スエズ座礁事故 原因は?責任は? 今後の焦点

スエズ座礁事故 原因は?責任は? 今後の焦点
愛媛県今治市の正栄汽船が所有する大型コンテナ船がスエズ運河で座礁した事故は世界の注目を集めました。日本時間3月29日夜、何とか離礁に成功し、1週間近く続いた足止め状態は解消されましたが、物流が平常の状態に戻るにはまだしばらく時間がかかるとみられています。事故の原因についてはエジプトのスエズ運河庁が調査を行っています。これまでに明らかになったデータと取材から事故原因の可能性と責任問題についてみていきます。(松山放送局記者 的場 恵理子 武田 智成)

“天の声”で知る事故当時の状況は

海難事故や船の安全対策に詳しい専門家が松山市にいます。海事補佐人の鈴木邦裕さんです。

海事補佐人とは船の衝突事故などが起きた際に開かれる海難審判で弁護士役を務める専門家で、鈴木さんはおよそ40年にわたって国内外の海の事故を調べてきたエキスパートです。
全長400メートルの巨大なコンテナ船はなぜ浅瀬に乗り上げたのか。当時の状況を調べるため鈴木さんが見せてくれたのは大きな紙。スエズ運河の海図です。在庫は国内にはなく、鈴木さんは事故が起きてすぐに海外から取り寄せました。併せて入手したのがAIS=船舶自動識別装置のデータ。

AISは船舶の位置、進路、速度などの情報を自動的に電波で発信する装置で、500トン以上の船舶や、国際航路に従事するすべての旅客船などに設置が義務づけられています。鈴木さんはこのデータを独自のルートで入手しました。
鈴木さんはAISのデータは、いわば“天の声”だと言います。まず注目したのは船のスピード「速力」です。事故が起きた場所の水深は25メートルで、幅はおよそ150メートルしかありません。コンテナ船の幅は60メートル近くあります。

この狭い運河を世界の船が行き来するため、制限速度はおよそ7ノットと決められていますが、AISにはそれを大きく超えるおよそ13ノット、時速25キロで通過していたことが記載されていました。

鈴木さんは現地時間3月23日午前7時20分頃からの速力を示すデータのグラフを作成しました。13ノット前後で航行を続けていましたが、40分前に突然速力が低下し、40分過ぎにはゼロになりました。

この時、座礁したとみられます。

10分間の蛇行

さらに、AISのデータを詳細な海図に落とし込んだ結果、船は不自然な動きをしていたことがわかりました。

浅瀬に乗り上げる7時40分過ぎの10分ほど前から、船は左右の岸に異様に近づく蛇行運転を繰り返していたのです。
運河はすり鉢状の形をしていて両岸に向かうに従い水深が浅くなり事故を起こす危険性が高まります。

鈴木さんは「スピードがあり過ぎると蛇行する可能性は否定できない。風が強かったかもしれない、早く行きたいと思ってスピードを出したのかもしれない。しかし、現時点では特定できない」と話しています。

カギを握るブラックボックス“VDR”

原因を特定する上で極めて重要だと鈴木さんが指摘するのが、VDR=航海情報記録装置です。

VDRは、舵の切り方や速度に加え、船内での船長や乗組員のやり取りまで録音・記録されます。

事故直後から砂嵐や突風が事故につながったとの見方が示されていますが、VDRには当時の風速や風向きまでも克明に記録されているはずだと鈴木さんは言います。
事故原因を調査しているエジプトのスエズ運河庁はこれまでの会見で、強風のほか、技術的あるいは人的ミスなどが絡んで事故が起きた可能性に言及していて、VDRの解析を含めて慎重に調査しているものとみられます。

かつて、貨物船の船長としてパナマ運河など海外での航行経験もある鈴木さんは、原因の徹底的な究明、そして再発防止の対策の検討が重要だと指摘しています。
鈴木さん
「VDRの解析が進めば、全容が解明できる。船員の教育が必要なのか、運河の通行にあたって新たなルール作りが必要なのか、今後、同じような事故が起こらないよう、さまざまな対策を考えることも大切だ」

損害額は10億ドル?

