご迷惑をおかけしていることを深くお詫び申し上げたいと思う。この選挙、大変厳しいものがある」

山口のことばは、まさに今回の選挙の厳しさを物語っていた。

序盤は“河井隠し”

「おととしの選挙で河井陣営を応援した人は広島に応援に来なくて結構だ」
告示まで3週間に迫った3月中旬。
当時、県連会長だった宮沢洋一は、再選挙に向けて党の参議院議員が選挙対策のために開いた会合でこう啖呵を切った。
宮沢としては、県連の議員が抱える党本部への不満や、有権者から寄せられる意見を踏まえたものだった。

河井夫妻と関わりがあったり、選挙で案里を応援した議員の広島入りをなくし、「県連主導」で「河井夫妻からの脱却をアピールする」戦略でもあった。
実際、選挙序盤は、閣僚や党3役が広島に入ることはなかった。

自粛する“受領議員”

大規模買収事件で、党に所属する県議会議員と広島市議会議員のおよそ3分の1にあたる24人が河井夫妻からの現金を受け取った自民党。

このうち、藤田博之は広島市議会議員で最高額にあたる70万円を受け取った。
かつては議長も務め、現在10期目の市議会の「重鎮」だ。
藤田は、告示直前の3月下旬、現金を受け取った議員が事情を話すために設けられた市議会の場で、現金を受け取ったことを認め、弁明した。

「河井克行被告からもらった50万円と20万円。違法性がある金だとの思いはあったので、角の立たないように、本人に返そうと思った。まことに軽率な行動で、多くの人の政治不信を増長したことを深くお詫び申し上げる」

一方で、藤田は次のようにも指摘した。
「自民党本部の活動資金の配分のあり方は不透明で基準がなく、新人の案里候補が現職の溝手候補の10倍の1億5000万円の活動資金を受けることは問題ないのだろうかと不信が募るばかりだ」

この日から10日後。再選挙の告示日に藤田の事務所を訪ねた。
これまで国政選挙では選挙活動を中心となって支えてきたが、今回は表立った活動を控えた。
藤田は諦めたような、やるせないような複雑な表情でわれわれを出迎え、次のように語った。

「金を配ったほうも、もろうたほうも、みんなこのたびは選挙へは参画をしないのじゃないかと思う。これまではどんな国政選挙だろうと、地域で中心的な役割をしてきた。ビラを配ったり演説会の段取りをしたり。私も政治を始めて54年になるが、初めて、いわゆる出陣式なんかを欠席する。初めての経験だ」

「まあ、渦中と言えば、渦中の人物じゃから、あまりしゃしゃり出んほうがいいだろうというのはある。1つの区切りがつけばそれぞれの言い分が言えると思うが、まだ火を噴いたばかりだ。それぞれが主張を外でしないという立場じゃないだろうか」

決死の覚悟の公明党

選挙序盤の活動の鈍さが指摘された自民党と打って変わって、並々ならぬ覚悟で選挙に取り組んだ公明党。告示日の出陣式には、幹事長の石井啓一と副代表の斉藤鉄夫が顔をそろえた。

さらに選挙戦が始まってから初の週末には、代表の山口那津男も広島入り。
街頭演説では、前回、案里を推薦したことをわび、支援を呼びかけた。
「自民党の公認候補を公明党は推薦した。私自身も皆様にお願いをさせていただいた。しかし、こともあろうに、国民の信頼、有権者の信頼を裏切るようなことをやって、大変な政治不信をもたらした。さらに、広島県内の多くの人を巻き込んでしまった」

「このような結果になったことを皆様に心からお詫び申し上げたい。本当に申し訳ない。再選挙は次の様々な選挙の前哨戦とも言われている。何としても、勝ち抜かなければならない。自公政権が襟を正す。どうぞ皆さん、勝たせてください」

覚悟のわけは

公明党が再選挙を重視したのには理由があった。

1つは、再選挙と同じ日に行われた衆議院北海道2区と参議院長野選挙区の補欠選挙のあわせて3つの国政選挙の結果が政権に与える影響への懸念だ。
3つの国政選挙については、始まる前から、「北海道は不戦敗。長野は相手の弔い合戦で戦況は極めて厳しい。勝てるとしたら広島ぐらいだ」と言われていた。
「3連敗」すれば、公明党が重視する7月の東京都議会議員選挙、そして衆議院選挙への影響は計り知れない。

そして、もう1つが、次の衆議院選挙で克行の選挙区だった広島3区で、公明党が擁立する候補に自民党からの支援を取り付けるためだった。
広島3区の候補者擁立過程では、一時、自民党と対立した。そこで、今回の再選挙で協力して勝利することで、次の衆議院選挙で、自民党側から支援を受ける「貸し・借り」を行いたいと考えたわけだ。

投開票日の1週間前には中国地方の5県の公明党所属議員を広島市に集め、臨時決起大会を開催。総動員で勝利に向けて支持を訴えることを確認。
県本部の幹部は「他党の選挙でここまでやるのは記憶にない。全力で勝利を目指す」と語気を強めた。

“背水の陣”で臨んだ岸田

一方の自民党。
今回、候補者選考から一貫して選挙戦を仕切ったのは、広島が地元で岸田派を率いる岸田文雄だ。3月末には、みずから県連会長に就任し、不退転の決意を示した。
「今回は私自身にとっても大切な選挙だ。多くの人々が、広島の政治と、私の政治における『存在感』を深く結びつけている。広島の政治の出直しは、私の政治家としての今後のありようにも大きく影響し、総裁選挙にも関わってくる。私自身、先頭に立つ覚悟で、この出直しの選挙にしっかり臨まなければならない」

