大相撲 春場所優勝の照ノ富士 21場所ぶり大関復帰が確実に

大相撲の大関復帰を目指す関脇の照ノ富士が春場所千秋楽の28日、大関 貴景勝に勝って12勝3敗として去年7月場所以来となる3回目の優勝を果たしました。

春場所千秋楽の28日、11勝3敗で単独トップの関脇 照ノ富士が大関 貴景勝を押し出しで破り、12勝3敗として去年7月場所以来、3回目の優勝を果たしました。

照ノ富士は、平成29年の九州場所で大関から関脇に陥落したあと、ひざのけがや病気のため一時は序二段まで番付を下げていました。

それでもけがの回復に伴って少しずつ番付を戻し、およそ2年半ぶりに幕内に復帰した去年7月場所ではおよそ5年ぶりとなる2回目の優勝を果たして復活を強く印象づけました。

さらに三役で臨んだ直近の2場所で合わせて24勝を挙げ、今場所は大関復帰がかかりました。

序盤から持ち味の力強い四つ相撲のほか土俵際での粘りも見せて白星を重ねました。

10日目を終えた時点でトップの高安に星2つの差をつけられていましたが、大関復帰と優勝を目指し冷静に相撲を取り続けました。

10日目終了時点でトップと星の差2つをつけられた力士が逆転優勝するのは、1場所15日制が定着した昭和24年夏場所以降では、平成31年初場所の玉鷲以来、9人目です。

照ノ富士「本当に皆さんのおかげ」

照ノ富士は、土俵下で行われた優勝インタビューで「ほっとしている。このような応援がなかったら元の位置に戻ることができていなかった。本当に皆さんのおかげだ」と感謝の気持ちを示しました。

大関 貴景勝を破って優勝を決めた一番について「土俵に上がる以上は自信を持って上がっている。勝ててよかった」と振り返りました。

大関復帰が確実となったことについては「1日1日、必死に前向きで頑張って、結果が出る日が来ることを信じてやってきた。本当によかった」と心境を話しました。

また、一時、引退を考えていたことについて聞かれ「そうですね。皆さんの応援のおかげで戻ることができました」と時折、声を詰まらせながら話しました。今後の目標については「1場所、1場所、1日、1日集中していい相撲を取っていい姿を見せられるように頑張りたい」と力強く話していました。

照ノ富士に殊勲賞

これに先立って三賞の選考委員会は、東京 両国の国技館で開かれ14日目までに11勝を挙げて優勝争いで単独トップに立っている関脇 照ノ富士が殊勲賞に選ばれました。

また、前頭2枚目でここまで9勝を挙げた若隆景が上位陣から白星を挙げ相撲が技能的だと評価され、初めての技能賞に選ばれました。

大関復帰確実の照ノ富士 けがなどで一時 番付は序二段まで下げる

日本相撲協会は春場所後に関脇・照ノ富士の大関昇進に向けた臨時の理事会を開催することを決め、照ノ富士の21場所ぶりの大関復帰が確実になりました。

大関経験者の照ノ富士は、小結だった去年11月場所で13勝、関脇で迎えたことし初場所は11勝と三役で臨んだ直近の2場所で24勝としていました。

今場所は持ち味の圧力のある四つ相撲のほか土俵際での粘りも見せて順調に白星を重ね、終盤には正代と朝乃山、それに貴景勝の三大関を破るなど、12勝3敗の好成績を挙げ3回目の優勝を果たしました。

特に10勝目を挙げた13日目、正代との一番では、まわしを取って一気に前に出る圧倒的な勝ちっぷりを見せました。

直近3場所の勝ち星の合計は、大関昇進の目安とされる33勝を上回る36勝を挙げました。

昇進の議論を預かる日本相撲協会の八角理事長は、審判部の要請を受けて大関昇進に向けた臨時理事会の開催を決めたことを明らかにしました。

これで照ノ富士の大関昇進が確実になりました。

照ノ富士は平成29年の九州場所で大関から関脇に陥落したあと、ひざのけがや病気で一時は序二段まで番付を下げていました。

大関経験者が十両以下に番付を下げたあと大関に復帰するのは、昭和以降では初めてです。

照ノ富士とは…一時は引退考えるも 師匠に説得されとどまる

照ノ富士は、モンゴル出身の29歳。

来日後は、強豪の鳥取城北高校に入学しその後、間垣部屋に入門しました。

平成23年5月の技量審査場所で若三勝のしこ名で初土俵を踏み、間垣部屋の閉鎖に伴って伊勢ヶ濱部屋に移籍したあとしこ名を今の照ノ富士に改めました。

体重およそ180キロの恵まれた体格を生かした力強い四つ相撲でぐんぐん番付を上げ、平成26年の春場所に新入幕を果たし、関脇だった平成27年の夏場所には12勝3敗で初優勝しました。

