悪役たちの甲子園

悪役たちの甲子園
多くの人たちの期待を背負って、被災地の高校が甲子園にやって来た。
東日本大震災の発生からわずか12日後に行われたセンバツ高校野球だ。

注目が集まる中、対戦相手の高校は最後まで悪役に徹する。
その戦い方は相手を思いやって戦うとは何かを教えてくれる。

(ネットワーク報道部記者 林田健太)

3月11日

はじめは飛行機が近づいてくるような“ゴー”という地鳴りの音だった。
仙台にある東北高校の野球部はセンバツの甲子園を前に、グラウンドで練習をしていた。

やがて小刻みな揺れが続き、次の大きな横揺れで選手たちは立っていられなくなった。
フェンスや照明灯が倒れそうになるのを見て、今度は逃げるようにみんながグラウンドの真ん中に集まった。

避難した体育館で誰かが持ってきたラジオから、被害の状況が次々と流れてくる。
レギュラーの中川貴文は津波の被害にあぜんとして「もう甲子園どころじゃない」と思った。

避難生活が始まると食事が1日にバナナ1本の日もあった。
風呂に入れず汗をかけないから練習はキャッチボール程度、部員たちは学校の近くの避難所で給水などのボランティアを続けた。

そんなの、ええんかな

諦めかけていたセンバツが開催されると連絡が入ったのは、地震発生から7日後のことだった。

「日本中の人たちにとって一筋の光となることを願う」

そんな主催者のコメントとは裏腹に、中川は罪悪感を感じていた。
東北高校 中川貴文さん
「みんなが大変なときに僕たちだけ甲子園に行く。それは逃げることになるわけじゃないですか。特に僕は大阪出身で家族には何の被害もない。そんなのええんかなって」
そんな気持ちが払拭されたのは避難所で開かれた壮行会だった。
生活用品も事欠く中、段ボールで作ったボードに、大きな文字が書かれていた。

「負けるな!」
「被災地に元気を」

被災した人だけでなく、おそらく日本の多くの人たちがそう思っていたと思う。

対戦相手

甲子園で東北高校と戦うことになったのは、岐阜の大垣日大高校だ。

センバツでは4年前の初出場で準優勝、前の年もベスト4になっている。

大阪で対戦相手を決める抽選会が行われていたころ、選手たちはグラウンドで練習をして結果を待っていた。
監督の阪口慶三がグラウンドに来て告げた。

愛知の別の高校で全国制覇を果たし、大垣日大を強豪にした監督だ。
(阪口)
「今、連絡があった。相手は東北高校だ」
エースの葛西侑也は「やりづらい」と思った。
犠牲者は日に日に増え、被災地のひどい状況を何度もニュースで見ていた。
東北高校は練習がままならないことも知っていた。
大垣日大 葛西侑也さん
「相手はあんなにしんどい状況で甲子園に来る。僕ら、勝ってもええんやろうかって思いました」
1番バッターの畑和来も同じようなことを考えた。
大垣日大 畑和来さん
「これで僕らは全国的、もっといえば世界的にもアウェーだなと思いました。僕らは応援されない、正義と悪があるなら僕らは悪役の方だなと」
監督の阪口が選手たちに尋ねる。
(阪口)「今の気持ちはどうだ?」
誰かが答えた。
(選手)「ちょっと、やりにくいです」
静かだった阪口の口調がどなり声に変わった。
(阪口)
「馬鹿野郎!」

