私は特捜部に“売られた” ~司法取引の真相~

私は特捜部に“売られた” ~司法取引の真相~
「なぜあいつが。いきなり俺を売った理由が分からない」
私の取材にこう打ち明けたのは、東京 渋谷区のアパレル会社の元カリスマ社長。東京地検特捜部に逮捕され、先月、業務上横領の罪で実刑判決を受けた。特捜部が日産自動車ゴーン元会長の次に「司法取引」で摘発した人物だ。組織の上層部の犯罪を暴くために、部下が上司を“売る”ことなどが初めて制度化された「司法取引」。NHKの取材に当事者たちがその実態を語った。(社会部記者 橋本佳名美)

なぜ自分がターゲットに

渋谷区のアパレル会社「GLADHAND」の元社長幸田大祐被告。先月、東京地方裁判所で3300万円余りを横領した罪で懲役3年6か月の実刑判決を受けた。現在は保釈され、判決を不服として控訴したあと、取材に応じた。

「GLADHAND」は年商6億円余り。アメリカンカジュアルのデザインが男性を中心に人気を集め、幸田元社長はアパレル業界ではカリスマ社長として知る人ぞ知る存在だ。
その自宅や会社が東京地検特捜部の捜索を受けたのは、おととし11月。水面下で内偵捜査が進んでいることには全く気付いていなかったという。
幸田 元社長
「捜索は午前9時ごろ、いきなり始まりました。玄関を開けたのは妻で、『知らない人が入ってきた』と。僕はリビングにいて玄関に行こうとしたら特捜部の係官たちがリビングに来て『家宅捜索をする』と。何を言われたのか詳しくは覚えていません」
捜索の容疑は会社の売り上げの一部を抜いて現金で保管し、着服した疑い。

この日は、捜索に立ち会ったあと、東京地検まで同行するよう求められ、特捜部の検事から横領の容疑を認めるよう厳しく追及されたという。夜には帰宅できたが、検事は小学生の息子の中学受験の志望校まで調べ上げていて、「恐怖を感じた」と振り返る。
幸田 元社長
「ここでもめたら逮捕されて家に帰れないんじゃないかと混乱しました。任意の取り調べは退席できるんだけど、当時はそんな知識もありませんでした」
この日の捜索はテレビや新聞でも報じられ、「社員の1人が特捜部との『司法取引』に応じた」と伝えられた。「司法取引」が適用された事件は日産ゴーン元会長の事件に続いて3例目。

事情聴取は翌日以降も続き、司法取引に応じた社員が前に勤めていた会社から20年以上のつきあいがある部下の「A」だという確信を深めた。
幸田 元社長
「家族ぐるみでつきあいがあり、自分の子どももAを下の名前で呼ぶほど懐いていた。Aがなぜあのタイミングでいきなり俺を売ったのか理由がわからない。本当に特捜部?俺の前はゴーン元会長ですよ?日本の検察のトップの特捜部がAのひと言で動くわけがないだろうと。真相は今もわかりません」

“司法取引”とは

「司法取引」は厚生労働省の局長だった村木厚子さんが無罪になったえん罪事件をきっかけに2018年6月に導入された。

村木さんの事件では検察がみずから描いた筋書きを容疑者に無理に押しつける取り調べの手法が強い批判を浴び、特捜部が逮捕した容疑者などは取り調べの録音・録画が原則、義務化された。

これに合わせて、捜査当局が取り調べに過度に頼らず、証拠を集める手段として、新たに「司法取引」が導入された。容疑者は共犯者の情報を提供するなど捜査に協力し、検察と合意すれば、見返りに起訴が見送られたり求刑が軽くなったりする。企業犯罪や組織犯罪で、上層部の関与を解明する捜査手法として、アメリカなど海外では広く使われてきたが日本では認められていなかった。

みずからの刑事訴追を免れるために部下が上司の不正を検察に“売る”ことなどが日本で初めて制度化されたのだ。

この事件は“試金石”

「司法取引」が適用された事件はこれまでに3件。すべて東京地検特捜部が手がけている。

1件目は3年前、タイの発電所建設事業をめぐり大手発電機器メーカー「三菱日立パワーシステムズ」の元取締役らが現地の公務員に約3900万円の賄賂を渡した罪に問われた事件。
2件目は日産自動車元会長カルロス・ゴーン被告が金融商品取引法違反の疑いで摘発された事件で、いずれも大企業や外国政府が絡む大型事件だ。

しかし幸田元社長が起訴された3件目は小さなアパレル会社の横領事件。

特捜部はなぜこの事件を対象にしたのか。検察幹部が内情を明かした。
検察幹部
「1件目は、法人としての会社と取引したため会社が社員を売る形になり、批判があった。日産事件は、注目度は高いが特殊な内容で汎用性(はんようせい)が低かった。3件目は社員が上を売るオーソドックスな形の事件がよいと思っていたタイミングで持ち込まれた。捜査を進める中で、『司法取引』を効果的・安定的に運用していくための試金石になると思った」

部下はなぜ特捜部と“取引”したのか

捜索から2週間後、特捜部は幸田元社長と側近の元店長の2人を業務上横領の疑いで逮捕した。2人はその後2回逮捕され、起訴された総額は3300万円余りに上った。
捜索から11か月後の去年10月に開かれた初公判。
検察は冒頭陳述で元社長が元店長らに指示して店の売り上げの一部を伝票とともに、繰り返し抜き取り、寝室としても使っていた事務所の一室にある金庫などで保管し、着服していたと主張した。

事務所の捜索では金庫などから元社長の自己資金を含めて総額2億円もの現金が見つかっていたことも明らかにされた。現金の「運び屋」は検察と司法取引した社員のA氏。

A氏は捜索のおよそ1か月半前のおととし10月、特捜部にみずから不正を申告し、元社長から現金を運ぶよう指示を受けたメールや書き換えた売り上げの額が記された元店長のノートのコピーなどの証拠物を提出していた。

