“古き良きものを残す” 九段会館 建て替えの流儀

“古き良きものを残す” 九段会館 建て替えの流儀
中国の3Dプリンターを使って巨大な鬼の面を作り、旧式の窯で過去の瓦を再現する。
今、東京の九段会館の建て替え工事で、使われている技術です。
戦前「軍人会館」と呼ばれた建物を残したまま、17階建ての複合ビルにするという、職人たちも経験したことのない工事。その舞台裏を取材すると、最先端の技術と、昔ながらの職人技がありました。
(首都圏局 記者 直井良介)

九段会館にビルが“生える”?

東京 千代田区、皇居のお堀端に建つ九段会館の建て替え工事。令和3年2月の時点で、元の古い建物はそのままに、その中から別の建物が少し出てくるような形になっています。
今回の工事の特徴は、古い建物を半分以上残すことです。

今、歴史的な建物の外壁だけを残したままビルを建てる建物が増え、「腰巻きビル」とも呼ばれています。

一方、九段会館は、古い建物の外観に加えて部屋やホール部分を残したままとするのが特徴です。
古い建物から、いわば地上17階のビルが「生える」ようなかたちになるのです。

潜入取材 九段会館の歴史とは?

今回、この工事の取材が許可されました。
工事の現場責任者、神山良知さんが案内してくれたのは、古い建物を残す、通称「保存棟」です。

中に入ってみると、早速「歴史的」なものがあると教えてくれました。
鹿島建設 工事事務所 神山良知所長
「これは、沖縄産のトラバーチン(石材)。そして、この部分は台湾の石です。この建物の風格にふさわしい材料が各地から集められました」
神山さんたちがこの建物を詳しく調べた結果、台湾や旧満州など、当時の日本の領土となっていた場所の各地から、石などの資材が集められていたことがわかったといいます。

今は、これほど大規模に各地の石を集めるのは難しいそうです。九段会館には、その使われた資材にも昭和の歴史が刻み込まれていました。

「軍人会館」として建てられた九段会館

九段会館とは、どのような建物だったのでしょうか?

完成したのは、87年前の昭和9年。当時、「軍人会館」として建設されました。

そしてその2年後、昭和史を刻む舞台となります。
昭和11年の「二・二六事件」です。
陸軍の青年将校らが政府要人ら9人を殺害し、首都・東京の中枢を占拠したこの事件。この建物には、部隊の鎮圧に当たる「戒厳司令部」が置かれました。

東日本大震災で…

戦後は結婚式場や宿泊施設として運営され、東京 九段の象徴の一つとして、多くの人でにぎわいました。

しかし、10年前の東日本大震災でホールの天井が落下し、2人が犠牲になります。このため、建物は閉鎖されました。
その後、国の検討委員会などで建て替え方法などが議論され、複合ビルとして新たに建て替えることが決まったのです。

安全な建物に ミリ単位の挑戦

建て替え工事にあたって最も重要なのが、地震に安全な建物にすることです。

その一つが、地下の「免震工事」。古い建物の基礎部分にのみ、地震の揺れを抑える免震装置を設置します。
基礎の一部を切り取って、建物の重みを装置で支えるように切り替える難しい工事です。

数ミリの荷重のずれも許されません。工事を取材する私にも、その緊張感が伝わってきました。
東急不動産 ビル事業部 伊藤悠太さん
「免震に加えて、屋根や外壁も落ちないように対策をしています。安全な建物に建て替えて、東日本大震災で被害があったというイメージを払拭(ふっしょく)させたい」

手探りの修復

建て替え工事のもう一つの難題が、老朽化した建物を保存・修復することです。
しかし、建物を再現しようにも、当時の“竣工図”も残されていませんでした。

使う資材も、現代では調達が困難なものばかり。手探りの修復が始まったのです。
鹿島建設 工事事務所 神山良知所長
「図書館に行ったりして資料を読み込んで推測しました。工期やコストをにらみながら今の技術でどこまで近づけられるか、とても難しい作業です」

“鬼面”を復元

復元に挑んだものの1つが、この「鬼面(おにめん)」です。
縦横は1メートル。九段会館の正面の外壁に、4枚掲げられています。
石こうで作られたこの大きなお面は、九段会館の特徴的な意匠の一つです。