初土俵から25場所目での優勝は、年6場所制となった昭和33年以降、幕下付け出しの力士を除いて、歴代3位のスピード記録で場所後に大関に昇進し横綱候補として期待されました。

しかし、ひざのケガや糖尿病などから稽古のできない状態となり、平成29年名古屋場所から4場所連続で休場し、その年の九州場所に2年間務めた大関の地位から陥落しました。

さらに平成30年夏場所からも5場所連続で休場し、おととしの春場所には序二段にまで番付を下げました。

大関経験者が幕下以下に陥落するのは昭和以降では初めてのことで、一時は引退も考えました。

それでも師匠の伊勢ヶ濱親方に説得されて思いとどまり、けがや病気の回復に伴って少しずつ稽古を再開し再び番付を上げていきました。

前頭17枚目「幕尻」で幕内に復帰した去年7月場所にはおよそ5年ぶりとなる2回目の優勝を果たして復活を強く印象づけました。

ひざのけがは完治していませんが、大関時代を思わせる力強さに、積み重ねてきた四つ相撲のうまさが加わり、白星を重ね続けました。

そして今場所、三大関を破って12勝をあげ、目標として口にし続けていた大関復帰を確実にするとともに自身3回目の優勝を果たしました。

大関昇進の目安と過去の事例

大相撲の大関昇進について明文化された基準はありませんが、「3場所連続で三役を務め、合わせて33勝以上」が目安とされています。

照ノ富士は、小結で臨んだ去年11月場所で13勝、関脇で迎えたことしの初場所では11勝を挙げていました。

今場所は、持ち味の四つ相撲で大関を圧倒するなど力強さ強さを見せて12勝を挙げて優勝し、直近3場所の勝ち星の合計で昇進の目安の33勝を上回り、36勝としました。

大関昇進の判断は、日本相撲協会の審判部に委ねられていて、過去には、この目安を満たさずに昇進した例もある一方で、満たしたのに昇進しなかったケースもあります。

去年3月の春場所後に大関に昇進した朝乃山は目安に1つ足りない32勝でしたが、新三役から3場所続けてふた桁勝利を上げたことや四つ相撲の安定感を評価されて昇進を果たしました。

去年9月の秋場所後に昇進した正代も直近3場所は32勝で、起点となった春場所は8勝止まりでしたが、その前の初場所で優勝争いに加わったほか、秋場所では初優勝も果たし、安定した勝ち星と相撲内容が高く評価されました。

平成23年の九州場所後に大関に昇進した稀勢の里と平成26年の名古屋場所後に昇進した豪栄道も3場所で合わせて32勝と目安には白星が1つ足りませんでしたがそれまでの安定した成績が評価され昇進となりました。

一方、把瑠都は、平成22年初場所までの3場所でいずれも三役を務め、12勝、9勝、12勝を挙げて合わせて33勝としましたが、昇進は見送られ、14勝を挙げた次の春場所後に大関昇進を果たしました。

また雅山は大関から陥落したあと三役で迎えた平成18年の名古屋場所までの3場所で、10勝、14勝、10勝を挙げて合わせて34勝としましたが、大関復帰はなりませんでした。

雅山の昇進を見送った理由について、当時の審判部は「もう1勝ほしかった」と説明するなど昇進の判断はそれぞれの事例で異なっています。

照ノ富士の大関昇進については、場所前に伊勢ヶ濱審判部長が「33勝はクリアしないといけないと思う。ふた桁勝ってほしい」と説明していました。

今後の大関昇進の流れは

大関昇進の議論を預かる日本相撲協会の審判部は、今月31日に東京・両国の国技館で夏場所の番付編成会議を行い国技館内の別の場所で行われる臨時の理事会に照ノ富士の大関昇進を諮ります。

理事会の決定をもって大関昇進が正式に決まり、協会が使者を派遣し照ノ富士に大関昇進を伝達します。

平幕以下に番付を落としながら大関復帰を果たした力士では昭和52年に魁傑の伝達式が行われています。

照ノ富士が2回目の伝達式でどのような言葉で使者にこたえるかその口上が注目されます。