司法取引をしないまま事件が発覚すれば、A氏自身も共犯として逮捕・起訴されるおそれがあった。

A氏はその後、証人として出廷し、元社長の指示で前の会社でも同じ手口で売り上げを抜いていたと説明したほか、給料の少なさや家族の雑用まで言いつけられていたことにも不満を抱いていたと述べた。

そのうえで、上司の不正を申告した動機については次のように証言した。
A氏
「遺書を作るくらい悩んでいました。ひと言で言い表すのは難しいですが、関与したことをひどく後悔しています」
関係者によるとA氏は元社長の指示で繰り返し不正に加担することに精神的に追い詰められていたという。

元社長側の反論

一方、幸田元社長は事実関係をおおむね認めたうえで法律的な解釈を争い起訴内容については無罪を主張した。

売り上げの一部を抜き取った目的は、見かけ上の売り上げの伸びを抑えて緩やかな成長を維持するとともに、将来の業績悪化に備えるためで、現金はそのまま保管し、税務上の問題はあっても、私的流用はなく、横領の意図はないというのだ。

さらに弁護側は司法取引に応じたA氏の供述は信用できないとも主張した。

実は、A氏は検察に元社長の不正を申告した後、検事から自身の口座に不自然な入金があることを指摘されていた。これをきっかけに、元社長の起訴内容とは別に、A氏が単独でおよそ220万円を会社から横領していたことが明らかになった。
その結果、検察とA氏側が交わした司法取引の合意文書には捜査協力の見返りに、幸田元社長の共犯としてだけでなく、単独での横領についてもA氏を起訴しないことが盛り込まれた。

このため弁護側は、A氏には自分が免責されるためにうその証言をする動機があると訴えたのだ。

裁判所の判断は?

対立する双方の主張。

東京地方裁判所は先月22日、幸田元社長に懲役3年6か月の実刑判決を言い渡した。
裁判長は司法取引に応じたA氏の供述について「信用性の判断に際しては相当慎重な姿勢で臨む必要があると考えられ、極力、争点の判断材料としては用いない」という考え方を示した。

そのうえで「元店長のノートなど客観証拠の信用性は高い。抜き取った売り上げは、自己資金と区別できない形でずさんに保管し、親族への送金や知人への貸し付けなど私的な使途に使っていた」として弁護側の主張を退けた。

量刑の理由については「悪質性、首謀者としての地位などに照らせば実刑が相当と判断した」と述べた。

幸田元社長は判決を不服として東京高等裁判所に控訴している。

「司法取引」見えた課題は

「司法取引」が日本で幅広く定着するかの「試金石」という見方もある今回の事件。複数の事件関係者への取材を通じて、法廷での取材ではわからない制度の課題も見えてきた。

その1つは会社員が周囲にわからないように捜査に協力することの難しさだ。
検察のヒアリングを受けるため、勤務時間中に上司に無断で抜け出せば就業規則に違反し、社用のパソコンなどのデータを持ち出すのもハードルが高い。何より自分が解雇されたり懲戒処分を受けたりするリスクもある。

不正を申告したA氏は、幸田元社長とともにアパレル会社の代表取締役を務める実質的なオーナーにも打ち明けていた。A氏が捜査に協力していることはオーナーも把握していたいう。

日産事件ではゴーン元会長の不正について司法取引に応じた社員は当時の経営陣からバックアップを受けていた。

取材に応じた関係者の1人は「不正を告発する社員を会社が守り、協力する形でないと日本で司法取引を行うのは難しいだろう」と述べた。

一方、元社長の弁護士はえん罪をきっかけに導入されたはずの「司法取引」が、新たなえん罪を生むリスクを指摘する。
櫻井弁護士
「検察は捜査に着手する前に司法取引に応じた社員と綿密に時間をかけて打ち合わせをしてストーリーを固めます。検察はこのストーリーに沿って周囲の関係者に自分たちに都合のよい供述や証言をさせます。このため社員の供述そのものが証拠として使われなくても、周囲の関係者の供述から誤った事実が認定される可能性があります。『司法取引』は検察にとっては麻薬のようなもので安易に使うべきではないと思います」
司法取引について検察内部からは、「供述だけでなくそれを裏付ける客観証拠の提供が必要で交渉にも時間がかかり、実際に使うのはハードルが高い」という声も聞かれる。

今後の制度の運用について最高検察庁の齋藤隆博刑事部長は、NHKの取材に対し「証拠の信用性を慎重に吟味し、運用実績を積み重ね制度の定着を図っていきたい」とコメントしている。

それでも信じたい

幸田元社長は信頼する部下が司法取引に応じたことをどう受け止めているのか。
幸田 元社長
「A氏とのメールのやり取りを見返しても、前兆は感じなかった。なぜ自分に直接、言ってくれなかったのか。言えない事情があったのか。供述調書をみると検察に『言わされている』ような感じもする。実刑をくらった状況でも、いまだにあいつらを信じている自分がいる」

定着するか「司法取引」

えん罪の防止と事件の真相解明の両面で効果を発揮することが期待され、導入された「司法取引」。

最高検察庁は、制度を導入する際、対象にするのは、容疑者の処分を軽くすることについて国民の理解が得られる事件に限るという運用方針を明らかにしている。

アメリカなど海外で広く使われてきた「司法取引」は、国民が納得する形で定着するのか。

その答えが出るまでにはもう少し時間がかかりそうだ。引き続き取材を続けていきたい。
社会部記者
橋本佳名美
平成22年入局
日産ゴーン元会長の事件など「司法取引」が適用されたすべての事件を取材