加山雄三 “83歳の若大将” 復活秘話

加山雄三 “83歳の若大将” 復活秘話
昭和を代表する歌手であり俳優の“永遠の若大将”加山雄三さん。芸能生活60年の節目となった去年、ある苦難に直面しました。
8月に小脳出血で倒れたあと、後遺症でうまく話すことができなくなったのです。大好きな歌が歌えなくなるかもしれない。83年の人生の中でも最大の危機でした。
それでも、およそ半年間のリハビリを経て、今月復活を遂げた若大将。さらに最先端のAI技術で作成した自身の合成音声を、ふるさと・茅ヶ崎市の町なかに流すプロジェクトも始まりました。
何歳になっても前だけを見て進み続ける、その原動力はなんなのか。孫ほども年が離れた平成生まれの記者が聞いてきました。
(横浜放送局記者 山田友明)

若大将に相次ぐ不幸

加山雄三さん、83歳。慶応大学法学部を卒業後、映画の世界へ入りスターに。歌手としても大ヒットを連発し、ヨットも設計すれば絵もうまい。

80歳を過ぎてフジロックフェステイバルに出演するなど時代を超えて“かっこいい”姿を見せ続けてきた“永遠の若大将”だ。
しかし、3年前、自ら設計したクルーザーで、その船名をタイトルにした歌まで作った「光進丸」が原因不明の火災で燃えたあと、おととしには脳梗塞になるなど相次ぐ不幸に見舞われた。

そして去年8月、誤嚥によるせきこみから、脳出血を起こしたのだ。そのときの衝撃をこう振り返る。
加山雄三さん
「倒れた瞬間はね、それこそもう、えーっというくらい、繰り返し繰り返し吐いた。MRI撮ると、はっきり脳内出血って出血を起こしたやつ。うわぁ、えらいこっちゃと思ったね」

後遺症の衝撃

不幸中の幸いで脳内の出血は少なかったものの、言葉がうまく話せなくなる後遺症に悩まされることになったのだ。

当初は会話もままならない状態で、芸能活動は休止を余儀なくされた。

大好きな歌が歌えなくなるかもしれない。大きな不安を抱えながら、加山さんは、苦しいリハビリに取り組むことになった。

原動力は感謝と責任

まさに“どん底“に落ちた若大将、その時、支えになったのは、いままで関わってきた人たちへの“感謝”と必ず復帰するという“責任”感だったという。
加山雄三さん
「自分だけがいい思いをして、勝手にあの世へ逝っちゃっていいのかって、自分で自問自答しながら(後遺症と)闘っていくんですよね。自分自身が嫌な思いをすることよりも、多くの人に支えられて生きてきたということへの感謝の気持ちを考えたら、恩返しをしなきゃなという気持ちがだんだん大きくなっていくの。そのためには自分自身が努力して、治す以外の方法はないと。その時ほど、責任を感じたことはないね」

歌への影響は…?

半年間にわたって続いたリハビリでは、発音しにくい言葉を何度も何度も繰り返し練習する言語トレーニングと体力を取り戻すための運動に取り組んだ。

一方、最も心配された若大将の歌声はどうなったのか。
加山雄三さん
「カラオケで歌ってみたら、全く何のわだかまりもなく歌えるんだよね。自分でもよっぽど音楽が好きなんだろうな、つくづくそう思ったね」
そう、はにかむような笑顔で語った加山さん。この不思議な話を聞いたとき、私は「ああ、天性のスターとは、こういう人のことを言うんだな」と妙に納得してしまった。

そして、日常生活にほぼ支障がないまでに回復した若大将は、いよいよ周囲への“恩返し”に動き出す。その方法は、スターにふさわしい、周囲の度肝(どぎも)を抜くものだった。

自らの声で商店街を盛り上げる

神奈川県茅ヶ崎市中心部の、その名も「雄三通り」。茅ヶ崎の海に続く、この商店街に加山さんの深みのある“声”が響き渡った。
加山雄三さんの合成音声
「雄三通り商店街をご利用の皆様 おいしいお肉と野菜を食べて元気で楽しい毎日を送りましょう」
天下のスターが、スーパーマーケットの呼び込み?これこそが加山さんのいたずら心あふれる恩返しだった。

茅ケ崎市は加山さんにとって2歳から32歳までを過ごしたふるさと。コロナ渦でにぎわいの減った地元に何かできることをしたいと考えた加山さんは、地元の商工会や市役所などを巻き込んであるプロジェクトを立ち上げたのだ。
その名も「茅ヶ崎に愛を込めてプロジェクト」。

過去に収録していた音声データをもとにAIに加山さんのしゃべり方や声色などを学習させて合成音声を作り、この合成音声を使って、市役所やスーパー、温泉施設に病院、野球場など、さまざまな場所の館内放送やアナウンスを加山さんの声にしてしまおうと言うわけだ。

加山さんがこんなことまで!?

