批判なき社会に未来はない 『武漢日記』作家・方方の問いかけ

批判なき社会に未来はない 『武漢日記』作家・方方の問いかけ
「周囲からは、取材を受けるなと言われています。しかし、私なりのささやかな抵抗を示したいのです。文章で、取材に応じます」
メールが届いたのは、去年8月。送り主は、中国 武漢で暮らす作家 方方だった。
感染拡大が始まり、前代未聞の都市封鎖が行われた街 武漢から、毎日、ネットで日々の様子を発信し続けたその人だ。
封鎖が解除されて4か月余りがたち、新規の感染者がほとんど確認されなくなっても、方方の苦難は続いていた。
当局からの圧力か、出版社、書店の忖度(そんたく)かは定かではないが、彼女のすべての作品が中国で出版されなくなっているという。
作家として、それでもなりわいである文章で、ささやかな抵抗を示したいと返信してきた方方と、8月以来、メールでのやり取り、書面でのインタビューを続けてきた。
すると、彼女によってつづられた言葉から、知られざる中国の「いま」をかいま見ることになった。
(社会番組部ディレクター 佐藤祐介)

毎夜、数千万人が貪り読んだ 封鎖された街でつづられた日記

作家 方方の存在を知ったのは、去年1月のことだった。

毎晩0時前後、封鎖された街 武漢からネット上にアップされる日記が、数千万にのぼる人々に読まれていると聞いたからだ。
「ここ数日、死者と自分との距離が一層近づいている。隣人のいとこが亡くなった。友人の両親と妻が亡くなり、それから、その友人も亡くなった。悲しみばかりが募る。発生当初の感染者にとって、死ばかりか、多くの絶望があった。助けを求めても、医者に救済を願っても、薬を求めても、無駄だという絶望だ。患者が増えすぎてベッドが足りず、病院も対応できなくなった。死ぬ以外どうすることもできなかった」(日記 2020年2月9日)
感染拡大が続いていた当時、中国では、情報の厳しい管理、制限がなされていた。

彼女の日記には、未知のウイルスが猛威を振るう中、隔絶された極限の状況下で、やり場のない怒り、悲しみ、それでも生きる人々の営みがありのままにつづられていた。

官製メディアが伝えない生々しい情報は、多くの人が求めていたものだった。
そして、方方は、当局への批判も、率直につづった。
「最初の感染を発見されてから都市が封鎖されるまで、二十日以上、時間がかかった。これは紛れもない事実だ。遅れた原因はどこにあるのか。果たして、どのような人や出来事によって、ウイルスのまん延に時間と空間を与え、武漢で、かつてない都市封鎖に至ったのか。九百万人が家で閉じ込められたことは、一つの奇観だが、とても恥ずべきことだ」(日記 2020年2月27日)
日記は、ネット上で、度々、削除されたが、瞬く間に、他のサイトに転載され読み継がれた。方方は、封鎖の解除が決定した3月24日までの60日間、欠かすことなく日記を書き続けた。
長年、武漢で暮らし、執筆を続けてきた方方は、湖北省作家協会の主席をつとめ、2010年には、中国で最も名誉ある賞の一つ、魯迅文学賞を受賞するなど、現代中国を代表する女性作家の1人として知られる。

これまで描いてきた作品に一貫しているものがあった。名もなき人々の日常の中に潜む人間性や矛盾をすくい取っていこうとする姿勢だ。

おのずと中国の歴史や社会が抱える矛盾を描くことへとつながる。体制に批判的ともとれる物語になることも少なくなかったが、彼女は「人間の営みの結果である」として、一顧だにしなかった。

こうした姿勢は、私とのやり取りの中で、度々触れられた文化大革命が影響しているように思われた。

彼女が11歳だった1966年から始まり、10年続いた「革命」は、毛沢東が仕掛けた権力闘争の影で、民衆は暴走、数千万ともされる罪なき人々が命を落とした。

多感な10代で、壮絶な現実を見聞きした経験が、その後の方方のまなざしを方向付けたのではないかと感じるのだ。

そして、自身の創作に通底する思いについて、こうつづってきた。
方方さん
「私は、ある国の文明を測る基準は、『弱者への姿勢にある』と判断しています。これは、一貫した私の考えで、これまでの小説について語る時も、幾度となく、このことを話してきました」

