人に愛される力と人を愛する力 歴代担当記者が見た「修さん」

人に愛される力と人を愛する力 歴代担当記者が見た「修さん」
2月24日。経済界に驚きが広がりました。自動車メーカー「スズキ」の経営トップを42年余りにわたって務めた鈴木修会長が経営の第一線から退くと発表されたのです。ことし91歳でしたがふだんから『年齢は7がけ(7割)』と語っていただけに多くの人がまだトップを続けると思っていました。軽自動車を日本に根づかせるなど多くの実績もさることながら、おおらかで気さくな人柄でたくさんの人をひきつけてきました。NHKもこれまで多くの記者が修会長を間近で取材してきました。どんな経営者?どういったところが魅力なの?ニュースではあまり伝えてこなかった修会長のリアルを歴代の担当記者が紹介します。

スズキを世界的メーカーに

鈴木修会長は1930年(昭和5年)1月30日生まれ。大学を卒業したあと愛知県内の銀行を経て2代目社長の娘婿としてスズキに入社、1978年に4代目の社長に就任しました。

社長就任後、すぐにスズキの快進撃が始まります。翌年には「アルト」が大ヒット、その後、軽自動車の普及をけん引していきます。
1983年には日本の自動車メーカーとしていち早くインドに進出し、作った車は“国民車”と呼ばれるほど現地に浸透していきました。このほか東欧のハンガリーやベトナムにも早くから進出しました。

軽自動車などの“小さなクルマ”を得意とするスズキ。ただ修会長は国内外の巨大メーカーと対等に渡り合います。
1981年にはアメリカのビッグ3の1つ、GM=ゼネラル・モーターズと資本提携し、その後、協業の幅を世界に広げていきました。

2004年に会長になっても提携戦略を引っ張ります。GMとの関係が解消されると(2008年)、すぐさまドイツのフォルクスワーゲンと提携で合意(2009年)。
経営の独立性をめぐる対立もあり6年後に関係が解消しますが、今後はトヨタ自動車との提携にかじを切りました(2017年)。

42年余りにわたってスズキを引っ張ってきた修会長。

軽自動車は“生活の足”として日本の自動車市場に定着し、インドでは5割のシェアをもつトップメーカーに育てました。

修会長がトップになったときの会社の売り上げは3000億円台でしたが、3兆円を超える世界的なメーカーに育てました。

記者が見た修会長の魅力とは

優れた経営手腕やカリスマ性はもちろんですが、なんと言っても人を引き付けるのはその人柄です。
「現場主義」
「勘(かん)ピューター」
「生涯現役」
みずからの信念を表した力強いことば、“オサム節”とも言われる本質を突いた独特な表現は多くの人に語り継がれています。

NHKもこれまで静岡放送局の浜松支局や報道局経済部の多くの記者が修会長を取材してきました。彼らの目に修会長、そしてスズキはどう映っていたのでしょうか…

新興国で生き残り図る

おはよう日本 岸正浩キャスター(1995~97年に担当)
手元に1枚のテレホンカードがあります。修会長の社長時代の顔写真とともに赤い字で「やる気」と書かれています。1997年に私が初任地の浜松から異動する際に本人から手渡されたものです。

当時、急激な円高が進む中、日本の自動車メーカーは北米を中心に海外進出を加速していましたが、スズキは新興国の市場開拓で生き残りを図ろうとしていました。

すでにインドに進出し、成功を収めていましたが、次の有力な市場として経済改革を進めるベトナムへの進出を決断、交渉の過程から現地生産の様子まで取材したのですが、当時のことが強く印象に残っています。
まず、常識を覆したのが現地で生産する車でした。当時、ベトナムでは車はまだ高根の花で、街を走るのは輸入された中古車が中心でした。中には改造して人を乗せたり荷物を運んだりして使っていました。
スズキはそこに目を付けます。現地の人が好きなように使えるように荷台などを外した小型トラックの生産を始めたのです。ラジオやヘッドレストなど、安全にかかわるもの以外はすべて外されました。当然、価格も下げることができます。

さらに驚かされたのが工場でした。新たに建てるのではなく、現地の農機具工場の半分を改装して作ったのです。

修会長らしい知恵と工夫のコストダウン戦略でした。
もう1つ印象に残っているが現地で奮闘する社員たちの姿です。

ベトナム政府は国内産業育成のために一定の割合で現地で部品を調達するよう要求。部品メーカーの育成が急務となっていました。そこで日本から部品に精通したベテラン社員が派遣されていました。

あるゴム製品の工場での出来事でした。日本流の厳しい品質管理を片言の英語で指導するのですが、なかなかうまく伝わりません。するとその社員は、みずからゴムをかんでみせて、現地の従業員に品質のよいゴムの感触を体で覚えてもらおうとしたのです。
修会長はみずからを「中小企業のおやじ」と言いますが、おやじを中心に職人気質の社員たちが異国の厳しい環境の中で必死にもの作りを根づかせようとしていました。