保守分裂となったおととしの参議院選挙で、岸田は、県連とともに派閥の最高顧問を務めていた現職を支援。しかし、党本部が県連の反対を押し切って擁立した案里の後塵を拝し、当選させることができなかった。

去年の総裁選挙で敗れてからは、党の要職や閣僚から外れて「無役」をかこっている岸田。ことし行われる総裁選挙に立候補する意向をすでに表明しているが、地元の再選挙に敗れれば求心力はさらに低下し、総裁選挙どころではなくなる。おととしのリベンジを果たすべく陣頭指揮にあたった。
いつもの国政選挙では全国に応援に回り、ほとんど地元にいない岸田が、今回は地元に張り付いて企業回りなどを行った。

「この2年間、私たち自民党のありようを考えますと、ずいぶんおかしなことがいっぱいあった。広島の自民党としてしっかりものを言っていかなければいけない。広島の自民党が先頭に立って、自民党のありようをいろいろ変えていかなければいけない選挙だ」

なりふりかまわず “禁じ手”も解禁

党本部の支援を極力おさえ、地元が主導する形で選挙戦に突入した広島県連。
しかし、選挙戦序盤、新聞各社の報道で劣勢が伝えられると、大きく選挙戦略を転換した。

これまで演説では新型コロナ対策や経済政策を中心に訴え、買収事件のことはほとんど触れていなかった。しかし中盤からは、党本部が案里に提供した1億5000万円についても言及し、党本部の説明を求めるようになった。政治とカネの問題に正面から向き合い、改革姿勢を打ち出すことにしたのだ。

そして、地元紙には、岸田を打ち出した全面広告を掲載した。
「今度こそ信頼できる間違いのない人物を選ばなければならない。国民・県民の声をしっかりと受け止め、自民党広島県連こそが先頭に立って、自民党を変えていく。新しい自民党を私たちの手によって作り直していく。再選挙は自民党広島県連としての出直しの選挙だ」

一方で、県連幹部は河井夫妻から現金を受け取ったり、河井夫妻との親密な関係が指摘されたりした県議会の重鎮に対し選挙活動を行うように依頼。いわば「禁じ手」を解禁した。さらに、おととしの選挙で、案里支援の演説会に出席していた文部科学大臣の萩生田光一のほか、政務調査会長の下村博文も広島入りし、マイクを握った。なりふりかまわず、勝利を目指した。

あとがない岸田も、選挙戦終盤に、改めて自らの派閥の秘書団に、企業や団体、それに党の支援者などへの電話かけを最終日まで徹底するよう号令をかけた。みずからも事務所で電話をかけ続け、票の上積みを目指した。

しかし、党への逆風を改めて肌で感じたという岸田。選挙戦で日焼けした顔で次のように述べた。
「元々、自民党に所属していた議員が事件を起こし、逮捕されて、裁判にかけられて、有罪となり当選無効になった。こういった経緯がある。自民党に厳しい声があり、逆風を感じている。しかし党として、しっかりと再生をしていかないといけない」

コロナ対応も影響

果たして岸田が指摘したとおり、逆風は直撃した。
党が立てた西田は、およそ3万4000票差で敗れた。

NHKが投票日に行った出口調査では、自民党支持層のうち2割台半ばの人が立憲民主党などが推した宮口に投票したと答え、強固な自民党支持層が離れたことがうかがえた。
うなだれた様子の岸田は記者団に対し、政権の新型コロナウイルス対応も選挙に影響を及ぼした可能性を指摘した。

「新型コロナ対策について、県民の皆さんが生活に苦労されている。政治にしっかりと責任を果たしてもらいたいと思っていることを感じた選挙だった」
一方で、次の総裁選挙への影響について記者団から問われると、激しく反論した。

「今回の選挙と次の総裁選挙について、なにか結びつけるといった覚えはないし、この選挙の結果を、総裁選挙に利用するとは考えたことはない」

解散・総選挙の時期に影響も!?

菅政権にとって最初の国政選挙となった衆参3つの選挙で、自民党は、候補者擁立を見送った選挙を含め全敗した。
与党議員の多くは、「政治とカネ」で揺れた広島、現職議員の死去に伴う「弔い選挙」の長野と、いずれも個別の事情があったとして、政権運営に直接的な影響はないと平静を装う。
しかし、自民党幹部の1人は「予想以上に厳しい結果だった」と肩を落とし、別の幹部も「新型コロナ対策などへの国民の不満の表れだ」と、ショックの大きさをにじませた。今回の選挙で一度も応援に入らなかった総理大臣の菅義偉。選挙の翌日、硬い表情でこう語った。
「国民の皆さんの審判を謙虚に受け止め、さらに分析し、ただすべき点は、しっかり、ただしていきたい」
東京や大阪などに3度目の緊急事態宣言が出される中、与党内では、今回の選挙結果も踏まえ、当面は感染対策やワクチン接種に注力すべきだという意見が大勢だ。これで衆議院の解散・総選挙は、東京オリンピック・パラリンピックのあとの可能性が高まったという声も出ている。広島での敗因は「政治とカネ」の問題だけなのか。
秋までに行われる衆議院選挙に向けて、与党は体制の立て直しを迫られている。
(文中敬称略)
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広島局記者
佐々木 良介
2014年入局。鳥取局を経て広島局。広島市政担当。趣味は釣り。
広島局記者
五十嵐 淳
2013年入局。横浜局、山口局を経て広島局。県政担当。趣味は米英ニュースの視聴。