今回の事故で、もう一つ大きな焦点となっているのが責任問題です。

3月31日、スエズ運河庁のラビア長官はコンテナ船の離礁作業や救助などの費用を含めた損害額が、少なくとも10億ドル、日本円で1100億円にのぼる見通しを明らかにしました。

一方でラビア長官は請求先については「調査結果を待って補償金について検討する」と述べ明言を避けました。

ここでいったんコンテナ船「エバーギブン」を整理します。
建造…今治造船(今治市)※2018年に建造

所有…正栄汽船(今治市)※今治造船のグループ会社

運航…エバーグリーン・マリン(台湾の海運会社)※正栄汽船が定期用船として長期契約を結ぶ

運航管理…バーナード・シュルツ・シップマネジメント(シンガポール ※1万4000人の船員を抱える運航管理の世界大手)

誰が費用を負担するか

一般的に事故による損害や救助にかかる費用は船主などが負担するとされています。

正栄汽船は3月26日の記者会見で次のように説明していました。

・船体保険は、東京海上日動、損保ジャパン、三井住友海上の3社に加入
・賠償保険はイギリスのP&Iクラブ(賠償責任保険組合)と契約している

正栄汽船はNHKの取材に対して保険などで一定程度はカバーされる見通しを示しました。
正栄汽船
「座礁などの事故の場合、航海中に生じた損害や費用を船主や荷主などで分担して負担する『共同海損』という制度があり、この枠組みの中で関係者が協議する。事故原因が解明された後、保険会社との話し合いによって費用が決まるだろう」

暗黙のルール?損害賠償をめぐって

しかし、賠償請求は運河の損害だけにとどまらない可能性があります。座礁事故でスエズ運河は420隻以上の船舶が6日間の停泊を余儀なくされ、世界の物流に影響を与えました。

貨物の遅れによる損害について、停泊していた船舶や荷主が賠償を求めることは理論上は可能です。

ただ、業界関係者によりますと、こうしたケースで被害を受けたほかの船主や荷主が正栄汽船に賠償を請求することは考えにくいといいます。

請求には、遅延が直接的に被害をもたらした因果関係を証明する必要がありますが、立証は難しく、またこの場合、船主に請求しないことが国際的な慣例『暗黙のルール』になっているといいます。

船主を守る保険組合

船主はどこまで責任を負うのか。大型化が進み2万個ものコンテナを運ぶ船がひとたび事故を起こせばその被害額は莫大に膨れ上がります。このため、船主の責任を一定の範囲内で保護する仕組みがあります。

船舶は自然の猛威にさらされやすいことや、海運業の重要性などを背景に賠償額に一定の限度を定める国際条約「船主責任制限条約」です。これを元に設立された船主の保険組合「P&Iクラブ」があり、正栄汽船も契約しています。

正栄汽船によると、今回事故が起きたスエズ運河があるエジプトは、現在の「船主責任制限条約」には批准しておらず、1976年の改正前の条約を採択しているということです。どちらの条約が適用されるかで賠償の上限額が大きく変わることになります。

日本が批准している現在の条約の場合、今回の事故では最大でおよそ120億円。一方で、改正前の条約になると、およそ30億円となります。どちらが適用されるかは正栄汽船が手続きを行う裁判所によって決まるということです。

「コンテナを早く届けたい」

コンテナ船「エバーギブン」は今も運河の中ほどにある湖に留め置かれ、海外メディアはスエズ運河庁のラビア長官が「調査が完了し、賠償金が支払われるまでは船はここに残る」と発言したと伝えています。

これについて正栄汽船は「賠償に関しては、主に保険会社にまかせていて、具体的な請求は受けていないが、当局と話し合いはしている。引き続き当局の調査に協力していくが、積んであるコンテナを早く届けたい気持ちもある」と話しています。

スエズ運河庁による原因の究明と、その後の責任や賠償問題がどのように進展するかが注目されます。
松山放送局記者
的場 恵理子
徳島局を経て2019年から現所属
好きな食べ物は「唐揚げ」
かんきつについて日々勉強中
松山放送局記者
武田 智成
2018年入局
経済担当として金融や観光などを取材
現在は造船業など海事産業に関心あり