兵庫県民熱愛のイカナゴ 不漁の意外なワケとは?

毎年3月ごろになると、兵庫県では地元の新聞やテレビに必ず取り上げられるニュースがあります。瀬戸内海のイカナゴ漁の解禁です。この数年は不漁で、そのたびに大きく報道されています。去年、神戸に異動してきた私は「ことしもどうも不漁らしい」という話を聞き、心配する人たちの真剣な様子を見て興味を持ちました。県外ではあまり聞かない魚、イカナゴ。その不漁が、なぜ大きなニュースになるのか。取材を始めると、海をめぐる深い問題と長い歴史、それに県民の熱い愛が見えてきました。(神戸放送局記者 初田直樹)
イカナゴってどんな魚?
イカナゴは最大で20センチほどに成長する小魚です。アジアやヨーロッパのほかアラスカまで世界中に分布します。日本では瀬戸内海や北海道の北部、それに宮城県から茨城県の沿岸に特に多く生息しています。
1月ごろにふ化すると、毎年2月下旬から3月上旬ごろに体長が4センチほどの稚魚「シンコ」に育ちます。
1月ごろにふ化すると、毎年2月下旬から3月上旬ごろに体長が4センチほどの稚魚「シンコ」に育ちます。

この大きさになるころが、瀬戸内海ではことしの漁の合図で、神戸市や明石市の漁港などに水揚げされます。
兵庫県によりますと、県内の漁獲量は20年前までは多い年で3万トンを超えていましたが、その後徐々に減り、4年前の平成29年は1000トンにまで激減。去年はわずか147トンでした。
兵庫県によりますと、県内の漁獲量は20年前までは多い年で3万トンを超えていましたが、その後徐々に減り、4年前の平成29年は1000トンにまで激減。去年はわずか147トンでした。

かつて60億円を超えていた生産額も、去年は3億7900万円にまで落ち込み、漁業者が大きな痛手を受けています。
“郷土の味”が大ピンチ!
この“イカナゴ激減ニュース”、兵庫県民にとっては一大事です。それはイカナゴが県民熱愛のソウルフード(!)だからです。
水揚げされたばかりのシンコを、しょうゆや砂糖などで甘辛く煮つけた「くぎ煮」。
昭和10年に出版された本に、こう書かれています。
水揚げされたばかりのシンコを、しょうゆや砂糖などで甘辛く煮つけた「くぎ煮」。
昭和10年に出版された本に、こう書かれています。
魚谷常吉『滋味風土記』より
「釘煎(くぎいり=くぎ煮のこと)は、玉筋魚(=イカナゴ)料理の中で最も美味のものである。酒によし、飯によく、其の上保存が利くといふのが嬉しい」
「釘煎(くぎいり=くぎ煮のこと)は、玉筋魚(=イカナゴ)料理の中で最も美味のものである。酒によし、飯によく、其の上保存が利くといふのが嬉しい」
なんと神戸市内には「くぎ煮発祥の地」の石碑が2つもあります。
このくぎ煮、阪神・淡路大震災の支援のお礼にと各地に届けられ、全国にもファンが多いそうです。
このくぎ煮、阪神・淡路大震災の支援のお礼にと各地に届けられ、全国にもファンが多いそうです。

現在、県内には製造会社が10社以上あり、販売の専門店もあります。
私も初めて買ってみました。近所のスーパーでは50グラム、430円。「いくら」や「うに」ほどではありませんが、結構、いいお値段です。
私も初めて買ってみました。近所のスーパーでは50グラム、430円。「いくら」や「うに」ほどではありませんが、結構、いいお値段です。

熱々のごはんに乗せて食べると、甘塩っぱい味が口のなかに広がり、これが、おいしい!そして意外と柔らかい。何杯でもごはんが進みそうです。ショウガやクルミ、山椒を一緒に炊いたものなど、さまざまな種類がありました。

イカナゴの水揚げが盛んに行われる明石市の魚の棚商店街を訪ねました。
創業89年、地元の海産物を中心に扱う老舗で話を聞くと、シンコの値段はこの数年で4倍ほどに高騰。
そのため「くぎ煮」も値上がりしていて、この5、6年で販売価格が2倍になったそうです。
創業89年、地元の海産物を中心に扱う老舗で話を聞くと、シンコの値段はこの数年で4倍ほどに高騰。
そのため「くぎ煮」も値上がりしていて、この5、6年で販売価格が2倍になったそうです。

白川社長
「創業以来、県内のくぎ煮を仕入れていましたが、とうとう去年は、北海道など県外で製造されたものを仕入れました。明石産にこだわっていただけに苦渋の決断でした。庶民の味がすっかり高級魚になりました。今後の対策で少しでも回復してほしいです」
「創業以来、県内のくぎ煮を仕入れていましたが、とうとう去年は、北海道など県外で製造されたものを仕入れました。明石産にこだわっていただけに苦渋の決断でした。庶民の味がすっかり高級魚になりました。今後の対策で少しでも回復してほしいです」
不漁の理由を徹底調査
どうして減ったのか話を聞こうと、県の水産技術センターを訪ねました。

