自分にできることは~女子高校生記者たちが伝える3.11とコロナ

自分にできることは~女子高校生記者たちが伝える3.11とコロナ
「自分は被災していないので、伝えられないかもしれない」

東日本大震災から10年…。
不安げな表情でこう話した17歳の女子高校生。
滋賀県立彦根東高校新聞部の彼女たちがこの半年、取材したのは「新型コロナウイルス」と「震災」という大きな2つのテーマでした。
「未曽有」の2つの出来事に向き合った彼女たちは何を迷い、何を感じたのか…。
(大津放送局記者 高井萌子)

静かな少女たちとの出会い

彼女たちと出会ったのは、去年9月。滋賀県彦根市内の病院。「高校生が医療従事者に応援メッセージを届ける」というニュースの取材でした。

「もの静かでおとなしいな」という筆者の最初の印象は見事に裏切られ、彼女たちは、熱心に医師たちの話を聞き、メモをとっていました。

県立彦根東高校新聞部の高校生記者たち。いつのまにか、彼女たちへの取材を通じ、私も、新型コロナウイルス、それに、まもなく10年となる東日本大震災と向かい合っていました。

創部72年の伝統の高校新聞部

新聞部は、創部72年。実は、全国大会で10年以上連続で受賞するなど、高校新聞部の世界では有名な存在です。

部室を訪ねると、20人の部員が、紙面に細かな修正を入れる作業をしていました。熱い意見が飛び交っていて、圧倒されました。

16歳の編集長が選んだ取材テーマ

そんな彼女たちがコロナ禍に病院を訪ねた理由、それは、秋の特大号に新型コロナウイルスを取り上げたためです。
提案したのは、2年生で編集長を務める村木春桜さん(16歳)です。

取材現場では、臆することなく質問を投げかけ、手元を見ずにメモをとり続ける姿には迫力すら感じました。

聞くと、新型コロナを選んだのは、救急救命士として働く父親の存在がありました。
村木さん
「父からは新型コロナの疑いがある患者さんに接するために、防護服を着ることもあるんや、と聞いていました。患者さんを送り届けた先の病院でも人手が足りないという話も聞いて、そんなに大変なんやっていうことを同じ高校生にも知ってほしいと思うようになりました」

周囲に反対されても

病院での取材。新型コロナの患者を受け入れている施設の取材は、私たちでも慎重になります。

親に反対されて訪問をあきらめた部員もいました。

ただ、参加した6人は、「怖い気持ちはありましたが、実際に自分の目で見て確かめたい。最前線に立つ医師らの生の声を聞いてみたい」と口をそろえていました。

取材した医師らから聞かれたのは、「常に気を張った状態でいる」、「神経がすり減る」といった現場の緊迫した声でした。

エールを届けたい

取材をきっかけに、村木さんたちは「自分たちも応援したい、応援している人がいるってことを知ってほしい」と、学校で医療従事者に向けた応援メッセージを集めることにしました。

夏休み中でしたが、なんと30を超える部活動から次々と写真付きのメッセージが寄せられました。
「辛いと感じることもある中、いつも頑張って下さってありがとうございます。応援しています」(文芸部)

「私たちの知らないところでたくさんの努力をしてくださり ありがとうございます」(女子バドミントン部)
コロナ治療にあたる医療従事者へのひぼう中傷が問題となっていたさなか。

手渡したメッセージを、医師たちはひとつひとつかみしめるように読んでくれました。

ある医療従事者からは「涙が出ました」という声も寄せられました。

取材するだけでなく、「積極的に関わっていく」彼女たちの姿勢を目の当たりにしました。

コロナ記事に込めた編集長の思い

新型コロナの取材を始めて3か月後、秋の特大号が完成。編集長の村木さんは、紙面でこう締めくくりました。
村木さんの書いた記事
「世界中が混乱している今、私たち高校生にできること。それは1人ひとりが感染症対策を徹底して行うことだ。一日も早くいつも通りの日常が帰ってくるように、必死で戦っている人がいる。そのことをどうか、心に刻みつけてほしい。そして声を大にして、医療従事者の方々に感謝とエールを送ろう」

