大臣秘書官になってみた

大臣秘書官になってみた
「大臣、どうなんですか!」
国会で答弁を求められる大臣、その時、後ろからそっとメモを渡す官僚の姿が。
大臣秘書官だ。
どんな人たちなのか。今回、ある官僚の研修を通して追ってみた。
(馬場直子)

1日だけの大臣秘書官

ある日の総理大臣官邸前、次々と到着する黒塗りの車から降り立つ大臣たち。閣議に出席するためだ。
その大臣たちについて、かばんを抱えた官僚たちが降りてくる。彼らが秘書官だ。
ベテラン揃いのなか、ひときわ若い女性の姿があった。
文部科学省の朝倉千尋(25)。彼女は正規の秘書官ではない。入省3年目を中心に秘書官を体験させる「一日秘書官研修」に参加したのだ。

大臣秘書官とは

秘書官のほかにも、大臣を補佐する役職には副大臣政務官がある。

副大臣・政務官とも、政治主導で政策や企画を実現するため、国会議員の中から内閣が任命する。会見や国会答弁にあたることもあり、大臣とともに「政務三役」と呼ばれる。

秘書官には、2種類ある。政務秘書官と、事務秘書官だ。

政務秘書官は、大臣が自分の事務所の秘書などの中から選んで、総理大臣が任命する。大臣に関わる事務だけでなく、陳情の対応や党務なども幅広く手がけ、いわば「何でも屋」的な存在でもある。

事務秘書官は、各府省の官僚から選ばれ、大臣が任命する。大臣と職員をつなぎ、日程管理から国会答弁まで、大臣の懐刀として活動する。その府省が手がけている案件について、多岐にわたって把握していなければ務まらないので、入省から20年前後の中堅職員が担当することが多い。

朝倉が今回、体験することになったのは、この事務秘書官だ。

朝6時、朝刊チェックからスタート

午前6時前に文部科学省に登庁した朝倉。ふだんとは違って、暗い色のスーツ姿で現れた。大臣の「黒子」に徹する秘書官のイメージに合わせたそうだ。

大臣室は11階にある。秘書官たちが詰めているのは、その隣にある部屋だ。

そこに、朝倉より早く出勤していた人物がいた。入省20年目の梅原弘史。彼こそが、萩生田光一大臣の事務秘書官だ。科学技術に関わる政策や、小中学校・高校の教育政策、ロシア大使館での勤務と、幅広い実務経験がある。今回の研修では、朝倉の指導役を務めた。
秘書官にとって、毎朝欠かせないのが新聞のチェックだ。隅々まで目を通し、文部科学省に関係した記事はないか、大臣が関心を示しそうな記事がないか、あるいは大臣自身のことが記事になっていないか、くまなく探す。
見つければ、コピーを…しない。文部科学省は著作権も所管する。このため梅原は、大事な記事があれば頭にたたき込んで報告する。大臣に文面で読ませたい記事があれば、新聞そのものを持って行く。

次にやることが、大臣日程の確認だ。
午前に閣議と大臣会見。午後にかけて国会対応。秘書官は1日の流れを頭に入れる。

そして2人は車に乗り、港区・赤坂の議員宿舎に大臣を迎えに行った。車であれば、議員宿舎から文部科学省までの移動時間は10分もかからない。しかし秘書官にとっては、大臣とスケジュールを調整したり、朝刊の報道を報告したりしておくための、朝の貴重な時間なのだ。

7時半、大臣レク

午前7時半ごろ、大臣とともに文部科学省に到着。

すぐに始まるのが「大臣レク」だ。

大臣が会見や国会審議で何を質問されるのか。それにどう答えるか。
事前に議員などから質問の趣旨や内容を聞き取って、省内の各課は、朝までに「想定問答」のペーパーを作成しておく。こうした段取りは、長時間労働の温床になっているという批判もあるが、国民への正確な情報発信には欠かせないという。大臣室に担当者が集まって、「想定問答」をもとに説明していく。
この日の焦点は、北海道の旭川医科大学の学長が、新型コロナウイルスの感染が広がっていた民間病院について不適切な発言をしたとされる問題だった。大学は謝罪する一方、会議の発言を外部に漏らしたとして大学病院の元病院長を解任し、騒ぎになっていた。

