なぜ反対? 処理水放出決定に福島からは

なぜ反対? 処理水放出決定に福島からは
今月、ネット上でも盛んに話題に上っている“処理水”という言葉。東京電力福島第一原子力発電所で発生した汚染水から大部分の放射性物質を取り除く“処理”をした後に残るトリチウムなどの放射性物質を含む水のことです。
政府は今月13日に、処理水を国の基準を下回る濃度に薄めた上で、2年後をめどに海への放出を始める方針を決めました。これに対し福島県の漁業者などは強く反発しています。
政府は、放出にあたっては、トリチウムの濃度を国際的な飲料水の基準の7分の1程度に薄めるとしています。なぜ、納得が得られていないのか。福島放送局の記者たちが取材しました。
※トリチウムについて詳しくは文末で説明しています。
(福島放送局記者 吉田明人 高須絵梨 後藤駿介)

“風評対策を徹底” 本当にできるのか

「全国的に議論も全く行われておらず、処理水の安全性も全く理解されていない中で海への放出に納得できるわけがない。そもそも政府はこの10年間もこの問題を放っておき、全国に議論も呼びかけず何をしてきたんだって怒りもわいている。そんな状況で風評対策しますと言われても誰が納得するんですかと問いたい」
相馬市の漁師・高橋一泰さん(42)の言葉です。

高橋さんは県内の若手漁師でつくる県漁協青壮年部連絡協議会の会長を務めています。

高橋さんたちが強く懸念しているのは“風評被害”です。

福島県の農林水産物は、原発事故の後、「危険だ」というイメージから売れ残ったり、安く買いたたかれたりする“風評被害”に悩まされてきました。

実際には、出荷前に放射性物質の濃度を測定し、入念に安全性を確認しているのに、いまだに買い控えの傾向や全国との価格差が残り、海外にも輸入規制を続けている国があります。

それでも、おととしには東京の市場で扱われる福島産のヒラメの鮮魚の価格が全国平均に並ぶなど少しずつ回復してきています。
そんな中で処理水が放出されれば、たとえ安全だとしても、それを知らない消費者などからはまたも避けられてしまうのではないかというのが漁業者の懸念なのです。

こうした懸念に対し政府は、放出前に次のような風評対策を講じるとしています。
▼農林水産業者や地元の自治体なども加わって放出前後の濃度などを監視
▼IAEA=国際原子力機関の協力も得て国内外に透明性の高い客観的な情報を発信
▼漁業関係者への支援や観光客の誘致、地元産品の販売促進なども実施
それならば安心かというと、そうは見ていない専門家もいます。

筑波大学の五十嵐泰正 准教授が指摘するのは、風評被害を生んでいる構造的な問題です。
筑波大 五十嵐准教授
「処理水の安全性について科学的な理解を醸成していくことは非常に重要だが、風評被害の構造的な問題として流通の各段階で取引先が気にするかもしれないという過度な忖度(そんたく)が発生することで需要そのものが減退し、消費者の理解以前に買えなくなるという状況がある」
ただ、政府は生産・加工・流通・消費の各段階での対策の必要性も盛り込んでいて、この点については評価できるとしています。

10年かけても達成されていない風評の払拭(ふっしょく)が、これから放出までの2年の間に実現するのか。

処理水の処分方法を検討する国の小委員会の委員も務めた福島大学の小山良太教授は、より幅広い立場の人が参加できる議論の必要性を訴えています。
福島大 小山教授
「放出を強行することが風評を拡大してしまうので、そうならないよう政府と国民の間の信頼関係を築く取り組みができるかどうかが重要だ。そのためには汚染水と処理水の違いなどを理解してもらうための国民的議論が必要だ」

“被害は東京電力が賠償” 過去に遺恨も

もう一つの懸念が賠償です。

政府は対策を取ってもなお生じる風評被害には賠償を行うよう東京電力に求めています。

その上で、期間や地域、業種を限定せず被害に見合った賠償を行うことや、放出までの間に関係者に賠償の方針を説明し、理解を得ることなども求めています。

しかし、原発事故の損害賠償を巡っては、過去に東京電力と住民で軋轢(あつれき)が生まれる事案もありました。

賠償額に納得できない人と東京電力の和解を国の原子力損害賠償紛争解決センターが仲介する“ADR”では、平成26年から去年までに手続きが終わった1万9163件のうち、東京電力が和解案を拒否したケースは、東京電力の社員や家族による申し立てを除いて55件あったということです。

中には訴訟にまで発展しているケースもあります。

中でも浪江町では、震災前の人口の約7割にあたる1万5000人余りの住民が申し立て、センターが慰謝料を増額する和解案を示しましたが、東京電力が拒否を続け、2018年4月に手続きが打ち切られました。
吉田数博町長は、今月19日に対応方針を説明に訪れた東京電力の小早川智明社長に対し「理不尽なことが過去にあった。そのようなことがないように誠実な対応を求めたい」と述べ、不信感を伝えました。

原発事故の賠償に詳しい、大阪市立大学の除本理史教授は、こうした過去の賠償の経緯への疑問も拭えない中では、処理水の放出後に風評被害が生じた場合にも、適正な賠償が支払われるのかは不透明だとしています。
大阪市大 除本教授
「東京電力は、字面や口では『適正に賠償をします』と言っているが、過去に賠償の打ち切りなども相次いでいる中で、信じて良いのか不安に思う人が多いのは当然だと思う。処理水の影響を受ける地域や業種も幅広い中、個別のケースで損害が出ていることを立証するのも難しい。因果関係の厳密な立証を求めすぎずに、地域や業種などに分けて賠償の枠組みを作り、当事者と丁寧に議論を交わして了解を得ることが大切になってくるのではないか」
そして、賠償に関してはもう一つ忘れてほしくないことがあります。

