脚本家の橋田壽賀子さん死去「おしん」など手がける 95歳

「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」など、数多くのテレビドラマを手がけ、文化勲章を受章した脚本家の橋田壽賀子さんが、4日急性リンパ腫のため静岡県内の自宅で亡くなりました。95歳でした。

橋田さんは大正14年に現在の韓国・ソウルで生まれ、終戦後の昭和24年に映画会社の「松竹」に入社、その後、フリーの脚本家としてテレビドラマの人気作品を数多く手がけました。

民放のテレビドラマ「愛と死をみつめて」などの作品で知られるようになり、「おんな太閤記」や「春日局」などのNHK大河ドラマも担当しました。
中でも昭和58年から59年にかけてNHKで放送された連続テレビ小説「おしん」は、明治から昭和にかけて力強く生きる女性を描いて国民的な人気ドラマとなりました。

ビデオリサーチによりますと、最高視聴率は「62.9%」で、これは国内のテレビドラマで歴代最高の視聴率だということです。

「おしん」は、アジアや中東、アフリカを中心に60以上の国や地域でも放送され、世界的なブームを巻き起こしました。

また、民放のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」は、平成2年の放送開始から500回以上放送される長寿番組となり、ありふれた日常の暮らしを描きながら社会で起きている現象を織り込み、辛口ホームドラマの代表作として高く評価されています。

平成4年には新人脚本家の育成を目的に、「橋田文化財団」を設立し、日本人の心やふれあいを温かく取り上げた番組や人に贈る「橋田賞」を毎年主催するなど、後進の育成にも力を注いできました。

橋田さんは、平成27年に文化功労者に選ばれ、令和2年には文化勲章を受章しています。

橋田さんは90歳を超えてからの雑誌への寄稿や著書の中で、自身が認知症や寝たきりになった場合には、安楽死を望んでいることを明らかにし、死の公表や葬儀を行わないよう、周囲に伝えていると、記していました。

また、文化勲章を受章した時には、NHKの取材に対し「安楽死をテーマにした作品を書きたいという思いをずっと持ち続けています。お年寄りが1人で生きる覚悟をして、どう生きるかを考えて書いてみたいです」と話していました。

橋田文化財団によりますと、橋田さんは、ことし2月下旬に都内の病院に入院し、先月中旬からは静岡県熱海市内の病院に転院、3日、熱海市内の自宅に戻ったということで、4日、急性リンパ腫のため、自宅で亡くなりました。

95歳でした。

また、財団によりますと、本人の遺志によって通夜と告別式は執り行わず、お別れの会も行う予定はないということです。

泉ピン子さん「最後はずっとそばにいられた」

橋田壽賀子さんが亡くなったことを受けて、橋田さんのドラマに数多く出演してきた俳優の泉ピン子さんは次のようなコメントを発表しました。

「きのう意識がなくなったとき 『ママ』って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。橋田さんは『悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから』といつも言っていました。『でも、私が先に逝くとは限らないけど』と茶目っ気たっぷりで付け加えたりして。ですから最後は『千の風になって』をかけて送りました。今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから 熱海に越してきた意味があったと思います」

小林綾子さん 「先生のおかげ 人生の幅を大きく」

NHKの連続テレビ小説「おしん」で主人公の子ども時代を演じた小林綾子さんは「あまりにも突然の訃報に、信じられず、寂しい気持ちでいっぱいです。私が『おしん』に出演させていただいたのは10歳の時でしたが、それ以来、橋田先生のドラマや舞台にたくさん出演させていただき、本当にお世話になりました。心から感謝しております。どんなときも、温かく見守ってくださるお優しい先生です。今こうして私が仕事をさせていただけているのは、橋田先生のおかげです。先生が『おしん』を書いて下さったおかげで、人生の幅を大きく広げていただきました。先生の作品は、いつまでもみんなの心の中で生きています。橋田先生、本当にありがとうございました」とコメントを寄せました。

