「信念は、揺るがない」 握りつぶされる香港で

「信念は、揺るがない」 握りつぶされる香港で
選挙で、自分がよいと思う候補者を選ぶことができる。当たり前のことだと思っていませんか?
これが、香港では極めて難しくなります。中国が、香港の選挙制度を大きく変えると決めたからです。民主主義を求める香港の人たちの声は、今まさに握りつぶされようとしています。
(香港支局・若槻真知支局長)

「もはや選挙に意味はない」

3月11日、午後。

中国の首都・北京で開かれた全人代=全国人民代表大会で、盛大な拍手が起きました。

香港の選挙制度の変更が決まった瞬間です。

中国が掲げたのは「愛国者による香港の統治」。

中国共産党の基準で「愛国者ではない」とみなされれば、議会選挙や政府トップの行政長官を選ぶ選挙に、立候補すらできなくなるという考え方です。

その狙いは、中国や香港の政府に反対してきた民主派を、政治の場から排除しようというものです。

約2000キロ離れた、香港。

喫茶店では、習近平国家主席の顔とともに繰り返し伝えられるテレビのニュースに、気をとめる客は1人もいませんでした。

街の人たちもあきらめ顔です。
「北京が決めることに、もう何も言えないでしょう」

「選挙には、もはや何の意味もありません」
去年6月に施行された「香港国家安全維持法」によって、反対の声を上げるための抗議活動すら封じられていることへの無力感もあったのでしょう。

民主派政党の代表は、党の存続すら危ぶまれる事態だと、苦悩をにじませました。
香港の民主党・羅健煕代表
「政治家として理念を貫くことができないなら、言いたいことが言えないのなら、政治に参加する意味があるのでしょうか」

香港を中国共産党のコントロール下に

もともと香港の選挙は、市民が直接投票で選べる範囲は限られ、親中派に極めて有利な制度になっていました。

中国がさらに徹底して民主派を排除する方針を打ち出した背景には、おととし(2019年)以降、市民の支持を受け、勢いを増した民主派に対する危機感があります。
専門家は、香港の政治を中国共産党のコントロール下に置くことが目的だと指摘します。
立教大学・倉田徹教授
「習近平指導部は、香港の政治問題が中国に影響を与え、共産党政権の安定を損なうことを気にしています。ことしは、共産党結党100年の節目でもあり、政権の威信を高める意図があるのです。香港の民主化は終わりを告げたと言わざるをえません」

中国が恐れた「目標」

特に中国が見過ごせなかったのは、民主派が選挙に向けて掲げていた「ある目標」です。

それは、議会にあたる立法会の議員選挙で過半数の議席を獲得したうえで、香港政府の予算案を繰り返し否決し、行政長官を辞任に追い込むことを目指すものでした。

立法会の議員選挙を2か月後に控えた去年7月、民主派はこの目標を大々的に打ち出して、候補者を絞り込む「予備選挙」を行いました。

民主化運動の中心的な役割を担ってきた、香港大学の戴耀廷元准教授(56)らの呼びかけでした。

戴氏らの狙いは、香港政府とその背後にいる中国政府に圧力をかけ、民主化に向けた譲歩を引きだすことでした。

民主派にとっては、香港国家安全維持法によってデモなどの抗議活動が封じ込まれる中、最後のチャンスとも言えるものでした。
戴耀廷氏
「民主派が勝てば、立法会に与えられた力で民主改革を推進することができるのです」

「奇跡」の予備選挙

予備選挙には、予想をはるかに上回る61万人もの市民が参加しました。

じっとしていても汗が吹き出すような蒸し暑さの中、整然と並んで投票の順番を待つ人、人、人。

民主派が掲げた目標への、市民の強い支持を示すものでした。

いつも穏やかな戴氏も、「これは奇跡だ」と興奮気味に話しました。

一方、中国や香港の政府にとっては、立法会で民主派に過半数を奪われるという最悪のシナリオを、現実味をもって突きつけられる形となりました。

予備選挙のあと、香港政府は議員選挙を1年延期すると発表。

これによって、中国が香港の選挙制度の変更を練り上げる時間を作り出しました。

ことしの全人代で、選挙制度の変更について説明した習近平指導部のメンバーは予備選挙を批判し、戴氏が言うような「奇跡」はもう起こさせないという姿勢を強調しました。
全人代・王晨副委員長
「香港を乱そうとする者が選挙を利用して、政治を妨害しようとしてきた。強力な措置を講じて香港の法秩序を損なう危険を防止しなければならない」

