奪われた日常を描く

奪われた日常を描く
画用紙に描かれた鏡に向かって涙を流す女の子。服はところどころに穴が開いています。中東シリアでの内戦から10年。38万人が死亡し1200万人が家を追われ“今世紀最悪”といわれる人道危機は今も続いています。今回、避難先での生活を余儀なくされている子どもたちがシリアを描いた絵をもとに話を詳しく聞きました。大好きだった家を失った彼女が鏡の中に見える世界は「希望のない未来」だといいます。子どもたちにとってシリアの10年間は、そして今は、どのようなものなのでしょうか。(国際部記者 佐野圭崇)

未来に頼るべきものは何も残っていない

私の名前はブドゥール。12歳です。住んでいた部屋を描きました。でも、今はその部屋も家もありません。
住んでいたのはシリア第2の都市アレッポ。私が3歳だった9年前に町で戦闘が始まり、それから4年にわたり、すべてが破壊し尽くされました。

あの日、小学校で授業を受けていたときのことでした。突然大きな爆発音が響き、地面が大きく揺れました。戦闘機が爆弾を落としていったのです。教室に兵士が駆け込んできて、私たちを安全な場所に連れて行ってくれました。しかし、同級生のムハンマドくんとララちゃんはこの爆発で死んでしまいました。

学校から戻ると家が燃えていました。近くの戦車が突然爆発したそうです。家族はみんな外出していて無事でした。私たちは家の前に集まり、ただただ燃える様子を見るだけでした。
私は家で過ごす時間が大好きでした。子どものころの楽しかった思い出がいっぱい詰まっていました。火が消えた後、いつも一緒だった緑の目がかわいかった人形のフッラを助け出そうとしたけど、私の部屋がどこにあったのかも分からず、見つかりませんでした。フッラは焼けて灰になってしまいました。

大切にしていたものがある日突然、なんの前触れもなく失われてしまうのだと思うと、とても悲しくなり、家の前で泣き続けました。

絵は、家を失ったときのことを思い出して描きました。鏡の前で涙を流している女の子は私です。今は記憶の中にしかない私の部屋と、ちゃんとした服さえもない、すべてを失った今の私を絵の中で1つにしました。未来に頼るべきものは何も残っていないことを表現しようと思いました。

離れていても心はともに

この絵も私の家を題材にしました。心臓の上に建つ家を描くことでどんなに離れていてもアレッポの家と私の心は強く結ばれていることを表現しようと思いました。心臓は私そのもので、家は何ものにも代えることができない、大切で愛おしいものでした。

その家が内戦でなくなってしまい、大好きだったアレッポもがれきになりました。心臓を覆うツタで私の胸を締め付ける破壊とその悲しみを表現しました。
今、私は難民です。
でも、いつか必ず、家族と一緒にアレッポに戻り、家を建てて、以前のような幸せな生活を送りたいという願いを込め、はい上がるためのはしごを描き加えました。

今は政府の支配下にあるアレッポですが、まだ安全とはいえず、そんな日がやってくるのか、今はわかりません。けれど、きっと、ある日、目を覚ましたら、何もかもが悪い夢だったと思えるときがやってくると信じています。そうでなければ、毎日の生活を送るのが本当につらくなるのですから。

デモから内戦そして泥沼化

10年前、中東各国では民主化運動「アラブの春」が広がりました。シリアでも3月に民主化を求めるデモが拡大しましたが、これをアサド政権が武力で弾圧しました。そして、政権側とアサド大統領の退陣を求める反政府勢力との内戦となりました。
ブドゥールさんが住んでいた大都市アレッポは最大の激戦地の一つとなりました。内戦では、欧米各国や隣国のトルコなどが反政府勢力を支援、ロシアやイランがアサド政権を支援しました。混乱に乗じて過激派組織IS=イスラミックステートも台頭し、その掃討にクルド人勢力も加わって泥沼の戦闘が続いてきたのです。
劣勢だったアサド政権はロシアの空爆の支援を受けて優勢に転じ、反政府勢力やISの支配地域を次々と奪還して、いまや軍事的な勝利をほぼ確実にしました。一方、人権団体などによりますと、アサド政権はこの10年、人々を次々に拘束し、およそ10万人が失踪し、行方がわからないままになっているということです。