「事実関係を十分に確認してください」
大臣からチェックが入る。ここで最終的な文言をすりあわせて、調整しておくのだ。

8時半、廊下で会見

冒頭に書いた閣議が終了した午前8時半ごろ。大臣とともに官邸から国会に向かう。

衆議院の予算委員会が午前9時前から開かれるため、閣議後の大臣会見は国会の廊下で行われることになっていた。急ぎ足の大臣。朝倉も小走りで離れないようついていく。
実は、廊下での会見の場合、大臣ごとに定位置が決まっている。萩生田の場合は衆議院の2階、議員食堂前の廊下だ。すぐに会見が始まった。

大臣の手には秘書官から渡された「想定問答」がある。
記者が質問を繰り出すと、朝倉が大臣の手元に目をやる。大臣が記者の質問に応じた答弁を探し出せているか、確認しているのだ。指導役の梅原から事前に強く指示されていた。一問一答に神経を集中する。

文部科学大臣への質問は、文部科学行政をはじめスポーツや文化、政治の動きなど多岐にわたる。
想定問答の枚数も増え、厚くなる。大臣が答弁の部分をすぐに見つけられない時は、秘書官が即座に差し出す。想定外の質問があれば、とっさに手書きでメモをしたため、渡すこともある。
わずか数分の会見だったが、やはり旭川医科大学の問題に関する質問が多く、3問中2問を占めた。その内容は、すぐに報道されていった。
「大臣のひと言が、文部科学省の方向性を示すことになる」
朝倉はそれを実感したという。

午後、国会論戦

午前9時前から始まった衆議院予算委員会は、昼の休憩をはさんで午後も続いた。

この日の審議には、総理大臣をはじめ、すべての閣僚が出席。テレビ中継もある。

スポーツ分野での質問があるかも知れないと、事前に通告を受けていた。朝倉は大臣の後ろに控え、身構えていたが、大臣が答弁する機会はなかった。緊張感と、独特の空気感を味わった。

午後5時前、次は衆議院の文部科学委員会だ。10兆円の基金を創設して世界的な研究開発や若手研究者を支援するための法案が審議された。他の大臣もいる予算委員会とは異なり、文部科学大臣が主に答弁することになる。

2時間半近くに及ぶ審議、答弁資料も分厚くなる。ベテランの梅原、大臣の後ろの席につくやいなや、机上に資料を広げ、準備を始めた。
どんな質問が出ても、即在に答弁を用意できるよう整えていたのだ。答弁の内容にそごはないか、想定外の質問が飛んでこないか。発言に集中した。

法案の趣旨説明の際、梅原が突然立ち上がった。大臣の脇に駆け込み、答弁書類を示す。
大臣が、本来なら「認可」と言うべきところを、「許可」と答えていたのだ。似ているようで、これは違う。委員会での答弁は議事録に残るので、一言一句、間違えられない。大臣はすぐに訂正し、事なきを得た。

委員会での秘書官の動きを見ていた朝倉、梅原のとっさの行動にほっとした。
「もし、これが自分だったら」
秘書官の重責を改めて感じたという。
国会での日程が終了後、大臣を事務所がある議員会館まで送る。
これで「事務秘書官」の仕事は終了した。ここからは、「政務秘書官」の時間帯だ――

なぜ秘書官体験を

若手官僚に、なぜ秘書官を体験させるのか。

内閣人事局のまとめによると、2019年度に20代の総合職(いわゆる「キャリア」と呼ばれる幹部候補)で自己都合で退職した官僚は86人に上り、2013年度の21人から4倍以上に増加した。
30歳未満の男性職員の7人に1人が「数年以内に辞めたい」と答えている。主な理由は「長時間労働」と「仕事のやりがい」だった。