コンピューター化が進み、電動化や自動運転といった新たな車作りが進む今からするといかにも昭和っぽい話ですが、スズキが新興国でなぜ強いのか、その一端をかいま見ることができたと感じています。

3つの“気”

そして冒頭の「やる気」。当時、修会長は「負けん気」「根気」も加えて“3つの気”とも言っていました。未踏の地に踏み出す時、新たなことに挑戦する時の信条だったと思います。
退任会見の際に記者から息子の俊宏社長に世界でどこの市場が有望とアドバイスするかという質問に対してこう答えました。
修会長
「地球上には市場が無限にありますから、歩いて歩いて行動。行動して発見したら、そこにマーケットがありますから。大丈夫です」
そう答えていたのを聞き、改めて“3つの気”を思い出した次第です。

スズキは蚊だが…

経済部 横山善一デスク(1997~99年、02~04年などに担当)
スズキは自動車業界をめぐる環境の変化に応じて、GM(ゼネラル・モーターズ)・VW(フォルクスワーゲン)・トヨタ自動車の順に資本提携先を変えてきましたが、そのすべてで決断を下したのは修会長です。自動車メーカーどうしの資本提携は会社の命運を左右する経営判断で、1つまとめあげるだけでも大変なことで、その胆力は計り知れません。

そのうえで、世界の名だたる大メーカーに飲み込まれず、軽自動車などの小さなクルマやインドなどの新興市場で独自の存在感を示し続けることができるのは、修会長とスズキ社員の「意地」があるからです。
修会長
「GMが鯨なら、スズキは蚊だ。だが、鯨に飲み込まれず、空高く舞い上がれる」
GMと提携していた頃、修会長はよく語っていました。当時GMは世界最大の自動車メーカーでしたが、そのGMに大株主になってもらい最先端の研究開発などでは協力を受けるけれども、自分たちが得意な分野では存分にやるぞという心意気を示すことばです。

またGM経営トップとの会談の中で、「トップダウンはコストダウン。ボトムアップはコストアップだ」と語ったことがあったそうです。相手からコストダウンの秘けつを聞かれた時の答えとしてです。

修会長が「1部品1グラム削減」といった分かりやすい目標を示して、全社が一丸となってアイデアを出しながら達成していくというスズキの強さを示すことばであるだけでなく、官僚的と言われたGMの組織への厳しい指摘とも捉えることができます。

それとなく提携先のトップにとって耳の痛いことも直言していたのです。

そうした中、1998年にGMがスズキへの出資比率を10%に増やした当時、修会長が「一方的に買われるだけじゃない」と声を潜めて語ったのをよく覚えています。

両社でいわゆる相互出資を決めたわけではないので、スズキ側がGM株を取得するようなことは普通は考えにくいのですが、翌年に株式市場でGM株50万株を購入。比率はごくわずかでしたが、ことばどおり一方的な関係ではないのだと「意地」を示しました。

「意地」を示し続ける

順調に見えたGMとの提携は、リーマンショックの影響もあり相手側の都合で解消となってしまいましたが、そのあとに提携先に選んだVWとの関係がビジネス紛争に至ったのも、根底に「意地」があったからです。

VWがスズキを財務・経営面で重大な影響を及ぼせる会社と位置づけましたが、これに対してスズキは「対等な関係だとした両社の約束に反する」として、国際仲裁裁判所に訴えました。4年にわたる審問では一歩も引かず、スズキ側の主張が認められる形でVWと提携を解消し、たもとを分かちました。

現在スズキが資本提携するトヨタとの関係は、お互いに株式を持ち合う形です。ただし、世界的に加速する電動化への対応は、スズキが得意とする小さな車では価格などの面でとりわけハードルが高いという指摘もあり、大きな課題に直面しています。

40年余にわたって「意地」を示し続けたトップが第一線を退くことになりますが、その「意地」は修会長ひとりだけのものではありません。スズキがこれからいかに「意地」を示していくのか、注目しています。

徹底した現場主義

経済部 佐々木悠介記者(2017~20年に担当)
人口13億人のインド市場でスズキは半数近いシェアを占め、圧倒的な存在感を示しています。インドへ行った時、2台に1台の車にスズキの「S」マークがあり「車だけ見ていると浜松みたいだ」と不思議な感覚になったのを覚えています。
私がスズキを取材していた当時、修会長は87歳でしたが月に1度の頻度でインドに出張していました。修会長のインド出張を取材しようと一度同行したのですが、修会長が現地で移動しているときにずっと外を見ていたことに気付きました。