自分事と思えないもう1つの取材テーマ

コロナの問題は他人事ではなく、自分たちの問題と実感した新聞部の部員たち。

しかし、長い間取り組んできたにもかかわらず、なかなか自分事とは実感できていなかった取材テーマが、彼女たちにはありました。

「東日本大震災」。新聞部として10年にわたり取り組んできたテーマです。
歴代の部員たちは、毎年福島を訪れ、「福島をつなぐ」と題して特集を組んできました。

対象は、自治体や公共交通機関、農業関係者やボランティア、さらに地元の高校生たちと、毎年丁寧に取材を重ねてきたことが紙面にあらわれています。

実は、被災地と遠く離れた彦根東高校をつないだのは、福島の高校生が10年前に作った校内新聞でした。

10年前、福島の相馬高校の生徒が、震災からおよそ1か月後の始業式にあわせて作り、以前から交流のあった彦根東高校に送ってくれたからでした。

17歳の部長の葛藤

去年新聞部長になった前川萌愛さん(17歳)。正直、不安と葛藤を抱えていたと言います。

震災発生時は、小学1年生…。被災地から遠く離れて暮らし続けてきた自分に、伝える資格があるのか。
前川さん
「震災当時の街の姿を見たわけではないから、街が復興してないとも言えへんし復興したとも言えない。そこが被災した場所だっていうことは見た目では分からないようになっているんじゃないかと思いました」
去年11月、自分の目で現地を見て、そこで暮らす人たちに直接話を聞きたいと、前川さんは初めて福島に行きました。
訪れたのは、地震や津波などで大きな被害を受けた富岡町。

富岡町には原発事故の影響で、まだ住民が戻ることのできない地域が残っていました。

前川さんは、そうした地域が柵で囲まれていることや、街のあちこちに線量計が立てられていることを目の当たりにします。

「復興」って、なんやろ

「復興とはいったい何なのか」

前川さんたちは福島の高校の教員や伝承施設の職員など、現地で会う人たちひとりひとりに復興について尋ねました。
印象に残ったのは、自分たちと同世代の地元福島の高校生たちの答えでした。
福島の女子高校生
「前と同じに戻るというよりは、ここに居たい人たちが残って楽しく過ごせたら、それは復興と言えるのではないかと思います」
福島の女子高校生
「復興という言葉が曖昧で、あまり好きではなかったです。人それぞれ感覚も違うけれど、精神面や環境面などの課題が改善されていけば復興という言葉がもっと使えるようになるんじゃないかなと思います」
福島での取材を終えた前川さんは、少し混乱したような様子で、言葉を探しながら、私(*筆者)にこう話しました。
前川さん
「震災や復興を、福島に来る前に想定していたように1つにきれいにまとめるなんて、とてもできないです」

これが最後の震災取材?

新聞部の今の部員たちは、震災当時、幼稚園児か小学1年生の年齢でした。

被災した経験がないどころかテレビなどで見聞きした記憶すらはっきりしないことを自分たちが伝えることができるのか。意味があるのか。

実は、新聞部の中では、震災から10年の節目で福島取材を終わろうか、という議論も持ち上がっていたといいます。

しかし、新型コロナや震災で当事者への取材を積み重ねた前川さんたちからは、その迷いは消えていました。

去年の年末に発行した校内新聞。そのなかで、前川さんは、これからへの決意をこうつづっていました。
前川さんの書いた記事
「復興の定義とは何だろう。その問いには正解も不正解もない。復興について考える人の数だけ、復興の形はあるのだと思う。私たち新聞部はその、人それぞれの『復興』を発信していきたい」

彼女たちから2年生記者の私が学んだこと

今から10年前、私(筆者)は、今の村木さんや前川さんと同じ高校2年生でした。

東京で高校生だった私は、東北の大学を受験しようと考えていましたが、震災後の計画停電の暗闇の中で、ただただ不安がることしかできませんでした。

去年記者になって、滋賀に赴任してからも、もっと「自分事」として取材できることがたくさんあったのではないかーー。
一方、村木さんや前川さんたちは、現地へ取材に行き、これからも丁寧に伝え続けようとしていること、新型コロナという大きな不安を前にしても、医療従事者を取材して、発信していること。

「今できること」を見つけてまっすぐ向き合っている高校2年生の彼女たち。

記者2年生の私自身、10歳年下の“記者”たちから多くのことを教わった半年でした。
大津放送局記者
高井萌子
平成31年入局
警察担当や
甲子園取材を経験
現在は遊軍・司法を
担当
東北楽天を
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