母が短大生になった理由

母が短大生になった理由
冷たい春の雨となった、3月の早朝5時。車から小走りで降りてきた母と娘は、晴れ着に合わせてヘアセットをしてもらおうと写真館を訪れました。30も年の離れた2人、長く険しい道のりを経て、この日一緒に短大を卒業します。

“5分の1人前”のパスタ

「もうお腹いっぱいです」
1人前のお皿から、小さなカップに5分の1ほど取り分けられたパスタを食べ終えると、彼女はそう言ってフォークを置きました。

千葉県に住む優奈さん(20)。その様子を隣で見つめていた母親の富美子さん(50)は、「本当にもういいの?」と声をかけながらも、それ以上は勧めませんでした。

優奈さんは、頻繁に吐き気に襲われ、食事を少量しか取ることができません。脳が疲れやすく、1日に何度も眠って休息をとらなくては体が持たず、集中力も続かないといいます。この症状には、理由がありました。
中学3年の秋、救急搬送された病院でそのまま緊急手術を受けることになった優奈さんは、小児がんの1つ「小児脳腫瘍」と診断されました。

放射線治療、そして抗がん剤の投与と、小さな体にはあまりにも過酷なものでした。おう吐を繰り返し、髪の毛も抜けてしまいました。苦しみながらも必死に耐える娘を、富美子さんはそばで見守りつづけるしかありませんでした。そして、513日間に及ぶ闘病生活の末、優奈さんは一命をとりとめました。
◆小児がんとは
子どものがんの総称で、優奈さんのような脳腫瘍のほか、白血病やリンパ腫、神経芽腫など、さまざまな種類があり、年間2000人余りが診断されているとみられています。

友達の顔も名前も覚えられない…

退院後、最も楽しみにしていたのは入学が決まっていた高校への通学。しかし、自宅から5分の道のりで何度も足が止まり、道端にしゃがみこんでしまいます。

雑踏、看板、信号、踏切…。

街中にあふれる“情報”を、優奈さんの脳は処理できなくなっていました。新しい友達の顔と名前を覚えることも難しくなっていました。

命を救うために行われる抗がん剤や放射線による厳しい治療が、成長過程の体の機能に大きなダメージを与えることで生じる「晩期合併症」。人によって症状は異なりますが、治療後になってさまざまな障害が現れることがあるといいます。
富美子さん
「覚えなくてはいけないことの多さに、脳が極限状態だったのだと思います。頑張ろうとする意欲はあるのに、ことごとく覆され、だめなんだと壁に直面する。次第に自分を卑下するようになり、あれもできないこれもできない、『私には無理』と言うようになりました。完全にもとには戻れなくても、また楽しい生活が送れると思っていましたが、これが脳腫瘍の現実なんだと思い知りました」
富美子さんには、抱えてきた後悔がありました。

実は、優奈さんに異変が現れたのは、小児脳腫瘍と診断される5か月前のことでした。中間テストで突然成績が急落し、まるで別人のように無気力になったのです。富美子さんは優奈さんを連れて病院をいくつも受診しますが、原因はわからず「思春期ゆえの精神疾患」「うつ病」と診断されました。

症状は日に日に悪化し、秋には寝たきりに。体重は20キロ以上も減りました。心療内科に入院することになった当日の朝に意識を失い、救急搬送されて初めて、本当の病名を知ったのです。
富美子さん
「どうしてもっと早く、病気を見つけてあげられなかったんだろうと。医師からは見つかった時が治療の始まりだから自分を責めなくていいのだと言われましたが、親が気付いてあげるしかないのにと本当に後悔しかなく、この気持ちは一生消えないと思います」
発病前は勉強が好きで、中学生のころから「留学したい」と口にしていた優奈さん。

富美子さんと一緒にお菓子を作りながら「将来は栄養士になろうかな」「それなら理系かな、勉強頑張らなきゃね」、そんな会話が日常でしたが、その日々には戻れないことを突きつけられていました。

学校から日に日に足は遠のき、3か月で退学せざるをえませんでした。

“最後の教育”を…決意した母

その後、特別支援学校の高等部に進んだ優奈さん。大学への進学は諦めていました。しかし、富美子さんはあるとき、娘の本心に触れることになります。

中学時代の友人たちに再会し、進学を目指して頑張る姿を見て「やっぱりいいな、私も大学行きたかったな…」と小さくつぶやいたのです。富美子さんと父親の隆さんは、もう一度、同世代の輪の中で娘を笑顔にしたい、十分すぎるほど頑張った娘に楽しい思い出を作ってあげたいと、受け入れてくれる大学探しに奔走します。