石井ふく子さん「こんなに急だなんて 悔しくて」

橋田さんが脚本を務めたドラマ「渡る世間は鬼ばかり」のプロデューサーの石井ふく子さんは「橋田さんとは60年のお付き合いです。年中けんかをしたり、相談したり、家族のように付き合ってきました。1日電話をしないと『どうしたの?』と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて 悔しくて、なんと言っていいかわかりません。『あなた1人でどこに行ったのよ』という思いでいっぱいです。橋田さんは現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました。同時に『私はいつも1人だと思っていたけれど、あなたたちがそばにいてくれたのね』とおっしゃって。私は『今更、なにを言ってるのよ』と返しましたけれど。お互いに元気でいようねって話していたところでした。今、私の隣りに笑って私を見ている遺影があります。まだ、橋田さんがこの世からいなくなったなんて考えられません」とコメントしました。

伊東四朗さん「『おしん』父親役は役者人生に画期的な事」

橋田さんが手がけたNHKの連続テレビ小説「おしん」で父親役を務めた、俳優の伊東四朗さんは「あの国民的番組『おしん』の父親役に呼んでいただいたのは、その後の役者人生にとって画期的な事でした。橋田先生有り難う御座いました、ゆっくりお休み下さい。合掌」とコメントを出しました。

植草克秀さん「まだ嘘ではないかと思う気持ち」

橋田さんが手がけた「渡る世間は鬼ばかり」に出演していた俳優の植草克秀さんはツイッターに次のようなコメントを投稿しました。

「あまりの急なことに今はまだ嘘ではないかと思う気持ちです。渡る世間は鬼ばかりは自分の人生の中でもとても大きな仕事で、先生と一緒にやってこれて本当に感謝しかありません。自分の中ではいつも元気な橋田先生のイメージです。すいません、ショックでまだうまくまとめられません」

中田喜子さん「力強い声でお話なさる先生 今も信じられません」

橋田さんが手がけた、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演した俳優の中田喜子さんは「橋田先生の作品に初めて出演させていただきましたのが、25才の時でした。それから40年以上、先生が生み出す人間味あふれるドラマに出演させていただきました。いつも力強い声でお話なさる先生にもうお会い出来なくなるとは、今も信じられません。心よりご冥福をお祈り致します。合掌」とのコメントを発表しました。

藤田朋子さん「さみしいです どうしようという気持ちです」

ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演していた、俳優の藤田朋子さんは「突然のことすぎて言葉が見つかりません。毎年、お誕生日に笑顔でご挨拶させて頂いていましたが、去年は、お目にかかれず、今年は5月にお会いできるのかなと心待ちにしていました。ご病気のことも存じ上げずにいました。信じられません。先生また、お会いしたかったです。さみしいです。どうしようという気持ちです」とコメントを発表しました。

イランでも 「おしん」称える声

イランでは、NHKの連続テレビ小説「おしん」が1980年代に国営テレビで放送され、当時、ほとんどの国民が視聴したと言われるほど人気を呼びました。

首都テヘランに暮らす47歳の男性は「おしんの放送が始まると、みんなが見逃さないように画面に見入っていた。おしんは本当に面白くて、私たちはテレビを見ながらとてもよい時間を過ごせた」と話していました。

また、テヘランに住む女性は「当時、イランでは映画やドラマが多くなかったこともあって、このドラマはみんなの心をとらえたと思う」と話していました。

さらに別の女性も「本当に、本当に好きなドラマでした。おしんの放送に間に合うように当時は仕事を切り上げていた。彼女が安らかに眠れることを願っている」と話し、橋田壽賀子さんの功績をたたえたり、その死を悼んだりする声が相次ぎました。

エジプトでも 作品懐かしむ声

中東のエジプトでもNHKの連続テレビ小説「おしん」が1990年代に国営テレビで放送され、子どもに「おしん」と名付ける親が出るなど大きな人気を呼びました。

55歳の女性は、「みんな、見ていました。ストーリーに引きつけられ、同じように努力を重ねて自分たちも成長していきたいと思ったからです」と話していました。

また、別の女性は、「いいストーリーですぐれたドラマだったので、見ていました。日本人の努力を伝えるドラマでしたが、エジプト国民にも似ているところが多いと思いました」と話し、作品を懐かしんでいました。

さらに55歳の男性は、「すぐれたドラマだったので、今でも覚えています。同じようなドラマをつくってくれる人がまた、現れてほしいです」と話していました。

台湾でも速報

台湾でもNHKの連続テレビ小説「おしん」が複数のテレビ局で繰り返し放送され、人気を博しました。

台湾の各メディアは橋田さん死去の知らせを速報しました。

このうち「中国時報」の電子版は、橋田さんを「日本の国宝級の文化人で、テレビドラマの『おしん』は今でも多くの人を感動させている」とたたえた上で、安楽死を望んでいたことにも触れました。

