ラストラン 踊り子「185系」昭和から令和へ40年にわたり活躍

JRに変わる前の国鉄時代に製造され、およそ40年にわたって特急などに使用された「185系」と呼ばれる「国鉄型特急」が、13日のJR東日本のダイヤ改正で引退することになり、12日に最後の運行をしました。これでJR東日本の国鉄時代に製造された特急車両は、定期列車として姿を消すことになりました。

「185系」と呼ばれる車両は、伊豆半島の各地と東京を結んできた特急「踊り子」や首都圏の通勤ライナーとして広く使われてきました。

車両が製造されたのは国鉄時代の昭和56年で、以来およそ40年にわたって活躍。13日のダイヤ改正で引退することになりました。

国鉄時代に製造された特急車両の定期列車はJR東日本では「185系」だけで、12日は特急「踊り子」としての最後の運行を迎え、午後3時半ごろ、静岡県伊豆市の修善寺駅を出発しました。
沿線には鉄道ファンらが訪れて、「185系」の引退を惜しんでいました。
終点の東京駅では、鉄道ファンなど駅の利用者が、特急「踊り子」としての役目を終える瞬間に立ち会っていました。

「185系」で最後の「踊り子」に乗車したさいたま市の46歳の男性は「自分の年齢とほぼ同じ年数を走ってきた電車なので、思い出深く、小学校のころ、自宅近くの大宮駅まで新幹線が開業した際に“新幹線リレー号”として「185系」が走っていた姿をよく覚えています。きょうの最後の運転で独特のモーター音を聞きながら、まだまだ走れるのに惜しいなと思いました。40年間お疲れさまでした」と話していました。

「185系」 たどってきた歴史

「185系」は、特急のほか通勤・通学用としても使用できる車両として、およそ40年前の昭和56年、JRの前身の国鉄末期に登場しました。

通勤ラッシュに備えて、当時としてはドアが広く設計されていたり、窓の開け閉めができたりするのが特徴です。
導入されて以来およそ40年間、東京駅と静岡県の伊豆の観光地の駅を結ぶ特急「踊り子」に使われ、観光客などに親しまれ、運行が続けられてきました。
昭和57年に東北新幹線と上越新幹線が大宮まで暫定的に開業した際には、上野と大宮の間が開業するまでの3年間、新幹線の乗客を大宮まで運ぶ「新幹線リレー号」という役目も担い、平成29年に東北新幹線開業35周年の記念の運行の際には、当時を懐かしむ人たちでにぎわいました。
昭和61年からは東京駅と小田原駅を結ぶ通勤列車の「湘南ライナー」として使われ、当時としては珍しかった事前にチケットを購入して乗る定員制で、必ず座れる通勤列車として人気を博しました。
チケットは当日用のほかに1か月分もあり、当時の様子を伝える平成8年のニュースには、父親に座って通勤してもらおうと、発売日の前日から家族で交代しながら徹夜で並ぶ人たちの姿が映っていました。

「185系」の引退と合わせて、チケットを買う必要がある「通勤ライナー」はJR東日本ですべてなくなり、インターネットで席を事前予約をする「特急」が代わりに運行されることになりました。

ほかにもスキー人気が高まるころ、スキー板を持った多くの人を首都圏からスキー場に運んだ「シュプール号」など、昭和から令和に至るまでさまざまなシーンで活躍してきました。