「真田幸村」の勇敢さを

予備選挙に関わった民主派のメンバーたちは、今回の中国の決定を前に姿を消しました。

全人代開幕の5日前の2月28日、戴耀廷氏ら民主派の政治家や活動家47人が一斉に起訴されたのです。

予備選挙を通じて「国家政権の転覆を狙った」として、香港国家安全維持法違反の罪に問われました。
被告の1人、何桂藍氏(30)はネットメディアの元記者です。

抗議活動の取材で活躍し「記者姉さん」のニックネームで知られていました。

香港の言論の自由を守るため、政治の場で市民の意見を代弁したいと議員を志したといいます。

予備選挙の取材の際には、日本のドラマが好きな彼女らしく、徳川家康という強大な敵を前に勇敢に戦った戦国武将、真田幸村の名前を挙げ、圧力に屈しない覚悟を示していました。
何桂藍氏
「強大な力に直面して抵抗をあきらめるのか。最後の1人まで闘い続けるのか。真田幸村の選択は、信念を貫くことでした。香港の人々が、民主や自由を手に入れる価値があると信じていれば、中国共産党がどんな手段で弾圧してもあきらめる理由にはならないのです」

信念を貫いた「記者姉さん」

起訴から一夜明けて始まった、保釈を認めるかどうかの裁判。

ほとんどの被告が今後、政治活動への関与やSNSによる発信をやめると明らかにしました。

「香港をよりよい社会にしたい」と政治を志した人たちの多くが、志を断念せざるを得ない状況に追い込まれています。

こうした中、傍聴席のテレビモニターに映る何氏の姿は、思ったより元気そうに見えました。

ほかの被告たちがしょうすいし、焦りやいらだちの表情を見せていたのとは対照的でした。

何氏はきぜんとした態度で、最後まで自分の信念を貫く姿勢を崩しませんでした。

これに対して裁判官は、保釈を認めませんでした。

ほかの被告たちと抱き合って別れを告げ、退廷した何氏。

いま、独房に勾留されていると伝えられています。

起訴された47人のうち、保釈が認められた11人を除く、何氏など36人は長期間、勾留される見通しです。

香港国家安全維持法違反の最高刑は無期懲役です。

今後、有罪となれば、厳しい判断となる可能性があります。

「こんなの香港じゃない」

47人の裁判には、大勢の市民が集まって声援を送りました。

「これは暴政だ」「政治犯を釈放せよ」などと書かれた横断幕を広げる人も。

護送車に乗せられた被告たちを見送るため、多くの人たちが「応援しているよ」と沿道から懸命に呼びかけました。

朝7時前から傍聴券をもらうために並んでいた50代の女性に声をかけると、涙を浮かべながら答えました。
「あの人たちは私たちの身代わりで拘束されているのです。毎日、自分だけ好きなものを食べられるのが、申し訳ない気持ちになります」
ただ、警察は市民に対しても厳しい取締まりを行っています。

傍聴券を求めて並んでいた人に対し、感染防止策の「集合規制」を適用して罰金7万円余りを科したり、護送車が通る周辺の道路を封鎖したりしました。

裁判所を遠巻きに見つめていた男性が、怒鳴り声の警察官に追い立てられ立ち去る間際につぶやいたことばが、忘れられません。
「こんなの香港じゃない」

「信念は、揺るがない」

私自身、「香港は変わった」と感じることが多くなりました。

いつも快く取材に応じてくれた人から、当局ににらまれるかもしれないからと取材を断られたり、匿名にするよう求められたりすることも増えました。

ある民主派の区議会議員は「発言や行動に自己規制をかけるようになったことが、自分でも本当に悔しい」と嘆いていました。

一方で、47人の被告の1人「記者姉さん」の何桂藍氏が以前「圧力では、人の信念を揺るがすことはできない」と話していたことを思い出します。

中国政府の言う「愛国者による香港の統治」に、こうした人たちの声が届く余地は残されているのか。

見届けなければと思っています。
香港支局長
若槻真知
国際部、ソウル支局、
富山放送局を経て
2018年から香港支局