2020年度の春の総合職採用試験への申し込み者数も1万6730人で4年連続の減少となり、現在の採用制度が導入された2012年度以降では最も少なくなっている。

人事院は「コンサルなど競合する民間企業の採用意欲が盛んであることに加え、学生の仕事に対する意識も多様化している。以前なら政策を担当したいなら中央省庁で働くと考えられたが、今はさまざまな働き口がある」と指摘している。

若手キャリアにやりがいを感じてもらうにはどうしたらいいのか。検討する中で、ふだんとは違う体験をすればモチベーションが上がるケースもあるのではないかと、大臣の萩生田の発案で始めたのが、この秘書官体験だった。
「若手職員は、目的地がはっきり見えないままトンネルを掘っているような思いなのではないか。政策決定の過程を間近に見れば、自覚と責任感が生まれるのでは」
そういう狙いがあるという。

若手官僚の「違和感」

朝倉が文部科学省を志望した動機には、福井県に住む両親が教師だったことが影響したという。

大学を卒業したあと、地元に戻って教壇に立つことも考えたが、両親から「東京の大学を出て働くチャンスがあるのにもったいない」と背中を押された。「それなら教師でなくても、教育のための行政で恩返ししたい」と考えたという。

入省したのは2018年。その年、局長級幹部の汚職事件が明るみに出た。前の年にも組織的な天下りが問題となり、2代続けて事務次官が辞職するという大揺れの時期だった。

最初に配属されたのは、初等中等教育局の児童生徒課。小中学校でのいじめや不登校、虐待などの問題を担当している。国会議員からの問い合わせや国会答弁の作成などに関わる、いわゆる連絡係としてのスタートだったが、初めてのことばかりで、がむしゃらに働く忙しさの中でも、楽しかったという。

翌年、大きな「事件」が起きた。

千葉県野田市で当時小学4年生の長女に冷たいシャワーを浴びせて死亡させたとして、父親が傷害致死などの罪で起訴された。女の子は学校が行ったアンケートで父親からの暴力を訴えていたが、アンケートのコピーを市の教育委員会が父親に渡していた。

文部科学省は教育委員会の対応を検証して再発防止策を検討する作業チームを立ち上げ、朝倉も対応に追われた。しばらくすると、教育現場との距離を感じるようになった。

「当時は無我夢中で対応したけど、振り返ると成果を感じられなかった。調整の仕事ばかりで再発防止策を担当するわけでもなく、自分の仕事で現場がよくなったという実感を持てなかった」
この一件で、自分の仕事に小さな疑問が芽生えたという。
「先生は生徒にとって唯一無二の存在。でも私の仕事は組織としてうまくいけば、私じゃなくてもいいんだなって思いました。最近は仕事って何だろう、そもそも生きがいって何だろうと思うようになったんです」

社会人3年目、仕事は一とおり覚えたものの、思い描いていたイメージと現実の違いを実感する時期だった。

「やりがい」は見つかるのか

秘書官研修から1週間がすぎ、ふだんの職場に戻った朝倉はこう語った。
「研修で文部科学行政の中枢で働いているんだ、という実感を持つことができました」
より多くの子どもたちのために、ここで仕事をするという初心に返ったという。

秘書官を経験したからといって、すべての若手官僚が仕事のやりがいを取り戻すのは難しいだろう。ただ、ちょっとしたきっかけで、「やりがい」を再認識できる官僚もいるのかも知れない。

文部科学省ではこのほかにも、所属や役職を問わず、若手が取り組んでみたい政策を提案できるコンペを年1回開催し、優秀な政策の実現を図る取り組みも始めたという。効果的な方法を、これからも模索していくことになる。

若手の「やりがい」をどう維持するのか、あるいは再発見してもらうのか。
エリート揃いの霞ヶ関も、まだこの難問を解けてはいない。
(文中敬称略・冒頭の写真も文部科学省提供)
政治部記者
馬場 直子
2015年入局。長崎局から政治部。文部科学省担当。コロナ禍の教育行政を取材。“文教族”見習い。