迎えてくれたのは反田實技術参与、瀬戸内海の環境と魚の研究歴40年のプロです。
案内された部屋には所狭しとホルマリンのなかに細長い生物が入れられた瓶の山。その数はおよそ500個。
案内された部屋には所狭しとホルマリンのなかに細長い生物が入れられた瓶の山。その数はおよそ500個。

反田さん
「これ全部、イカナゴなんです。35年分ありますよ」
「これ全部、イカナゴなんです。35年分ありますよ」
イカナゴと瀬戸内海の水のデータに着目した反田さん。県の特命を受けてイカナゴ不漁を解明する研究チームのリーダーとして5年かけて徹底的に調べ上げました。
すると、海中に含まれる窒素やリンなどの「栄養塩」の濃度が、深く関わっていることがわかってきました。
すると、海中に含まれる窒素やリンなどの「栄養塩」の濃度が、深く関わっていることがわかってきました。
反田さん
「栄養塩は植物プランクトンの養分になりますが、瀬戸内海では30年前と比べると3分の1に低下しています。プランクトンが減り、それを食べるイカナゴにも影響が及んでいるんです。実際、30年間でイカナゴは20%ほど細く小さくなり、1匹当たりの産卵量も30%減っています」
「栄養塩は植物プランクトンの養分になりますが、瀬戸内海では30年前と比べると3分の1に低下しています。プランクトンが減り、それを食べるイカナゴにも影響が及んでいるんです。実際、30年間でイカナゴは20%ほど細く小さくなり、1匹当たりの産卵量も30%減っています」
瀬戸内海で今何が
では、なぜ、海から栄養塩が失われることになってしまったのか。反田さんに聞いてみると意外な答えが返ってきました。
反田さん
「それは、瀬戸内海が“きれいになりすぎた”からなんです」
「それは、瀬戸内海が“きれいになりすぎた”からなんです」
きれいだから不漁!?
瀬戸内海の歴史をひもときながら教えてくれました。
瀬戸内海沿岸では、1970年代から工場や企業の立地が相次ぎ人口が増加。工場の水や生活排水など、窒素やリンが含まれる水が海に多く流れ込みました。その結果、プランクトンが繁殖して赤潮を引き起こしていたのです。
瀬戸内海の歴史をひもときながら教えてくれました。
瀬戸内海沿岸では、1970年代から工場や企業の立地が相次ぎ人口が増加。工場の水や生活排水など、窒素やリンが含まれる水が海に多く流れ込みました。その結果、プランクトンが繁殖して赤潮を引き起こしていたのです。

毒性のプランクトンもあり、養殖ハマチがたくさん死んだこともありました。
赤潮を防ぐため、国は排水規制を強化し、下水処理施設の整備が進められました。すると、徐々に海水の透明度が高くなり「きれい」になったのですが、栄養塩も流れこまなくなり、プランクトンが少なくなったのです。
反田さんは、これがイカナゴ激減の主な原因だと指摘します。まさに“水清ければ魚棲まず”の状態だったのです。
赤潮を防ぐため、国は排水規制を強化し、下水処理施設の整備が進められました。すると、徐々に海水の透明度が高くなり「きれい」になったのですが、栄養塩も流れこまなくなり、プランクトンが少なくなったのです。
反田さんは、これがイカナゴ激減の主な原因だと指摘します。まさに“水清ければ魚棲まず”の状態だったのです。

反田さん
「海がきれいになりすぎて、食物連鎖がゆがめられてしまったのです。これまでのように、きれいにするという考え方一辺倒ではなくて、そこに暮らす市民も含めて、瀬戸内海をどういう海にしていくか考える。イカナゴの激減は、そのきっかけにもなるのではないでしょうか」
「海がきれいになりすぎて、食物連鎖がゆがめられてしまったのです。これまでのように、きれいにするという考え方一辺倒ではなくて、そこに暮らす市民も含めて、瀬戸内海をどういう海にしていくか考える。イカナゴの激減は、そのきっかけにもなるのではないでしょうか」
資源回復へ 池の水を全部抜く!?

