「エンジェルさん」の死が問いかけるミャンマー軍の非道

「エンジェルさん」の死が問いかけるミャンマー軍の非道
「きょうも、ひどいです」
軍や警察の弾圧を記録したSNS動画を転送してくれるミャンマー人の女性がつぶやきます。ミャンマーでは軍や警察の弾圧による市民の犠牲者が増え続け、一人一人の死の記録や検証が困難になっています。私たちはクーデター以降、市民たちが撮影してSNSに投稿した動画を集め、分析を続けてきました。すると、軍が関与を否定したある若者の死について、軍の主張を覆す状況が次々に浮かび上がって来ました。

エスカレートする暴力

まず、こちらの動画をご覧ください。
「頭を狙って撃てよ。ばか野郎」
「自転車のやつを撃て。下のやつらを連続で撃て」
この衝撃的な会話、警察官が交わしたものとみられます。戒厳令が出されている最大都市ヤンゴンのラインタヤ地区を見下ろす橋の上で3月14日に撮影されたとして出回っているものです。

これと同じ日、兵士たちが「ラインタヤでは容赦しないで重火器を使おう」と話しながら出動していく別の動画も投稿され、その後削除されました。

現地の人権団体AAPPによるとラインタヤ地区ではこの日1日だけで、60人以上が亡くなっています。

私たちは映像をもとにラインタヤで何が起きていたのか検証を続けています。

情報統制の中 世界に実情を伝えるSNS動画

半世紀以上続いた軍事政権から民政に移管した2011年以降、ミャンマーの人々はスマートフォンを手に入れ、SNSを通じて海外の情報にアクセスし、国外の人ともつながるようになりました。

連行中に突然頭を撃たれ引きずられていった人
バイクで警察官の横を通ったところ狙い撃ちにされた後トラックに積み込まれた人
警察官の膝の間に挟まれ首を絞められて動かなくなった人

クーデター後、市民たちが「#WhatsHappeningInMyanmar(ミャンマーで起きていること)」のハッシュタグとともにSNSに動画を投稿しました。軍や警察による“取り締まり”の一部です。

インターネットの遮断など軍が情報統制を強め、軍や警察、市民に紛れたスパイの監視下におかれた危険な状況にも関わらず、人々はネットがつながる場所を探して映像を投稿。撮影者が特定されないように、あまたの人の手をわたってリレーのように拡散されていきます。

NHKスペシャル『緊迫ミャンマー 市民たちのデジタル・レジスタンス』取材班では、SNSに投稿されたさまざまな映像を収集・分析してきました。

誰もがアクセス可能なデータを基に取材・調査を進める方法は、「オープンソースインテリジェンス(OSINT)」と呼ばれ、もともと警察や情報機関などで使われてきた手法ですが、デジタルツールの急速な発展により、メディアにも広がり、現地取材が難しい紛争地で起きたことの解明などに使われるようになっています。

検証!「エンジェルさん」の死の真相

市民の間で「軍によるフェイクニュース」として大きな話題になった事件がありました。

3月3日、ミャンマー第二の都市マンダレーでデモに参加していた19歳の女性が後頭部を撃たれて亡くなった事件です。
女性はチェー・シンさん、通称「エンジェル」さん。

クーデター以降、軍への抗議デモに参加する中で「もし自分が死んだら角膜や臓器を提供したい」と、死を覚悟したかのようなことばをSNSに投稿していました。
亡くなった日に着ていたTシャツに書かれた「Everything will be OK」ということばとともに、その死はミャンマー全土に知れ渡りました。
しかし数日後、軍の支配下にあるミャンマー国営テレビが、驚くべき発表をしました。「法に基づいて」遺体を検視した結果、殺害の犯人はデモ隊の側にいるはずだというのです。軍はエンジェルさんの墓を掘り返し、その場で「検視」したとみられています。
軍の主張は「被害者は後頭部を撃たれているが、治安部隊はデモ隊と向き合っていたため後頭部を撃つことはありえない」というもので、エンジェルさんの頭から摘出された弾についても、「治安部隊が使用するものとは異なる」と主張しました。

