ノーベル物理学賞 赤崎勇さん死去 92歳 青色LEDの開発に成功

青色LEDの開発に成功し7年前にノーベル物理学賞を受賞した名城大学終身教授の赤崎勇さんが1日、亡くなりました。92歳でした。

赤崎さんは現在の鹿児島県南九州市の出身で京都大学を卒業後、当時の松下電器の研究所を経て昭和56年に名古屋大学の教授になり、名古屋市にある名城大学の終身教授を務めていました。

赤崎さんは当初はほとんど見向きもされていなかった窒化ガリウムに注目し、青い光を出すのに必要な高品質の結晶を昭和60年ごろに作り出し、20世紀中は無理といわれた青色LEDの開発に初めて成功しました。
この成果によって赤・緑・青の光の3原色のLEDがすべてそろい、フルカラーのディスプレイなどさまざまな分野でLEDの実用化の可能性を広げました。

また、波長の短い青い色を出す技術はDVDなどの記憶容量を大幅に増やすことができるブルーレイディスクの開発にもつながり、大量の情報をやり取りする現代社会において欠かせない技術となっています。
こうした業績で赤崎さんは、ともに研究に取り組んだ天野浩さんや、同じく青色LEDの実現に貢献した中村修二さんとともに7年前の平成26年にノーベル物理学賞を受賞しました。また、平成23年には文化勲章を受章しています。

関係者によりますと、赤崎さんは去年の年末ごろから体調を崩し治療を続けていましたが1日、肺炎のため名古屋市内の病院で亡くなったということです。

ノーベル物理学賞 天野浩さん「世界にとっても大きな損失」

2014年にノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学教授の天野浩さんは「赤崎勇先生が他界されたという事実は、自分の中で、これから研究にどう向き合えばよいのか、心の整理がついておりません。私が先生にご指導をいただいたのは学部4年生のときからで、出来が悪い私を辛抱強く、親身になってご指導してくださり、感謝の言葉しか浮かんできません。先生がこの世を去られたことは、日本のみならず世界にとっても大きな損失であることは間違いありません。先生の研究に対する思いや研究者へのエールを引き継いで、研究を通して日本や世界の人々に幸せを届けること、および次の時代を担う人材を育てることが、先生にご指導をいただいた人間としての使命と思っております。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます」というコメントを出しました。

名古屋大学 松尾清一総長「不屈の研究者魂」

名古屋大学の松尾清一総長は「赤崎勇先生のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を表します。赤崎先生は、『我ひとり荒れ野を行く』という不屈の研究者魂で、開発が不可能とされていた青色LEDを発明され、その研究成果は世界中の人々に新しい光として届けられ、ノーベル賞受賞につながりました。諦めなければ道はひらける、という赤崎先生の研究哲学は、名古屋大学赤崎賞の中に受け継がれ、新進気鋭の若手研究者の励みになっています。お別れすることは本当に残念ですが、われわれ大学人は赤崎先生の教えを胸に刻んで、人類社会の課題解決のために一層精進して参ります」というコメントを出しました。

名城大学 小原章裕学長「常に世界を先導し続けた」

名城大学の小原章裕学長は「ノーベル物理学賞受賞者で本学の終身教授で特別栄誉教授である赤崎勇先生の突然の訃報に接し、深い哀悼の意を表します。赤崎先生は、多くの研究者が挑戦し、成し遂げられなかった高効率青色LEDを世界で初めて発明され、世界を照らす新しい光を実現されました。本学着任後も、多くの研究者や学生とともに研究に取り組まれ、常に世界を先導し続けました。長年にわたり本学の教育研究活動や学術への多大なご貢献に感謝申し上げるとともに、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます」というコメントを出しました。

愛知工業大学 澤木宣彦教授「エジソン以来の偉大な功績」

赤崎さんが名古屋大学の教授だった時に講師などとして支えていた愛知工業大学の澤木宣彦教授は「長い間調子を悪くしていて心配していたが、新型コロナの影響で会うこともできず言葉もありません。赤崎さんは、青色LEDにつながる結晶を作ることをライフワークに定め、周りの人が研究をやめるなど右往左往するなかでも諦めず、とにかくいい結晶を作ることに情熱を注いでいた。エジソン以来の電球からLEDへと照明の歴史を変えるきっかけを作った100年に1回くらいの偉大な功績だったと思う」と業績をたたえました。