何を見ていたのか尋ねるとこう言いました。
修会長
「なぜあの人はスズキの車に乗っていないのだろう、どうしたら買ってもらえるのだろうと考えていた」
走行している車種だけでなく、道路の状態、人々の買い物風景などを観察すると市場の現状が見えてくると言います。
修会長
「常に現場に行かないと感覚が鈍る。現場を歩くしかない」
工場監査もみずからが先頭に立って行います。インドでも現地の工場の生産ラインを3時間余りかけて見て回りました。担当役員から話を聞くだけでなく、みずからが気になった場所で立ち止まり直接、指摘します。

この日は3段に積み上がった部品棚の前で立ち止まり2段に下ろすよう指示しました。従業員が3段目の部品を取る時の1歩が無駄だというのです。
修会長
「従業員が作業するときに1歩無駄に歩くと、往復で2歩無駄になる。同じ作業を1000人の従業員が行うと2000歩無駄になる。そうして突き詰めていくと従業員が無駄に歩く距離が地球一周分の長さになる」
ものづくりは現場がすべて、1円のコストダウンが生死を分けるという修会長の強い信念を感じた瞬間でした。

修会長の徹底した現場主義によって極限まで無駄が省かれた車が作られそれがスズキの強みとなり続けています。

どこかで1番のメーカーになりたかった

スズキがなぜインド進出で成功できたのか修会長に尋ねると「運がよかった。自分の『勘(かん)ピューター』が働いた」と冗談っぽく話します。ただ背景には「どこかで1番のメーカーになりたかった」という強いこだわりがありました。

インドに自動車産業が根付いていなかった1980年代、どこかで1番になりたかったスズキは、インドが国民車構想のパートナーを探していたことを知って応募します。募集期限はすぎていましたが、修会長は諦めませんでした。
修会長
「セールスは断られてからが勝負。何度もトライしました」
スズキは粘り強く現地政府との交渉を続け、現地生産が実現することになりました。インド進出成功の背景には運だけでなく、修会長の交渉力や、日本流のものづくりを一から教える指導力があったのです。

私が取材したときはインドに進出して35年がたった時でした。これからの35年のインド市場はどうなるのか修会長に尋ねると目を細めてこう話していました。
修会長
「これまでの35年と違った苦労がこれからの35年あると思います。ただ新しい苦労があることは楽しみでもあります。スズキ社員がどうチャレンジ、克服するか見ていたいですね」
修会長の徹底した“現場主義”はこれからもスズキの強みになっていくと思います。

人に愛される力と人を愛する力

浜松支局 小尾洋貴記者(2019年~現在担当中!)
浜松支局に着任して1年半がたちます。100年に1度の大変革期とも言われる自動車業界。修会長の話を聞きたいと何度も何度も取材しています。

世界を相手に戦う大企業のトップですから、はじめは怖い人かなと思っていましたが、修会長は不安を抱える私を“いい意味で”裏切り、いつも人間くささを感じさせてくれます。
出会ってまもないころ、修会長は私が29歳で独身だと知ると「結婚は楽しいものだ」などと家庭を持つよう勧めてくれました。またゴルフを始めたばかりの私に「ちょっとスイングを見せてください」と言い、フォームを見て熱血指導をしてくれたりもしました。

「神のみぞ知る」「私もわかりません」

取材で聞きたいことをはぐらかすこともあります。ただ、諦めずに粘っているとヒントになるようなことをさりげなく教えてくれる…。この人間くささが修会長の魅力なのです。

去年、私は自動車業界の大変革期の中で模索するスズキを番組で特集しました。
その中に「軽トラ市」(静岡県で開催)というイベントのシーンが出てきますが、ここでの修会長の姿に経営哲学の一端を見ることができます。「軽トラ市」は軽トラックの荷台で各地の特産品を販売するイベントです。

軽トラックを愛してやまない修会長は毎年のようにイベントに顔を出していましたが、軽トラックよりも好きだったのが、スズキの車のユーザー、そして地元の農家の人たちとの直接の触れ合いです。

修会長はみずから野菜や菓子をたくさん買い、会場のあちこちで来場者や出店者から握手や記念写真を求められていました。まるでアイドルのようです。

「お元気ですか」と話しかけられると「元気です」「ありがとう」と気さくに応じる…。

地域を大切にしようとする姿からは“人に愛される力”と“人を愛する力”を強く感じます。

愛社精神でがんばった

そして会社経営でもこの2つの力が修会長の神髄ではないかと私は思っています。退任の発表が終わった夜、経営トップとして過ごした42年間をどう振り返っているのか修会長に直接尋ねました。
修会長
「大変だった。プレッシャーもあり、愛社精神でがんばった」
こう語ってくれました。

スズキの2代目社長の娘婿となり、銀行から自動車業界に飛び込んだ修会長。「大変だった」ということばは本音だったように思えます。
6月には経営の第一線から退きますが、これからどう存在感を発揮するのか。

そして脱ガソリン車の流れ、CASEやMaaSという新しいモビリティーの波にスズキがどう対応していくのか、引き続き取材していきます。