合成音声の“声”なら、どんな文章でも加山さんの声で読めてしまう。
みんなが集まる温泉施設では。
加山雄三さんの合成音声
「当温泉は地下1500メートルから湧き出た、茅ヶ崎初の天然温泉です」
クスッと笑ってしまう、こんな放送まで。
加山雄三さんの合成音声
「ただいまよりサウナマットの交換のため、スタッフがサウナ室に入ります。マット交換は半分ずつ行いますので、ご利用中の方はご協力をお願いいたします」
若大将がこんなことまで?と地元の人たちにも大受けだ。
プロジェクト参加者
「身近に感じますよね、この空間のどこかにいるんじゃないかって!」
プロジェクト参加者
「加山さんの声自体が非常にいいので、落ち着きますね」
施設支配人
「温泉の効能が上がったなって思いますね!」

地元の反応に加山さんは…?

この様子を映像で見てもらった加山さんもこの表情。
加山雄三さん
「俺の声を聞いて喜んでくれるなんてね、なんとも言えないくらいありがたいことだと思うよ。本当に、心の底からありがとうって言いたいし、皆さんが『ああ、いいね』ってほのぼの思ってくれることが一番うれしいんだね。つくづく、おれは『茅ヶ崎で生まれ育ってよかったな』って思うもんね」
そして、合成音声で作られた自分の“声“が、これからも残っていくことについて、楽しそうに語った。
加山雄三さん
「人のやったことのないことをいちばん最初にやるのはものすごく好きだね。(合成音声が)別に何言ったっていいんだよ!だって皆さんの前に出るんだから。どれくらい続くのかわからないけど、何かの記念の時には流してもらいたいね」

永遠の若大将の心の源は

年を重ね、多くの苦難に見舞われても、歩みを止めずに挑戦し続ける、“永遠の若大将“。

84歳の誕生日を迎える今月11日には新曲「紅いバラの花」をリリース、今後もさまざまなことに挑戦し続けるという。
加山雄三さん
「ぶっ倒れた、寝込んだ、もうだめじゃないかって言われたくらい、そういうものを全部乗り越えて、いま80パーセントくらいまで回復してきた。継続こそ力なりって言葉があるじゃない?それをやっぱりやっていきたいなって思うよね。具体的にはあと9年ぐらいは頑張りたいって気持ちはあるよね」
9年とは、また具体的だが。昭和から平成、そして令和へと、時代を超えて活躍を続ける加山さん。その原動力は何なのか、最後に聞いてみた。
加山雄三さん
「やっぱり求められなかったらすごく寂しいと思うし、ばかにされたらもう寂しいと思うだろうし、もういいよって蹴飛ばされたら…でも蹴飛ばされても立ち上がるな、俺(笑)。そういう気持ちはあるね。その気持ちもすごい大事だと思うのね。やる気だね。やる気があるかないか、それがすっごい大事だと思う」(原文ママ)
周囲の人の存在を心の支えとしながらも、決してそれに寄りかかることはしない、誇り高い若大将の心の内をかいま見た瞬間だった。

28歳の記者が感銘を受けた83歳の若大将の生き様

年の差、ほぼ3倍。大変失礼ながら、取材を始める前には、しっかりと歌を聴いたこともなかった平成生まれの私だったが、取材を終えると、加山さんの歌や言葉、そして生き様に魅了されていた。

苦難に負けない心、何事も楽しんで挑戦する精神、そして飾らない人柄。「こんな83歳になりたい」、気付けばそう感じていた。

その生き様は、加山さんの昔ながらのファンだけでなく、若い世代の心にも突き刺さるのではないだろうか。
横浜放送局
小田原支局 記者
山田友明
平成27年入局
長野放送局を経て現所属
(追記)
2日、加山さんと映画「若大将シリーズ」で共演した俳優の田中邦衛さんの死去が報じられ、加山さんは自身のホームページでコメントを発表しました。
加山雄三さんのコメント
「ショックです。邦さんに連絡をとりたくてとりたくて、ずっと気になってて、不思議なことに、2日前若大将のDVDで邦さんの姿を見たばかりだったんだよ。信じられない。今は何も言葉にならない。寂しいよ本当に寂しい。邦さん本当にありがとう」