死の直前のタイムライン

私たちはまず「治安部隊とデモ隊は向き合っていて、後ろから撃つことはありえない」とする軍の主張を検証しました。

エンジェルさんが亡くなった3月3日のデモ現場の写真や映像を片っ端から検索。中でもライブ動画は実際に撮影していた時刻が記録されるため検証に適しています。
11時19分から34分まで撮影された動画に映っていた看板を衛星写真と突き合わせた結果、この時間帯、デモ隊が30番通りで部隊とにらみ合っていたことがわかります。

発砲音が激しくなった

11時50分から12時00分ごろにわたって撮影されたライブ動画では、動きが見られました。

デモ鎮圧用の放水車が放水を開始、直後に発砲音が連続して響きます。軍と警察は前進を始め、デモ隊は少しずつ後退します。
11時58分ごろ、盾を構えて隊列を組んだ警察と軍がさらに迫ってきます。発砲音は激しさを増し、デモ隊は退却を始めます。撮影者も逃げることに集中し、動画には地面と足元しか映らなくなります。

現場にいた複数の人たちからも、デモ隊が本格的に退却を始める直前の数分で発砲が強まり、逃げざるをえなくなった、という証言がえられました。

エンジェルさんはこの混乱の最中に撃たれたのか?しかしこの動画でその姿を確認することはできませんでした。

撃たれた時刻を特定

決定的な写真が見つかります。

撤退中のデモ隊を写した上の写真。リュックを背負って身をかがめるエンジェルさんの姿が確認できます。
もう一枚には、複数の人が集まって誰かが抱え上げられている様子が見えます。腕時計と靴から、エンジェルさんとみられます。

SNSをたどり、撮影者に話を聞くことができました。
撮影者
「たまたま彼女の近くで撮影をしていました。すでに軍と警察の攻撃が始まっていて、自分も逃げながら撮影していましたから、エンジェルさんの倒れた瞬間は気付きませんでした。あとで写真を見返してみて、あのとき犠牲になったエンジェルさんが映っていたことがわかったのです」
私たちは撮影者に元データを送ってもらい、カメラが記録した写真を秒単位で検証しました。

周囲の建物などから、1枚目の写真は31番通りの交差点の手前で11時59分05秒に撮影されたもの。もう1枚は、交差点よりわずかに南下した地点で11時59分35秒に撮影されたものであることが判明しました。
エンジェルさんは、2枚の写真が撮られた30秒の間に、84番通りと31番通りの交差点付近で撃たれたのではないか。

後ろ向きに逃げていた時に

この30秒の間に撮影されたとみられる動画が見つかりました。SNS上では「エンジェルさんが撃たれた瞬間」ではないかと指摘されていました。
しかし、動画の長さはわずか4秒。しかも倒れる瞬間のエンジェルさんは人影に隠れ、つまずいて倒れただけの可能性も排除できません。

取材を続けると、同じ動画の前後が含まれた22秒バージョンが見つかりました。4秒の動画より画質が粗く見にくいものの、最初のほうには場所を特定する手がかりとなる特徴的なオレンジの屋根が見えます。

別の動画に映っていた、31番通りの交差点と酷似しており、4秒の動画は、ちょうど31番通りの交差点で撮影されたものとわかりました。
さらに、後頭部に傷を負いぐったりしたエンジェルさんを乗せたバイクが、31番通りから32番通りにかけて走り抜ける様子が撮られた写真と動画も複数見つかりました。

場所や時間を特定できた映像と写真を地図上に配置してみました。
デモに参加していたエンジェルさんは、11時50分すぎに軍や警察からの発砲が始まると、デモ隊とともにじりじりと後退。映像の中には、エンジェルさんが完全に軍と警察に背を向けて走っているものもありました。

そして11時59分ごろ、31番通りの交差点にさしかかったところで、何らかの弾を後頭部に受け倒れます。

デモ隊が撤退していく中、エンジェルさんも後ろ向きに逃げていたときに撃たれた可能性が高まりました。

武器を検証

私たちは、「頭から摘出された弾は治安部隊が使用するものとは異なる」という軍の主張についても検証しました。

世界中の人権侵害を調査する国際NGOアムネスティ・インターナショナルのオープンソース調査の専門チームにコンタクトを取り、それぞれが持つ情報を交換。

アムネスティ・インターナショナルは先行して、クーデター後のミャンマーで警察と軍が市民に向けて使った武器の検証を進めており、スタッフの中には武器についての専門的な知識を有するエキスパートがいます。動画や写真の武器を改めていっしょに一つ一つ見ていきました。