ある日戦場になった遊び場

私の名前はイフラス。13歳です。
8年前の出来事を描きました。

あの日、私はいつものように9人のきょうだいと遊んでいました。お父さんは牛やニワトリを飼育し、広大な牧場が私たちの遊び場。かけっこをしたり、サッカーをしたりして毎日楽しく過ごしていました。

よく晴れた、日差しの強い夏の日。いつものように牧場を走り回っていると…。
頭上に突然、戦闘機が飛んできて、爆弾を落としていきました。私たちは走って逃げて無事でしたが、一緒に遊んでいた牧羊犬や草をはんでいた牛は死んでしまいました。これ以上詳しいことは覚えていません。

そのとき私は5歳。2013年の夏のはじめの出来事でした。
生まれ育ったのはシリア東部にあるホムスという町。昔ながらの市場やモスクがあり、ローマ時代の円形劇場もありました。ここでも政府軍と反政府勢力が市街戦を行い、市民が取り残される事態となりました。

“困難とともに安楽がある”

もうホムスにはいられないと、その日のうちに家族とともに40キロ離れた町に避難しました。

しかし、そこでもまもなく空爆が始まりました。当時、男の人が突然いなくなり、町には軍隊に捕まり拷問されるという噂が広がりました。お父さんは捕まるのを恐れ、ほかの男の人たちと隣の国レバノンに向かい、私たち家族もお父さんのあとを追うことになりました。

レバノンまでは30キロあり、山の中を歩きました。目の不自由なおじいちゃんや足の不自由なおばあちゃん、それに親戚など合わせて20人と行動を共にしました。

歩き始めて2日目の夜のこと。
怖くて眠れず、先を行くお父さんのことを考えていたとき、あたりが突然昼間のように明るくなり、大きな音が響き渡りました。私たちは急いでその場を離れて、先を急ぎました。

夜が明けると、ハーリド、ハリーフ、アフマド、ムハンマドの4人の親戚の姿がありませんでした。レバノンに着いたら再会できるだろうと、そのときは思いましたが、4人は銃弾に当たり死んだとあとから聞かされました。

イスラム教の聖典コーランにこんな一節があります。
「困難とともに安楽はある」と。

私たち家族はこの10年、本当につらい思いをしてきました。でも、その中でも楽しいこともありました。この先もそういう思いで生きていこうと思います。

ほとんど記憶にない祖国

私の名前はルジャイン、9歳です。シリアから逃げてきたのは2歳のときでした。今はイラクのキャンプでお父さん、お母さん、それに妹たちと暮らしています。私にとって、シリアの記憶はほとんどありません。

妹たちはみんなイラクの難民キャンプで生まれたので、シリアのことは知りません。私たちはお父さんとお母さんからシリアの話を聞いて、いつかみんなで行けたらいいねって話しています。

飛んでいきたい

私が描いたのはチョウです。一番先を飛んでいるのがお父さんで、あとはお母さんと私と妹たち7人。チョウなら、誰の目も気にせず、空を飛んでどこにでも行くことができるから。

イラクとシリアの国境も関係ない。みんなでチョウになってシリアに住んでいるおじいちゃんやおばあちゃんに会いにいきたいです。そう思ってこの絵を描きました。

シリアでは内戦が落ち着き、みんなが戻ることができるといいますが、お父さんはシリア軍の兵士にならなかったから、捕まってしまうかもしれない。誰もお父さんを捕まえない日が来るまで、私たちはここにいないといけないのです。

その日まで私はしっかり勉強してお母さんのお手伝いもするつもりです。

内戦続き終わり見えず

過激派組織ISは2019年には東部最後の拠点も制圧され弱体化しました。そして、アサド政権は反政府勢力を北西部に追い詰めました。いまは、アサド政権の後ろ盾のロシアと反政府勢力を支援するトルコの停戦によって、大規模な戦闘は収まっています。

アサド政権は国内避難民や国外の難民に帰還を呼びかけていますが、ルジャインさんのお父さんのように、戻って拘束されたり、危害を加えられたりするのではないかと、シリアに戻るのをためらう人たちが多くいます。

この10年の混乱と内戦で、シリアでは国民の2人に1人にあたる1200万人が家を追われました。“今世紀最悪の人道危機”と呼ばれる内戦の終結に向けた道筋はいまだ見えず、3人の女の子たちがシリアに帰るめどはたっていません。

※記事はNHKが行った子どもたちへのインタビューをもとに構成しました。
国際部記者
佐野圭崇
2013年入局
山口局を経て国際部
中東・アフリカ地域を担当