「そんな気持ちで(試合をして)相手はうれしいと思うか?」

「全力で対戦するのが礼儀じゃないのか」

「それなりに苦しい思いをして勝ち取った甲子園だろ」
畑は“苦しい思い”ということばが心に響いた。

異変

福井県出身の畑は、阪口が手紙をしたためて勧誘した選手だ。
ところが1年生の秋、体に異変が起きた。
走ると足がもつれたり、ノックを1球受けただけで息が切れたりする。
福井に戻って精密検査を受けると重度の貧血だった。
大垣日大 畑さん
「医者が血液の鉄分濃度を見て“こんなに低いのは初めてだ”と言っていました」
「毎日1時間以上、点滴をしなければならず、それが、1か月以上続きました」
その間、畑がいないチームは、大会で勝ち続ける。
東海大会を制し、全国の地区大会の優勝校が集まる明治神宮大会も勝ち上がって、日本一になった。

岐阜に戻りたくても体がいうことをきかない。
悔しい思いで眠りについた時、部屋のドアがわずかに開いて声が聞こえた。

「和来、ごめん。こんなふうに産んで、ごめん」

母だった。
布団に顔をうずめた。
涙が出た。

もう、いらないですよ

2か月後、治療が終わり、畑は大垣日大に戻った。
練習に出ようと監督の阪口にあいさつをすると、言われた。
(畑)「すみませんでした。また、練習に参加させてください」
(阪口)「もう、君はいらないですよ」
信じられないことばがさらに続く。
(阪口)
「君がいない間の結果、知っているでしょ」

「優勝したよね。うちは君なしでも優勝できるんだ」

「どうしても残りたかったら、マネージャーになりなさい」
そして、本当に練習に参加させてもらえなかった。

1打席

やらせてもらえたのは、ノックをするコーチにボールを渡すことくらいだった。
仕方がないので畑は全体の練習が終わったあと、毎日、夜の11時を過ぎてから、1人で室内練習場に行くことを決めた。

バッティングマシンを相手に、日付が変わっても打ち続けた。
ひと月ほどたったころ、「畑!」と阪口に呼び止められた。

(阪口)「君、毎晩、遅くまでやっているらしいね」

(畑)「・・・・」

(阪口)「1回だけチャンスをやる。ただし、1打席だけだ」
そのチャンスは練習試合だった。

畑は代打に起用され、たった1回だけ与えられたチャンスに臨んだ。
その時のはっきりとした記憶はないが、センター前に打球が抜けヒットになったことを覚えている。

そのあとようやく練習に参加することが許され、いわば戦力外からはい上がり、甲子園のメンバーを勝ち取ったのだ。

俺たち何か悪いことしたかな

大垣日大と東北高校の試合は1回戦の最後、6日目の第1試合に組まれた。

大垣日大のバスが甲子園に着いた時、周りから、
「負けてやれよ」
「東北に勝つな、勝たせてやれ」
といった声が聞こえた。
グラウンドに出ると声援の違いがよりいっそう鮮明になった。
大垣日大 畑さん
「あの大会は鳴り物が禁止だったんですけど、東北高校への拍手がものすごかった。比率にすると1:50、いや、1:70くらいの印象で、俺たち何か悪いことしたかなという感じでした」
試合はそうした雰囲気に包まれ、大垣日大の攻撃で始まった。

1番バッターは畑。
全力でやる覚悟を決めていたが、東北高校のエースの投球練習を見て気持ちが揺らいだ。
大垣日大 畑さん
「足が踏ん張りきれてない。球離れがはやくて、ボールもうわずっている。震災で練習ができてないと聞いたけどそのとおりだと思いました」

絶対に振れ

そんな気持ちで打席に向かう畑を呼び止めたのは、またも監督の阪口だった。

目をみて、鬼のように怖い顔で言った。
(阪口)
「初球、絶対に振れ。少々ボールでも振れ。振らんかったら、承知せんぞ!」
畑は、「そう言われたらもう、絶対に振るしかない、ピッチャーが万全じゃなかろうが、1、2の3で振ったろう」と思い直して打席に入った。

