大相撲 横綱 鶴竜が現役引退 年寄「鶴竜」襲名し後進指導へ

大相撲の横綱 鶴竜が現役を引退しました。
年寄「鶴竜」を襲名し、今後は親方として後進の指導にあたることになります。

現役続行の意思も一転…

これは24日午後、日本相撲協会が発表しました。

鶴竜は近年、腰や左足、右ひじなどのけがで休場が相次ぎ去年の11月場所までの12場所のうち、3分の2にあたる8場所を休場して11月場所後には横綱審議委員会から「休みがあまりにも多い。横綱としての責任を果たしているとは言えない」などとして「引退勧告」の次に重い「注意」の決議をされました。

しかし、その次のことし1月の初場所は、腰のけがで休場し進退をかける覚悟を示していた今場所も左足を痛めて初日から休場していました。

鶴竜は5場所連続、通算20回目の休場となり、師匠の陸奥親方から「辞める選択肢もある」と引退を促されましたが「気持ちは切れていない。次も取りたい」と現役続行の意思を示していました。

ところが、場所後の横綱審議委員会からは厳しい意見が出ることが予想されることなどから一転、現役続行を断念したものとみられます。

鶴竜は引退届を提出し、日本相撲協会は24日理事会を開いて鶴竜の引退を承認しました。

16歳で来日 優勝通算6回 横綱在位41場所

鶴竜はモンゴル出身の35歳。相撲の経験はありませんでしたが、16歳だった平成13年に来日し、その年の九州場所で初土俵を踏みました。

スピードと相撲のうまさを生かした巧みな取り口が特徴で、特にもろ差しは師匠だった元関脇 逆鉾、当時の井筒親方から教わった得意の形でした。

まじめな性格で熱心に稽古を続け地道に技を磨いて番付を上げていきました。

平成18年の九州場所に新入幕、平成24年の春場所後に大関に昇進しました。大関になってからは2年間で体重を10キロ近く増やすなど、相撲のうまさに力強さが加わり、平成26年の春場所で初優勝し、場所後に横綱昇進を果たしました。

年齢を重ねるにつれて腰や足などのけがに苦しみ、満足な成績を残せない場所もありましたが、辛抱強く土俵を務め続けました。

おととし9月には、師匠だった当時の井筒親方が亡くなって陸奥部屋に移籍し、新たな部屋で若手を指導するなど、横綱として変わらない姿勢を見せていました。

ただ、近年は以前にも増して休場が目立つようになり、腰や左足、右ひじなどのけがで、平成30年九州場所からの12場所のうち3分の2にあたる8場所を休場して、去年の11月場所のあと、横綱審議委員会から「休みがあまりにも多い」などとして「引退勧告」の次に重い「注意」の決議を受けていました。

しかし、その次に迎えた、ことしの初場所は腰のけが、春場所は左足のけがで休場し、ファンに土俵での復活を見せることがかなわないままの引退となりました。

優勝回数は通算6回と平成の終わりから令和にかけての大相撲を支えた横綱の1人で、横綱在位は41場所でした。

鶴竜は去年、親方になるために必要な日本国籍を取得していて、年寄「鶴竜」を襲名し、今後は後進の指導にあたることになります。

真面目で温厚な人柄 若い力士の手本にも

横綱 鶴竜は真面目で温厚な人柄で知られ、真摯(しんし)に相撲に取り組む姿勢は若い力士の手本となってきました。

数々の記録を塗り替えてきた横綱 白鵬の存在感に比べれば、鶴竜は、どうしても“地味な横綱”に見えてしまいますが、淡々と表情を変えることなく土俵に上がり務めを果たし続けてきました。

たとえ負けても、支度部屋では穏やかに取材に対応し、敗因や体の状態、今の心境といった質問に一つ一つ丁寧に、時には冗談を交えて流ちょうな日本語で答えました。

記者との雑談にも気軽に応じ、格闘技やプロスポーツの話題も好きで、人に対しての誠意を欠かしませんでした。

そんな鶴竜が近年、繰り返していたことばがあります。

「いつもと同じようにやる。それがいちばん大事で、難しいことだ」
いつもと同じように稽古をして、同じように心を整え、同じように土俵に上がる。淡々とそれを繰り返し、当たり前のように勝ち星を重ねなければならない。内に秘めた覚悟が感じられることばでした。

その姿勢は、多くの若手力士にとって手本となるものでした。三役経験者の阿炎をはじめ、大翔鵬や極芯道など、付け人を務めた力士は、関取に昇進したあと鶴竜の姿勢から学んだと口をそろえます。

阿炎は「追いかけてきた大きな横綱です」と話し、大翔鶴は「ふだんの立ち居振る舞い、穏やかで優しくてめちゃくちゃ強いところを手本にしている」と語りました。

「相撲に対する姿勢、体調管理など横綱からたくさんのことを学ばせてもらい感謝しかない。目標の力士」と感謝のことばを重ねたのは極芯道でした。

おととし、師匠だった当時の井筒親方が亡くなったのに伴い、陸奥部屋に移籍するという環境の変化がありましたが、そこでも姿勢は変わりませんでした。同じモンゴル出身の若手、霧馬山に対して相撲だけでなく、食事の量を増やすよう生活面での指導も行った結果、霧馬山は幕内上位に番付を上げるまでに成長しました。
鶴竜は去年、日本国籍を取得し「相撲のおかげでここまで来られたし、恩返しをしないといけないという気持ちがあった。次のいい力士を育てて恩返しをしたい」と後進の指導への意欲を話していました。

自分に厳しくも他人には温かい人柄で慕われてきた横綱は、親方になってからも多くの関取を育てていくに違いありません。

日本相撲協会 八角理事長「いい力士 育ててほしい」

日本相撲協会の八角理事長は引退した横綱 鶴竜について「最後まで何とか戻ろうと努力をしていたが、今場所、出られなかったということが残念だろう。体調を整えて場所に挑むのが横綱のつとめだが、それが果たせなかったということだろう」と話しました。

そのうえで、41場所にわたって横綱をつとめたことについて「けががいろいろあって休場も多かったが、よく頑張ったのではないか。真面目な横綱だったと思う」と評価しました。

そして、今後は年寄「鶴竜」を襲名し親方として後進の指導にあたることについて「横綱と親方は違う。今の師匠についてよく勉強して、いい力士を育ててほしい」と期待を込めていました。

日本相撲協会 芝田山広報部長「次の場所 難しかった」

日本相撲協会の芝田山広報部長は引退した横綱 鶴竜について「春場所前から本人も悩んでいたと思うが誰が見てもわかる状況だった。稽古ができていないし、次の場所にかけると言っても難しかった。年齢も年齢だから潮時と言えば潮時だ」と話し、35歳の横綱の決断に理解を示しました。

そして「次の横綱を担う力士がめざましく急成長してきての引退ではないことが残念だ」と話し、若い力士たちに対して改めて奮起を求めていました。