過去には中国の当時の国家主席も「おしん」に言及

橋田壽賀子さんが手がけたNHKの連続テレビ小説「おしん」は、中国でも1985年に初めて、国営の中国中央テレビで放送され、大ヒットしました。

主人公のおしんは「阿信」と訳され、どんな苦境に直面しても強く生きる姿が中国人の心をつかみました。

過去には当時、国家主席だった胡錦涛氏が、日本訪問を前にした2008年、メディアとの会見で日本人に対する印象を聞かれた際に「おしん」について言及し、「主人公が強い信念で物事を成し遂げていく精神に深い印象を持った」と話していました。

「おしん」ロケ地の山形で悼む声

NHKの連続テレビ小説「おしん」の舞台となった山形県内では死去を悼む声が聞かれました。

このうちロケ地の1つ、山形県酒田市の男性は「びっくりしました。『おしん』は酒田にとって特別で、亡くなったといっても実感がわきません」と話していました。

また別の女性は「『おしん』が放送された当時は会社に勤めていて、みんなで休憩室で見ていたのを覚えています。『おしん』といえば酒田ですから、いつまでも記憶に残ってほしいドラマです。残念です」と話していました。

橋田さんが育った大阪の街の人は

大阪 堺で育った橋田さんが亡くなったことについて、JR大阪駅前では惜しむ声が聞かれました。

豊中市の49歳の会社員の男性は「大阪で育ったことは知りませんでしたが、ゆかりの有名人が亡くなるのは残念です。『おしん』などの重厚感のある作品や『渡る世間は鬼ばかり』といった人情味のある作品まで、さまざまな作品を残した20世紀を代表する脚本家の1人だったと思います。これからも多くの仕事をされると思っていたので、心からお悔やみを申し上げたいです」と話していました。

京都市の69歳の女性は「橋田さんが脚本を書いたドラマが好きで、よく見ていたので驚きました。日常にある小さな感情のすれ違いなど、自分にとっても共感ができる描写が魅力的で、亡くなったと聞いて残念に思います」と話していました。

大阪 北区の30歳の男性は「新しいものを取り入れた作品を次々に生み出されていて、最近も『おしん』を見たばかりでした。すばらしい作品をありがとうございました。お疲れさまでしたと言いたいです」と話していました。

東京 新宿の街の人は

橋田さんが亡くなったことについて、東京 新宿の街頭で話を聞きました。

50代の女性は「元気だと思っていたのでびっくりしました。『おしん』は、みんなテレビにくぎづけ状態でした。庶民の生活などをよく見て、きちんと表現しているなと思っていました」と話していました。

80代の女性は「『渡る世間は鬼ばかり』が楽しみでファンでした。嫁しゅうとめは難しいところがあるんだなあというところを感じながら見ていました。私も義理の親と住んでおり、よい両親でしたが、それでもやはりいろいろありますから。ご冥福を祈るばかりです」と話していました。

30代の女性は「『渡る世間は鬼ばかり』は子どもながらに衝撃的でした。今はあまりない番組なので、何かひとつ時代が終わったような感じがあります」と話していました。

50代の男性は「厳しい芸能界の中で、女性として第一線で長くやってこられたと思います。最近、芸能界で偉大な方が立て続けに亡くなっているので『またか』という気持ちがあります」と話していました。

静岡 熱海 近所の人も悼む

静岡県熱海市にある橋田壽賀子さんの自宅近くで家具店を営む佐藤勝海さん(77)は、50年近く前に橋田さんが移り住んだ頃から家族ぐるみのつきあいがあったということです。

互いに自家製の農作物を届けたり、橋田さんが本を出版する際にはサイン入りで送られてきたりと、親交を深めてきたということです。

佐藤さんは「旅行が好きな人で、おととしまで毎年、世界一周の旅に行ってきたという話を聞いていました。気さくな人柄でよいおつきあいをさせていただいていて、去年の秋ごろお話ししたときには元気そうだっただけに、亡くなったと聞き、とても残念です」と話していました。