被災地のカキ、「ブルー・オーシャン」へ

被災地のカキ、「ブルー・オーシャン」へ
10年前の東日本大震災では、全国有数と言われる宮城県の水産業も大きな被害を受け、気仙沼市の拠点で取材をしていた私も、被害のすさまじさを目の当たりにしました。この危機を打開しようと模索してきた宮城県のある水産業者。目を向けたのは、みずからが「ブルー・オーシャン」と呼ぶ新たな市場でした。
(ハノイ支局長 道下航)

危機からの出発

震災で大きな被害を受けた水産業者の1人、高田慎司さん。
2008年に地元の宮城県石巻市でカキやホタテなど水産物の卸売りや加工を手がける会社を設立しましたが、その3年後に震災に遭遇しました。
会社の工場は津波に襲われて建物は半壊、設備は使用できなくなり、廃業すら頭をよぎったといいます。

それでも「仕事がしたい」という従業員の熱意に後押しされ、震災のおよそ1か月後、工場の一部で加工を再開しました。

会社の再生に取り組むかたわら、取引先の漁業者の間で養殖をやめる動きが広がっていることに強い危機感を抱いていました。

カキ生産量 震災前の3割…

震災で大きな打撃を受けた水産業ですが、実は震災の前から課題に直面していました。
漁業者の高齢化や担い手不足、人口減少時代による国内市場の縮小…。さらに追い打ちをかけたのが震災だったのです。

宮城県特産のカキの生産もこうした厳しい現状を反映しています。
県内のカキの生産量はおととしの時点で、震災前と比べて7割も減少。

すでに高齢化が進んでいたカキの養殖業者の間では震災後、廃業が相次ぎました。

さらに加工の現場でも労働力の不足が深刻化。
宮城県のカキは、殻からカキを取り出した「むき身」の状態で出荷するケースがほとんどで、こうした作業を行う「むき子」と呼ばれる人たちが欠かせません。
しかし、被災した「むき子」たちの多くが高台移転などで内陸に転居し、人手の確保も難しくなりました。

カキの養殖業者の数は震災後、半数以下に減ったとされ、生産量の落ち込みの大きな原因となっています。

漁協関係者の1人は「宮城のカキは出荷が冬を中心としたシーズンに限られるうえ、殻をむく施設や殻の処理、さらに『むき子』の人件費もかかるから、経営がもともと厳しい。津波のあとは資金がある人だけが生き残った」と話します。

海外販路にかける

この局面をどう打開するか。高田さんが注目したのが海外の販路開拓でした。
海外では肉に替わるヘルシーなたんぱく質として、水産物の需要が高まっていると耳にしたのです。

高田さんは、国内市場が頭打ちとなる中、海外の販路開拓が被災地の水産業を将来につなぐ鍵になると考えたのです。

ターゲットは「ローカル市場」

さらに海外市場の開拓では、国内向けより有利な点もあることがわかりました。
「殻付き」での輸出に期待できることです。
海外では、欧米の「オイスターバー」に代表されるように、殻付きのままのカキを好んで食べる文化が珍しくありません。
さらに、殻付きのままカキを輸出できれば「むき身」にする手間が省け、人件費もかかりません。
しかも、殻付きカキを冷凍すれば、むき身での出荷が解禁されていない時期でも宮城県産のカキを輸出できます。
この殻付き冷凍カキの販路開拓で成功した国の1つが、ベトナムです。

ベトナムは新型コロナウイルスの影響で世界経済が打撃を受ける中でも、去年、プラス成長を維持。中間層の購買意欲も高まっています。

高田さんは6年前、ベトナムで開かれた輸出商談会に参加。宮城県産のカキが地元のカキよりも倍近くの大きさがあることに驚かれ、手応えも感じていました。

高田さんは当初、商社を通じて、日系スーパーや日本人の客が多いレストランなど、すでに開拓されている販路で輸出することを考えていました。
しかし、需要が限られ、輸出できる量もそれほど大きくないこと、知名度の高い北海道産の水産物などとも競合することがわかり、参入は現実的ではないと考えました。

そこで、ベトナムの人たちが利用する地元のレストランなど、いわゆる「ローカル市場」を狙って販路を開拓することにしたのです。

現地パートナーに思い伝える

しかし、食文化や慣習が違う国での販路開拓は容易ではありません。
そこで高田さんが助けを借りたのが現地のパートナーです。

高田さんのパートナーとなったのは現地の商談会で出会ったファン・バン・ランさん(36)。
日本の大学院で学び、ホーチミンで日本食レストランを経営していた経験があり、地元の人が通うレストランへの人脈も持っていました。
さらにランさんには、日本とベトナムの架け橋になりたいという強い思いがありました。
そこで高田さんは、ランさんを宮城に招待することにしたのです。
震災で被害を受けた現場を実際に見てもらい、漁業者と直接、交流してもらいました。
被災地のカキ養殖の現状や復興を目指す漁業者、そして高田さんの思いを丁寧に伝えたのです。

そのうえで、ランさんを現地法人の責任者に任命。
ランさんは、宮城県産のカキを地元のレストランに売り込もうと力を尽くしてくれました。
その結果、販路は着実に拡大。ベトナムへのカキの輸出量は去年4月から12月までの9か月間で42トンに上り、すでに前の年度の1.5倍近くに伸びました。

現地主義

もう1つ、高田さんが大切にしてきたのが「現地流」の尊重です。

例えば、カキの食べ方。ベトナムでは、もともと殻付きのカキにタマネギをのせて網焼きにし、ニンニクとピーナッツをまぶし、さらに甘辛ソースをかけるのが代表的な食べ方の1つです。
日本であれば「カキのうまみを台なしにする」と言われかねませんが、日本とは異なる食文化を持つ現地の常識を尊重しなければ、チャンスは拡大しないといいます。
高田さん
「現地の人が足しげく通うレストランを見つけ、その需要をどう取り込んでいくか。ローカル市場は自分たちの努力しだいで、どこまでも可能性が広がる魅力があります。まさに『ブルー・オーシャン』(=競争者のいない未開拓の市場)です」

“コロナショック”も海外販路が支えた

着実に育ててきた海外販路は、コロナ禍でも会社の窮地を救いました。

去年4月、日本で緊急事態宣言が出た際には需要が激減し、国内向けの出荷は大きな打撃を受けました。
会社の業績は4月、5月と赤字に転落しました。

輸出についても、感染拡大の影響で当初は止まっていましたが、5月になって、高田さんのもとに海外のバイヤーから「輸出に向けて動いていい」と連絡が入ります。
行き場を失っていた国内向けの水産物を海外向けに輸出することができたことで、会社の業績は6月、黒字に回復。
震災後、地道に作り上げてきた海外販路が、会社の経営を支え、取引先の水産物を守る形となったのです。

いまやカキなどの水産物の輸出先は13の国と地域におよび、昨年度の売り上げは1億3600万円余りと、会社全体の売り上げの3割を占めるようになりました。

被災地の復興から新たな一歩

震災をきっかけに海外に足場を築いた高田さん。みずからが「ブルー・オーシャン」と呼ぶ海外市場の開拓を続け、ゆくゆくは水産業を「稼げる」産業へと育成したいと夢を語ります。

震災から10年。津波の被害から立ち上がった港町から、日本の水産業の新たな一歩が始まっていると感じました。
ハノイ支局長
道下 航
2009年入局
仙台局、国際部を経て
2019年から現職