エンジェルさんが撃たれたと考えられる時刻に最も近い時刻に撮影された、軍と警察の写真がこちら、11時56分25秒に撮影されたものです。
ライブ動画から、この時、軍と警察が発砲を繰り返しながらデモ隊に迫ってきていたことがわかっています。
アムネスティ・インターナショナルの専門家は、左に見える兵士が持っている武器はMA1という型のミャンマー陸軍が用いる自動小銃、右の警察官が持っているのは12ゲージのショットガンだと指摘しました。

別の軍事専門家からも同様の分析結果がえられました。

「デモ鎮圧に使ってはいけない武器」

軍と警察は実際にこれらの武器を使っていたのか。

倒れ込んだ4秒の間に記録された発砲音について、日本国内の音響解析専門の研究所と、複数の軍事専門家とともに解析しました。

軍と警察の前線と、エンジェルさんのいた位置の距離はおよそ80メートル。水平射撃で撃たれた弾の速度を想定した場合、エンジェルさんが倒れる瞬間に聞こえる発砲音は自動小銃のものである可能性が浮かび上がりました。
軍の主張を完全に覆す決定的な証拠はえられなかったものの、この日の弾圧で殺傷能力の高い軍用の武器が使用されていたと見られる状況証拠が次々と集まりました。
パトリック・ウィルケン氏
「ミャンマーでは、本来使用してはいけない軍事兵器を、信じられないほど無謀で犯罪的な使い方をしています。香港などで起きたこととも共通するのですが、本質的に、市民が抗議する権利を封じようとしています。警察は市民が抗議する権利を最大限に行使できるように促進し、支援すべきなのに」

1988年で終わっていれば…

軍や警察が自国の市民を殺害する残虐な映像を見続けるなかで、取材チームの中では何度も「なぜ」の叫びが沸き起こりました。しかしその「なぜ」に答えはありません。軍側は、「暴徒を鎮圧した」という主張を繰り返しているからです。

私たちの取材の支えとなったのは、1988年の民主化運動をきっかけに日本に亡命し、今は若い世代とともに民主化を求めて活動をしている、あるミャンマー人のことばです。

「1988年で終わっていれば、今みたいにはなっていなかった。殺した人や命令した人の犯罪を認めさせて、自分の罪をわかってもらわないと意味がない」

1988年にも多くの市民が軍によって殺されたにもかかわらず、軍はその責任を取らずに実権を握り続けました。そして今また、歴史が繰り返されているというのです。

失われた命と向き合い、何が起きたのかを記録・検証することは、私たちメディアの使命でもあります。日本にいるチームにもできることはあると信じ、取材を続けていきます。
冒頭のヤンゴン市ラインタヤ地区で同日に撮影された映像のなかには、逃げ惑う市民が銃撃される瞬間が映っているものもあります。市民への無差別銃撃があった可能性を示唆するものです。また、4月9日には中部の都市バゴーで80人以上が亡くなり、多くの遺体が軍と警察に持ち去られたといいます。ミャンマーで今、何が起きているのか。エンジェルさんの事件と合わせて、情報があれば下記のリンク先までぜひお寄せください。
社会番組部チーフ・プロデューサー
松島剛太
NHKスペシャル「緊迫ミャンマー」ではエンジェルさんの死の真相を検証するパートを担当
社会番組部デジタル開発ディレクター
高田彩子
2012~15年にかけて民政移管下ミャンマーを取材。SNS上の映像の収集整理と裏取りを担当
国際放送局ディレクター
樋爪かおり
ミャンマーの“民主化”と日本在住のミャンマー人を継続取材。今回はSNS上の映像収集・裏取りを担当
国際放送局ディレクター
高田里佳子
衛星写真などを使い映像や画像の撮影時間や場所を特定する映像データ分析を担当
チーフ・ディレクター
井上直樹
新聞社やグーグルでデジタルツールを使った調査報道普及を担い、今春入局。番組チームの伴走アドバイザーを担当