また「情熱家だが、決して命令して考えを押しつけるようなことはなく、たくさんの教え子が育ったことも業績の一つだ」と人柄をしのんでいました。

指導を受けていた名城大学 竹内哲也教授「おやじみたいな存在」

大学時代、赤崎さんから指導を受けていた名城大学理工学部の竹内哲也教授は「入院されているのは知っていたが、必ず戻って来られると思っていたので本当に驚いた。先輩や後輩もみんなそう思っていると思うんですけど、赤崎先生はおやじみたいな存在だったと思います。非常に一つ一つの実験に対して、ものすごく丁寧にかつ厳しく調べられる先生で、最後の結論に至るまで、ちゃんとステップを踏みなさいよとそういうことを教えてもらいました。ずっと働いてこられたので、ゆっくりお休みくださいと伝えたいと思います」と話しました。

青色LED実用化に取り組む 石田秋生さん「職人気質にひかれた」

物理学者の赤崎勇さんが亡くなったことについて、今の科学技術振興機構、当時の新技術開発事業団で産学連携プロジェクトを担当し、青色LEDの実用化に向けてともに取り組んだ石田秋生さんは「数年前にお会いしたときにはお元気でしたが、近頃は体がよくなかったと聞いていて、心配していました。非常に残念で、ことばになりません」と話していました。

30年余り前、当時はあまり注目されていなかった青色LEDの技術に早くから目をつけていた石田さんは、LEDの材料に関する赤崎さんの論文を学会誌で読んで興味を持ち、すぐに名古屋の研究室まで足を運んだということです。

その時の印象は「キリッとした、厳格な雰囲気のある研究者で当時30代だった私は緊張しましたが、話の節々に感じる物づくりへの前向きな思いや職人気質な人柄に強くひかれ、LEDを一緒に実用化したいと思うようになりました」と話します。

その後、石田さんは赤崎さんを説得して特許の出願や企業との共同開発の話を持ちかけ、実用化に向けたプロジェクトには国の資金5億5000万円を助成し、開発成功への足がかりができたということです。

石田さんは「LEDの開発が成功し、商品が世の中に出たあとに、赤崎先生から『出会いというものは奇異なものだけど、あなたに出会えてよかった』と言われたことが何よりも心に残っています。私のほうこそ、赤崎先生と出会えたことで人生が変わり、感謝の思いしかありません。心よりご冥福をお祈りします」と話していました。

卒業した高校 LED照明で照らされた記念碑 鹿児島

赤崎さんが卒業した鹿児島市の甲南高校には、ノーベル賞受賞の翌年に建てられた記念碑があり、赤崎さんが開発したLED照明で照らされています。

甲南高校の校長「偉大な先輩の功績は子どもたちに」

甲南高校の池田浩一校長は「偉大な先輩の急な訃報をお聞きして非常に驚いています。今の生徒たちも、あとに続いていけるように、機会あるごとに偉大な先輩の功績は子どもたちに伝えていきたい」と話していました。

科学技術振興機構の理事長「頑固さを持った研究者」

赤崎勇さんが教授を務めた名古屋大学で学長をしていて、スウェーデンで行われたノーベル賞の授賞式にも出席するなど長く交流があった科学技術振興機構の濱口道成理事長は「赤崎さんの『一人荒野を行くがごとく』という言葉が一番心に残っています。実現は難しいと考えられていた窒化ガリウムを結晶化する研究に取り組み、誰も選ばない道を選んだいい意味で頑固さを持った研究者だった」と振り返りました。

そのうえで「赤崎先生は企業の研究者だった時期もあり、社会が何を求めているかを強く念頭に置いていたことが青色発光ダイオードの開発に結び付いたと思う」と赤崎さんだからこそ成功した業績だと評価していました。

京都大学 湊長博学長「先生の志を受け継ぎ 一層努力」

赤崎勇さんの母校、京都大学の湊長博学長は、「赤崎先生の偉大な功績により、本学の教育研究活動は大いに奨励され、特に学生や若い研究者に対しての大きな励みになっておりました。私達一同、赤崎先生の志を受け継ぎ、世界に貢献する創造的な研究をめざして一層努力していく所存です。心からご冥福をお祈り申し上げます」というコメントを発表しました