福島で取材している中で、多くの漁業者から聞くのは、『自分たちが願っているのは賠償を受けながら暮らし続けることではない』という声だということです。

彼らが願うのは、原発事故前と同様に大漁を目指して海に出て自分の力で稼ぐ、そんな当たり前の漁業の姿を取り戻すことです。

漁業者や水産業者だけではありません。

ホテルや飲食業など観光に携わる人たちが願っているのも、福島を訪れた人たちが地元を好きになってくれることであり、観光客が減ったら賠償金をもらえばよいということではありません。

その意味で、政府と東京電力の対応が、決して賠償ありきにならないことが求められているのです。

信頼は取り戻せるか 問われる“約束”への対応

そしてもっとも大きな課題と言えるのが、地元との信頼関係です。

6年前、政府と東京電力は福島県漁連に対し、処理水について「関係者の理解なしにいかなる処分もしない」という約束をしています。

しかし政府は、漁業者からの理解が得られないまま放出の方針を決定しました。

これに対して漁業者からは「約束をほごにするのか」と怒りの声が上がっています。
福島県漁連の野崎哲会長は、今月16日に政府の担当者が説明に訪れた際、「この件に関してちゃんとした説明がなければ、これからの施策も反故(ほご)にされる懸念がある。しっかりとした説明をしてほしい」と話していました。

これに対して政府と東電は、これから放出までに理解を得ていく考えです。
梶山経産相
「実際の放出が始まるまでに約2年あるし、それまでの期間を最大限活用して懸念を払拭して理解を深めていただくべく全力で取り組んで行く。福島県漁連、全漁連ともに対話の窓口は続いていると認識している。色々な対策を打った上で説得を続けていく」
東電 小早川社長
「原発事故から10年間、漁業者の皆様にご迷惑をおかけし、心から申し訳なく思っているし、県漁連と交わした約束は遵守して参りたいと考えている。1人でも多くの関係者から理解と信頼を得られるよう説明を尽くしていきたい」
しかし、これまで一貫して放出に反対してきた漁業者の理解を得るのは容易ではありません。

そもそも放出の方針を先に決めてから「理解を迫る」構図になっていることに憤る人は少なくありません。

菅総理大臣は今月22日、福島県の内堀知事との非公開の会談で「福島県民や、特に漁業者の思いを真摯(しんし)に受け止める。できることは全部やる、その覚悟で臨む」と話したといいます。

地元では「菅総理大臣自身が、漁業者らと膝をつき合わせ話すべきだ」と言う声すら上がっています。

「約束を守る」覚悟、その実行が問われています。

“福島の復興を止めることだけは…”

福島は原発事故という未曽有の経験から復興の歩みを進めています。

福島県沖では先月末で試験操業が終わり、段階的に水揚げを増やしながら、元の漁の形に戻していこうとしています。
観光面でも、新地町と南相馬市でおととし9年ぶりに海水浴場が再開するなど、ようやく海のレジャーも復活してきていて、かつて盛んだったサーフィンなどをまちづくりに生かそうという取り組みも始まっています。

これは地元の人たちが10年間、血のにじむような努力を続けてきた証しです。

今回の方針決定で、その努力が水の泡にならないよう、政府や東京電力には「風評」「賠償」そして「信頼関係」といった課題を、具体的に解決していくことが求められています。

処理水とは

福島第一原子力発電所で発生した汚染水をALPS(アルプス)と呼ばれる放射性物質の除去装置にかけて、大部分の放射性物質を取り除く処理をした後に残るトリチウムなどの放射性物質を含む水。
トリチウム(T)は日本語で「三重水素」と呼ばれる放射性物質で、水素の仲間です。

環境中では通常の水素と置き換わる形で酸素と結びついて水(H2O→HTO)として存在しています。

そのため、水中から分離して取り除くのが難しく、福島第一原発にある放射性物質の除去装置を使っても取り除く事ができません。

トリチウムは原子力発電所では核分裂に伴って作られますが、自然界でも宇宙から飛んでくる高エネルギーの放射線(宇宙線)によって生成され、大気中や雨水、海水、それに水道水にも含まれているほか、私たちの体内にも微量ですが存在しています。

ただエネルギーが弱く、水と一緒に体から排出されるため、基準以下なら影響はほぼないとされています。

福島第一原発では1000基余りのタンクに125万トンがたまっていて、現在も1日140トンのペースで増え続けています。

タンク内のトリチウムの総量は780兆ベクレルあり、建屋内にあるものも含めると、2000兆ベクレルにのぼると推定されています。

国と東京電力は、しばらく年間22兆ベクレルを下回る水準で海に流すとしていますが、状況を見ながら徐々に増やすことを検討しています。

また、タンク内の水にはトリチウム以外の放射性物質もALPSで十分処理されずに排出基準を超える濃度で残っているものがあり、東京電力はこうした水は放出前に繰り返しALPSにかけて基準を下回るように処理するとしています。
福島放送局記者
吉田明人
平成22年入局
青森局、松山局で
原子力取材を経験。
3年前から福島局で
福島第一原発の廃炉や
避難地域の取材を担当。
福島放送局記者
高須絵梨
平成27年入局
奈良局を経て福島局。
現在は、原発と県政を
担当し、原発事故からの
復興や課題を取材。
福島放送局記者
後藤駿介
平成28年入局
警察担当を経て
南相馬支局で
震災・原発事故からの
復興を取材。