「自由と命を天秤(てんびん)にかけて命を取った」

去年1月23日から始まった武漢の都市封鎖は、76日後の4月8日に解かれた。

1年以上がたったいまも、市民の行動履歴が管理されるなど、厳しい感染防止策がとられる中、まとまった数の感染者は、報告されていない。
そのため、武漢は、「最も安心な街」とされ、コロナ禍で海外旅行に行けない人々がこぞって訪れる観光名所になっていた。

世界各地でワクチンの接種が始まったとはいえ、いまなお、多くの国で、感染抑制に苦慮する中、感染者数を出さないという1点において、中国は成功しているようにもうつる。

この点を尋ねると、方方は、独特な言葉で、自身の考えを吐露した。
方方さん
「中国は『大きな政府』の国家であり、すべてのことが、縦型管理であり、コミュニティ単位まで管理されています。これは、もはや1つの伝統であり、中国人は、政府の指示に服従するのは、習慣になっています。他国ではまねできることではありません。同時に、自分の命は惜しいものです。自由と命を天秤にかけて、多くの中国人が命を選んだのです。それゆえに、政府の鶴の一声で、九百万人の武漢市民が、どんなに苦しく、大変でも、できるかぎりの協力をしたのです」
そして、方方が強調したのが、名もなき人々によってなされた「共助」についてだった。
方方さん
「感染が拡大していた当時、政府は、完全に混乱していました。そのため、庶民が自主的に立ち上がって、政府の行き届かない部分を補い、生活における多くの問題を解決しました。例えば、交通手段がすべて停まった状況で、ある若者が自らチームを組織して、多くの患者を抱えていた拠点病院の医療従事者を送迎しました。病院の食事の手配を自ら引き受けた若者もいました。武漢では、このような事が、まだまだたくさんありました。民意における力に、私は、とても感動したのです」
この災禍を経験するまで、中国の人々が利己的になっていくことを心配していたという方方。極限の中で、市民たちが見せた利他的な人間性を目にし、自らの杞憂(きゆう)に過ぎなかったことを素直に喜んでいた。

批判すれども一線は越えず “わきまえる”作家の本心

一方で、こうも言葉を続けた。
方方さん
「依然として、多くの傷ついた人、そして、家庭が崩壊した人は、過去のようには戻れないでいます。私も、そのうちの1人です。この災難を、まるで盛大なお祭りであるかのような扱いをしていますが、なぜ私たちが傷を負わなければならなかったのでしょうか」
自由ではなく命を選び、共助で非常事態を乗り越えたとはいえ、武漢市民の大きな犠牲によって、今の中国の「成功」があるのではないか。

そして、なぜ武漢の人々がこれほどの犠牲を強いられなければならなかったのか。

方方は、今も憤りを抱えていた。彼女の憤りは、日記の中にも記されてきた。矛先は当局に向いていた。

そう主張する理由について尋ねると、明確な答えが返ってきた。
方方さん
「政府系メディアは、『一貫して防止できる、制御可能だ。人から人へは感染しない』と報道してきたのです。人々は政府を信じることを選びました。今回は、実質的には、政府の過失です。少なくとも湖北省と武漢の地方政府は、人民に実情を隠した嫌疑があると私は見ています。隠蔽の理由は、『両会』を開催する予定だったからでしょう。毎年、『両会』の開催に向けて、マイナスになるとみなしたすべての情報は、メディアは、一切、報道しません。世の中は、喜びにあふれていなければならず、いかなるネガティブな内容もあってはならないからです。『両会』のスムーズな開催を保証するため、対応が遅れたのは、疑いの余地はありません。市民の生活を軽視し、政治を重視したのです」
「両会」とは、「人民代表大会」、「政治協商会議」のことで、地方では、毎年1月頃に開かれる中国では重要な政治イベント。

方方は、政府系メデイアが毎年この時期に、情報の管理を厳しくする「悪しき習慣」が、地方政府による感染情報の隠蔽につながったという。

こうした批判は、中国共産党一党体制が維持され、言論の統制が行き届いた中国では、命取りになる。

共産党の方針と相いれない主張は、厳しく取り締まわれるのが常で、場合によっては、逮捕、拘束されるからだ。

方方の日記も、ご多分に漏れず、度々、削除される憂き目にあってきた。しかし、本人の認識は、全く違っていた。
方方さん
「自分自身は過激な言論はなかったと思っていますし、むしろ、政府の思いもくんだ上で書いているくらいですから。私の考えをネット上に書いたら、それがブロックされてしまうなんて、思いもよりませんでした。これには、私も頭にきました。こんな風に、理由もなくブロックするというのなら、意地でも、私は書き続けようと思いました」
確かに、方方は、当局の対応すべてを批判しているわけではなかった。