兵庫県は地元の漁協と協力して対策に乗り出しています。その1つが「海底耕うん」です。
爪がついた器具を海に沈めて船で引っ張り、底を掘り起こすと、堆積した砂や泥の中にある窒素やリンが海中に放出されます。
爪がついた器具を海に沈めて船で引っ張り、底を掘り起こすと、堆積した砂や泥の中にある窒素やリンが海中に放出されます。
兵庫県では現在、全国最多の年間延べ2300隻が作業にあたっています。
地元の明石浦漁業協同組合は、市民にも海の抱える問題を知ってもらおうと240万円かけて「海底耕うん」についてのプロモーション動画を作成し、YouTubeで公開しています。
明石市は地域におよそ100あるため池の底にたまっている栄養塩たっぷりの泥水をポンプを使って、海に流し込む「かい掘り」という取り組みに力を入れています。
地元の明石浦漁業協同組合は、市民にも海の抱える問題を知ってもらおうと240万円かけて「海底耕うん」についてのプロモーション動画を作成し、YouTubeで公開しています。
明石市は地域におよそ100あるため池の底にたまっている栄養塩たっぷりの泥水をポンプを使って、海に流し込む「かい掘り」という取り組みに力を入れています。

さらに「魚食教育」も。講師が小学校に出向き、子どもたちと魚をさばいて食べる授業です。
おいしさを知ってもらい海の問題にも関心を持ってもらうのがねらいです。
来年は明石市で「全国豊かな海づくり大会」も開催され、県ではこうした取り組みを発信したいと考えています。
おいしさを知ってもらい海の問題にも関心を持ってもらうのがねらいです。
来年は明石市で「全国豊かな海づくり大会」も開催され、県ではこうした取り組みを発信したいと考えています。
法律や条令の改正も
さらに、兵庫県は2019年、「環境の保全と創造に関する条例」を改正しました。
豊かで美しい瀬戸内海の再生に努めることを県や事業者の責務とし、工場や生活排水に含まれる窒素やリンなどを適切に管理して海中濃度の下限を定めたもので、全国でも初めての条例です。
そしてことし2月26日、兵庫県などが訴えたきた「瀬戸内海環境保全特別措置法」の改正案が閣議決定しました。
これまでのように窒素やリンなどの濃度を低下させるだけでなく、高めることも可能にしたうえで、沿岸の府県がそれぞれの海域の実情に応じて濃度の目標値を設定できるようにするとしています。
豊かで美しい瀬戸内海の再生に努めることを県や事業者の責務とし、工場や生活排水に含まれる窒素やリンなどを適切に管理して海中濃度の下限を定めたもので、全国でも初めての条例です。
そしてことし2月26日、兵庫県などが訴えたきた「瀬戸内海環境保全特別措置法」の改正案が閣議決定しました。
これまでのように窒素やリンなどの濃度を低下させるだけでなく、高めることも可能にしたうえで、沿岸の府県がそれぞれの海域の実情に応じて濃度の目標値を設定できるようにするとしています。

戎本組合長
「栄養塩を適正に管理することで『豊かで美しい海』を目指したい。全国の皆さんに瀬戸内海のおいしい魚を食べてもらって、子や孫の代にもつなげていきたいです」
「栄養塩を適正に管理することで『豊かで美しい海』を目指したい。全国の皆さんに瀬戸内海のおいしい魚を食べてもらって、子や孫の代にもつなげていきたいです」
きれいな海から、豊かな海へ

3月6日、ことしのイカナゴのシンコ漁が始まりました。
明石市の林崎漁協の初競りでは1キロ3800円の過去最高値が付きました。関係者は「去年よりはいくぶんマシだが、状況は厳しいままだ」と話しています。
今回の取材で印象的だったのは兵庫県民の“イカナゴ愛”。
商店街で「イカナゴについてお話しを聞かせて」と切り出すと、
明石市の林崎漁協の初競りでは1キロ3800円の過去最高値が付きました。関係者は「去年よりはいくぶんマシだが、状況は厳しいままだ」と話しています。
今回の取材で印象的だったのは兵庫県民の“イカナゴ愛”。
商店街で「イカナゴについてお話しを聞かせて」と切り出すと、
「本当に困ってるのよ」
「庶民の味じゃなくなってきたわ」
「さみしいわよ。春の明石はイカナゴだものね」
「庶民の味じゃなくなってきたわ」
「さみしいわよ。春の明石はイカナゴだものね」
たくさんのお話を聞かせてもらいました。
瀬戸内海の栄養塩不足の影響は、ほかにものりの色落ちや貝類の減少などにもみられます。自然が相手なので、対策の結果がすぐに出るのは難しいかもしれません。
それでも、行政の取り組みや法改正を追い風に、豊かな瀬戸内海を取り戻すことにつながることを県民が期待しています。
瀬戸内海の栄養塩不足の影響は、ほかにものりの色落ちや貝類の減少などにもみられます。自然が相手なので、対策の結果がすぐに出るのは難しいかもしれません。
それでも、行政の取り組みや法改正を追い風に、豊かな瀬戸内海を取り戻すことにつながることを県民が期待しています。

神戸放送局記者
初田直樹
新聞社勤務を経て平成29年入局
令和2年から現所属
イカナゴだけでなくタコやタイも有名な明石市政担当
初田直樹
新聞社勤務を経て平成29年入局
令和2年から現所属
イカナゴだけでなくタコやタイも有名な明石市政担当