試合開始を告げるサイレンが鳴る。
ピッチャーがゆっくりと足を上げ、被災地だけでなく全国の人たちの思いを集めた1球を投げ込む。

畑は思いが集まったその初球を振りにいった。

よくやった

高めに浮いた126キロのストレート。

畑が振り切り、サイレンが鳴りやまない中、打球はライト方向に伸びていく。
ライナーでスタンドに入った。
思いを集めた球を畑はホームランにしとめた。

当時のテレビを見るとスタンドは最初、「オー」と驚きの声があがり、そのあと畑がホームインするまで、どよめきが続いていた。

監督の阪口はベンチに戻ってきた畑を、「よくやった」と褒めた。
そのあとも阪口はうわずる球を狙い打ちさせる。
バントや盗塁といった小技も絡めて東北高校を揺さぶる。

9人のバッターが5本のヒットを打って得点を重ね、初回で一気に5点をあげた。

デッドボール

大垣日大のエース葛西も東北の打線を封じ込める。
初回を三者凡退に抑え、特に4回からは5者連続で三振にとった。
そのあと5回ツーアウト、ランナーなしの場面が葛西の本気を物語る象徴的なシーンだ。

東北の1番バッター、中川が左打席に入る。
左投げの葛西の投じた初球のストレートは中川の胸元に向かってきた。

よけきれず、ひじに当たってデッドボールとなった。

ガチンコ

それまで葛西はバッターから遠いアウトコースを中心に投げて、東北打線を封じ込めていた。

バッターの中川も初球はそのアウトコースに来るとみて、思い切り踏み込んだ。
ところがボールは逆にバッターに近いインコース、それも胸元近くに来たためによけきれず、まともに左ひじに当たったのだ。
大垣日大 葛西さん
「左バッターのインコースはぶつかるかもしれないので、しっかり投げきるのが難しい。でも前の年のセンバツで、僕はそれができずアウトコースを狙い撃ちされて負けたんです」

「だから、そこからの1年、左バッターのインコース、それもきわどいところに投げきる練習をずっとやってきた」

「5点のリードがあろうが、全力で抑えにいったんですよ」
東北高校 中川さん
「高校生でこんな攻め方してくるんだ、これはガチ(本気)だと思いました」

試合後

試合は最後まで大垣日大のペースで進み、東北に1点も与えず7-0で勝った。
ヒットの数は大垣日大が17本で、東北は4本。

大垣日大の圧勝だった。

両校の選手がホームベースを挟んで並ぶと、審判が大垣日大の勝利を告げた。
その直後、大垣日大のもとに東北の選手が近寄って来て次々と同じことばを発した。
「ありがとう」

「ありがとう」

「ありがとう」 

「ありがとう」
東北高校 中川さん
「実は試合中、負けていてもうれしくてしかたなかった、相手が全力できてくれたので。手を抜かれたりするのが一番いやだった」

「大垣日大はぼくらのことも考えて、全力でやってくれたんかなと僕の中では思っています」
大垣日大が引き揚げようとしたとき、スタンドから、
「空気読めや」
「なんでお前らが勝つんや」
といった声が聞こえてきた。

そんな中で、畑も葛西も気持ちはすがすがしかった。

敬意

あの試合から10年。

東北高校の中川、大垣日大のエースだった葛西、ホームランを打った畑は大学や社会人で野球を続け、いまは3人とも現役を退いている。
畑は大手の鉄道会社に入り、そのまま安定した生活を送る道もあったが、去年、福井に戻り、ゴルフ場で働きながら少年野球チームの監督を始めた。
阪口監督のような指導者になりたいと話している。
その阪口は76歳のいまも大垣日大の監督をしている。
あの試合でなぜ、畑に初球を振らせたのか聞くと、「ピッチャーのボールがうわずっていたので、必ず高めがくると思った」と答えた。

そして、「どういう状況であっても、正々堂々、全力で。それが高校野球です」と言った。

10年前、被災地から出てきた東北高校の戦いぶりが注目されたあの試合は、相手に敬意を持って戦うとはどういうことかということを、大垣日大が悪役に徹して示した試合でもあった。