武漢が封鎖された後、わずかな時間で医療体制が整備されたこと、中国全土から医療従事者が集い、患者の治療にあたったことなどについては、日記の中では評価し、感謝の言葉をつづっていた。

彼女が批判するのは、とりわけ、湖南省、武漢市など地方政府の初期対応が遅れたこと、そして、感染情報を隠蔽したことに限られていたのだ。

政治体制や共産党そのものへの批判はしていない。

答えづらいとは分かりながら、こんな質問をした。

あなたが考える理想的な政治体制とは、どんなものですか?
感染抑制と個人の自由とのバランスは、どのように取るべきだと思いますか?
方方さん
「そのような問題には、全くの門外漢ですので、お答えは控えさせていただきます」
彼女は、一線を越えることはなかった。その1点においては、「わきまえている」のだ。

「まだ中国で、武漢で、暮らしたいのです」とメールにつづられてもいた。

苛烈な“極左”からの攻撃 忖度する中国人

しかし、方方は思わぬ人たちから苛烈な攻撃を受けることになった。

体制寄りで保守的な思想を「左翼」とする中国。全体主義的な愛国主義を鮮明に打ち出す「極左」と呼ばれる人たちからの批判が殺到したのだ。
方方さん
「私がまだ『疫区(感染エリア)』の中に閉じ込められ、災難の中で、もがき苦しんでいる時に、極左勢力が、私に対して様々な攻撃を始めました。デマ、おとしめ、侮辱、あらゆる卑劣な手段を使い、フェイク写真をねつ造することさえもいとわず、私を陥れようとしたのです。そして、そのすべてが、なんと当局に容認されたのです」
彼女が、今回、映像や音声での取材はかたくなに断り、自ら記した文章でのみ応じた理由もうなずける。

「極左」らによって、映像や音声を都合よく切り取られ、攻撃されることを警戒してのことだった。

さらに、事態は、悪化の一途をたどった。

日記が海外で出版されることが伝えられると「極左」からの攻撃に加え、日記を称賛していた読者たちも、一転、「国の恥を世界にさらす売国奴」と批判に転じたのだ。
中国世論の変わり身の速さに驚かされるばかりだったが、方方は、中国社会の現実を冷静に分析していた。
方方さん
「中国人の多くは、政治的に適切かどうかを気にする環境で育っていますので、政府の顔色をうかがって発言する習慣が身についています。その結果、私の多くの読者も、この時、愛国の名のもとに、私と対立する側に立った、ということなのです。実を言えば、彼らは、政府の顔色をうかがい、その意図を忖度しているにすぎません。『中国人は愛国的で、ナショナリズム感情が強い』と言われますが、実はそれは間違いで、90%以上の中国人は、政府が求めるとおりに発言しているだけなのです。政府が、今度は違うことを言えば、彼らは、直ちにひょう変します。それが中国世論の最大の特徴なのです」

批判なき社会に未来はない 方方からの問いかけ

未曽有の事態を経験したこの期間を振り返って、いま何を思うかを尋ねた。

すると、作家としての喜びについて率直な言葉が返ってきた。
方方さん
「今振り返って見ると、あの頃、あれほど多くの人々が、毎晩、私の日記を読むことを待ち望んでくれたことは、実に、作家冥利(みょうり)に尽きることです。今回ほど文章の力というものを感じたことはありませんでした。その意義は、私が語るものではありません。記録したこと、そのものが意義なのだと思うのです」
そして、彼女らしい視点で、こう付け加えた。
方方さん
「市民の一人として、政府批判を怠ってはなりませんし、事実を率直に述べる、これは本来ごく当たり前のことであり、常識でしょう。政府の過ちを批判できないこと、それこそがおかしなことではないでしょうか。こびへつらいと迎合の声しか許されず、私がしてきたような温かい批判でさえ容認できない社会は、実のところ、かなり危険であり、未来などありません」
彼女は、いま、作家として、自らの文章を世に発することは許されていない。「ささやかな抵抗」を示すことしかできないままだ。

しかし、彼女が私につづってきた言葉には、作家であることを越えて、いかなる状況におかれても、自らが信じる言葉を紡ぎ続けること、人間としての矜持(きょうじ)ともいえるものが刻まれていたように思えてならない。

彼女とのやり取りの中で、強く感じたのは、人として、これからどう生きるのかだ。方方から投げかけられた重い問いかけである。
社会番組部ディレクター
佐藤祐介
ここ数年は中国を取材
基本は国内外テーマを
問わず幅広く取材