長年の風雨にさらされて劣化が進んでいたため修復も難しく、新たに作り直すことを決めました。

模型を製作する業者などを中心に復元してくれる企業を探す中で、採用したのは、中国の3Dプリンターの技術でした。

中国では、建築に使う大きな構造物を3Dプリンターで作る最先端の技術の開発が進んでいるというのです。
早速、劣化が少ない鬼面を国内で3Dのスキャンにかけ、表面の細かい凹凸に至るまで精密に記録します。

そして、そのデータをもとに、中国にある3Dプリンターを使って、全く同じ寸法の型の原型を出力しました。そして、安全面から素材はコンクリートに変えて、作り上げます。

鬼面の型の出力から製作の過程は中国ですべて終え、その後、日本に運んできたといいます。

最難関「瓦」の復元

工事事務所長の神山さんが「特に難しい復元の一つだ」と話したのが「瓦」です。

九段会館は、コンクリートの建物に和風の屋根を組み合わせる「帝冠(ていかん)様式」と呼ばれる建築様式でできています。

瓦は、その建物の象徴とも言えます。
なぜ復元が難しいのでしょうか。
それは、「ムラ」と「色合い」です。

濃淡の緑で構成される九段会館の瓦は、90年近くの間に、瓦の置かれた場所などで、一枚一枚色合いが異なっていたのです。
建設会社が検討した結果、愛知県と茨城県の瓦職人たちに瓦の復元を依頼しました。
製作を取りまとめた1人、長田朋和さんです。
復元にとりかかるきっかけは、長田さんが、九段会館の瓦をみた際の「ひらめき」から始まりました。

「これは、『瀬戸瓦』だ」

調べてみると、ひらめきどおり、瓦が、今の愛知県瀬戸市で作られたものだという記述が見つかりました。

「瀬戸瓦」の特徴の一つは、「織部色」と呼ばれる深い緑色。九段会館の瓦の緑と重なるものがあったといいます。

次々と難題が…

「瀬戸瓦」は、かつてはすべて手作業で作られていました。

しかし、高度経済成長期に大量生産が求められる中、その技術とともに1960年代に途絶えたそうです。
さらなる難題が、「織部色」を出すために使われていたのが、鉛だったことです。鉛の使用は、今は規制されています。
碧南窯業 長田朋和さん
「この瓦は、『工業製品』ではなく、まさに『工芸品』でした。鉛や粘土、窯など同じ土俵で闘えない中で、どう再現するか、とても難しかった」
長田さんは、地元の釉薬メーカーの職人に依頼し、色の再現に取り組みます。試作を重ね、作った色のサンプルは実に700にのぼりました。
最終的に4色に絞った長田さんたち。焼き上がった瓦の色合いに、より自然な色むらを与えようと、窯選びも工夫します。

そこで選んだのは、「旧式」の窯です。
最新式の窯は、工業製品を作るため、均一な色に仕上げることができるのが特徴です。

一方、旧式の窯は、窯の中の置く位置によって焼き加減が変わり、自然な「色むら」が出るといいます。
こうした半年にわたる検討の結果、織部色の瓦が再現できました。

できた瓦で、実際にふいた屋根を見てみてください。一部に復元した瓦も使われています。
どこに復元した色の瓦があるか、すぐにわかる人はほとんどいないと思います。
碧南窯業 長田朋和さん
「古いものがどんどん失われていく、スクラップ&ビルドの時代かもしれないですが、古き良きものを後世に伝えていくこの事業に携われたことに感謝しています」

“古き良きものを残す”

今回の取材を通して「機械が発達しても、表現が難しいことはある」のだと実感しました。

その中で印象的だったのが、次の神山さんの一言です。
鹿島建設 工事事務所 神山良知所長
「今の建築物は、生産性を追求して、シンプルに工場で作ったものを、現場でなるべくキープして施工するという思想です。職人の手間暇がかかっていた時代の建築物のすばらしさも残していくことが大事だと思います」
建物の完成は来年7月の予定で、このあとの作業も困難が予想されています。

そこにはどんなドラマがあるのか、取材を続けたいと思います。
首都圏局 記者
直井良介