ところが、現実は厳しいものでした。

毎月病院に通わなければいけない中で出席日数が不足してしまうことが壁となったり、精神障害者手帳を持っていると知ったとたんに断られたりもしました。ようやく受け入れてくれる千葉県内の短期大学にたどりつきますが、喜んだのもつかの間、新たな不安が膨らみました。
富美子さん
「いざ冷静になってみると、1人で通わせるのはどうだろう、できるだろうか?と不安がよぎりました。具合が悪いときには自分のことで精いっぱいになってしまいます。周りを気遣うことができなくなったら、友達に距離を置かれてしまうかもしれません。高校を退学した時のような思いはさせたくありませんでした」
そして、富美子さんは、ある決断をします。
富美子さん
「周りからフォローしてもらえるかは未知数で、最初から頼ることはできないとなると、行動できるのは家族しかいない。それなら、私も短大に行ってしまおうと決断しました。保護者が付き添うという形ではなく、自分も学生なら自然な流れで一緒に行動でき、周りにも受け入れてもらえるんじゃないか。大学進学は、自分たち親がしてあげられる“最後の教育”だと思ったんです」
富美子さんは、優奈さんと同じ短大を受験することを決意しました。ともに受験勉強に取り組んだ結果、2人は無事合格。

優奈さん18歳、富美子さん48歳の春、30も年の離れた2人は、一緒に“短大生”になりました。

母 プログラミングに戸惑うも…

富美子さんは、毎日片道2時間かけて車を運転し、優奈さんと通学しました。脳の疲労で板書の記録が難しい優奈さんに代わり、富美子さんがノートをとります。移動教室の際には2人分の荷物を富美子さんが持ち、まさに“二人三脚”のキャンパスライフが始まりました。

そんな2人は、予想をはるかに超えた喜びに出会うことになります。

富美子さんと優奈さんが入学したのは「ITコース」。体調が悪いときもパソコンさえあれば、自宅でも課題に取り組めるのではないかという、大学からの提案でした。娘をフォローしようと張り切っていた富美子さんでしたが、若い学生に混ざってプログラミングなどの授業についていくだけで精いっぱい。優奈さんが体調を崩して授業を抜けざるをえないときには、2人分の作業を進めなくはいけませんが、とても追いつきません。

そんな時、あるクラスメイトがさっと席に近づき優奈さんの分をすばやく終わらせてくれたといいます。それが“当然”のことのように。思わず涙が出そうになった富美子さん。

戻ってきた優奈さんは「あれ?お母さん早いね」。

「いやいや、あちらの方がやってくれたのよ」

そのことばを聞いた優奈さんの顔に、ぱあっと笑顔が広がりました。そして次第に、親子の周りに友人の輪が広がっていったのです。
富美子さん
「思った以上に、周りの友人が助けてくれました。親子まるごと輪に入れてくれて、食事もカラオケも、私もいていいと言ってくれて。お店の人からしたら、学生プラス親って、どういう組み合わせなのか不思議に思っていたでしょうが、優奈の笑っている姿を見ていると、本当にみんなありがとうという気持ちでいっぱいでした」
1年目はほとんど欠席せずに乗り切った優奈さん。
2年目は新型コロナの感染拡大で、ほとんど自宅でのオンライン授業となり、孤独を感じていましたが、友人たちが毎月会いにきてくれ、卒業までの支えになりました。

一方で、2人もまた、周囲の友人たちに大きな影響を与えていました。
「優奈ちゃんは体の面でしんどいときでも、できることを一生懸命やっていて、その頑張りを見ているとすごく元気をもらえて、私も頑張らなきゃという思いが生まれていました。優奈ちゃんとお母さんと出会えたことで、学べることは決して当たり前ではないんだと気付かされたんです」

300ページの卒業論文

そして迎えた、卒業式。たくさんの友人に囲まれて一緒に写真を撮り合う、笑顔の優奈さんと富美子さんの姿がありました。
教室で2人の名前が呼ばれ、それぞれに卒業証書が手渡されました。優奈さんに気持ちを聞くと、富美子さんに笑顔を向け「ずっと一緒に通ってくれてありがとうかな」と語りかけていました。
この日までに富美子さんは「513日の闘病記録」と題した「卒業論文」をまとめていました。

優奈さんが救急搬送された日から過酷な治療を乗り越えてきた日々が、300ページにわたって詳細に記されています。

そして、最後のページには…。
闘病後、今まで普通にできていたこと、好きだったことができなくなった娘ですが、自信を無くし、自己肯定感がさがることもあります。そんな時に、過酷な治療を頑張ったということを思い出して、下を向いた顔を、空を見上げられるようになってほしいと思います。
これからを生きていく娘へ、2年間、同級生だった母のエールが込められた300ページにわたる“手紙”でした。
卒業後、優奈さんは、この1年外出機会が減ったことで低下した体力を取り戻そうと、しばらくはリハビリに取り組み、その後、就労を目指すということです。

闘病後も「晩期合併症」という症状と、生涯つきあっていく小児がんの経験者。

医療の面でも長期のフォローアップが欠かせませんが、今回の取材を通じて、進学や就職などの面でも支援の在り方を考える必要があることを知りました。

優奈さんのように「学びたい」と願いながらも、その夢を実現できていない小児がん経験者は多くいるのではないか。

その夢を“当たり前”に実現できるように、現状を知り、何が必要か、私も含めて社会で考えていきたいと思いました。
社会部記者
藤島温実
2013年入局
高知局、熊本局、警視庁担当を経て
現在はおもに教育・福祉分野を取材
拉致問題担当