ここはどこ? なくした記憶の理由

ここはどこ? なくした記憶の理由
朝食の準備や子どもを保育園に送る準備であわただしい朝7時半。
女性は薬を飲んでしばらくするとなぜか体がふらつき、記憶が薄れました。
「絶対おかしい」
次の記憶は診療所のベッドの上でした。
「ここはどこ?私死んだのかな…」
原因は小さな2錠の薬でした。
いったいどうしてこんなことが起きたのでしょうか。
(福井局 記者 鈴木翔太/丹羽由香)

「ママ、行かなくていいの」

女性は岐阜県高山市の美沙さん(仮名・30代)です。
顔にできた湿疹のために処方された薬の服用後、30分くらいして体がうまく動かないことに気付きました。
美沙さん(仮名)
「この階段で2階に上がるんだけど、段差に足をぶつける感じで、おかしいなってやってたのを覚えてます」
それでも子どもを送って出勤しようと支度を続けていましたが、不意に意識が遠のきました。

「ママ、保育園行かなくていいの?」

子どものひと言で目が覚めましたが、なぜかその場で眠ってしまっていたようでした。
「ああもう絶対おかしい」

近くに住む母親に電話で助けを求めました。

内容は覚えていませんが、あとで聞くとろれつが回らない口調で「薬を飲んでからおかしくなったから来てほしい」と話していたそうです。

その後の記憶はありません。

見覚えない送信履歴

目が覚めたのは次の日の夜明け前で、診療所のベッドの上にいました。何が起きたのか理解できませんでした。
美沙さん(仮名)
「『ここはどこだろう?』から始まったんですけど『私死んだのかな?』とも思いました。でもやっぱり一番は子どものことです。大丈夫なんかなと」
なんとか状況を把握しようと近くにあったスマートフォンを見ると、送信履歴に見覚えのないメッセージがありました。
ごわん、!!
また険しく説明するけど。わかし今から病院行かなきゃいけなくなりました。
宛先は、仕事でアポが入っていたお客さんでした。

「申し訳ありません」と打つべきところを「ごめん」と書こうとして打ち間違えて「ごわん」になるなど、打ち間違いや変換ミスがいくつもあるうえ、敬語もうまく使えていないメッセージ。
とても信じられませんでした。
美沙さん(仮名)
「気持ち悪い。自分で送ったんだけど全く記憶がなくて」

相次ぐ不審症例

美沙さんの主治医、久保賢介医師(63)のもとでは、同じように突然意識を失うといった症例が相次いでいました。

久保医師は最初の患者が運ばれた時点では、ほかの薬との飲み合わせが原因ではないかと考えていました。

しかし2例目として美沙さんが入院し、同じ日の夕方にはもう1人、意識を失った30代の男性が来院しました。

30代の外来患者が相次いで意識を失うというのは、医師として30年以上の経験を持つ久保医師にとっても経験のない事態でした。
久保賢介医師
「長いこと医師をやっていますが、これはなみなみならぬことが起こったんだと。もう尋常でないことが起こってると」
3人に共通していたのは、ある薬の服用でした。

イトラコナゾール錠50「MEEK」。水虫など真菌症の治療のために処方された飲み薬です。
久保医師は異変の原因がこの薬だと確信し、確認された患者の症状をまとめて薬の販売会社に報告、すぐに販売を中止するよう求めました。

運転中“意識を失う”

久保さんが販売中止を求めた去年の12月3日。この時すでに、さらに深刻な被害が出ていました。

車の運転中に意識を失うケースが相次いでいたのです。

11月中旬、薬の処方を受けた50代の女性は、自宅近くの交差点で事故を起こしました。
ドライブレコーダーには、その瞬間の映像が残されていました。

車が青信号で交差点に進入し、右側の車線には対向車もいました。車はそこからスピードを緩めることなく、左斜め前の方向にすーっと進み、交差点脇の車止めに衝突して大きく左右に揺れたあと止まりました。
運転中に事故を起こした女性
「ぼーっとしていたつもりはないんです。いきなり目の前が白くなったので、自分でもわからなくて。ぶつかった衝撃で我に返ったというか、目の前の白い景色から実際の本当の景色に戻りました」
女性にけがはありませんでしたが、その後の記憶はほとんどなく、あとになって周りの人から少しずつ教えてもらいました。

車の修理業者からは、事故を起こした車の写真を見せてもらいました。
衝突した左の前輪がはずれかかるほどの衝撃だったと知り、恐怖を感じました。
運転中に事故を起こした女性
「とにかく人を巻き込まなくてよかった。もし巻き込んでいたらどうなっていたかって考えるとすごく怖くて、寝られない日が続きました」
女性は、事故は自分が疲れていたせいだと自分を責め続け、治療のためにその後も1週間ほどにわたって薬を飲み続けて過ごしました。

この時はまさか薬が、とは夢にも思っていなかったからです。

“ヒューマンエラー”の問題?

久保医師が健康被害を報告した翌日の12月4日。
薬を製造・販売する小林化工(本社:福井県あわら市)が緊急会見を開き「薬に睡眠導入剤の成分が混入した可能性があり、自主回収を始める」と発表しました。
会見で会社は、回収対象となったイトラコナゾール錠50「MEEK」の1錠には、通常の睡眠導入剤1錠あたりの2.5倍にあたる多量の睡眠導入剤の成分が混入していたことや、12月1日からの3日間で、薬を服用した12人に意識を失うなどの健康被害が報告され、中には車を運転中にドライバーが意識を失って事故が起きたケースもあると明らかにしました。

原因については「原料を継ぎ足す作業の際に、同じ室内に保管されていた主成分の容器と睡眠導入剤が入った容器とを取り違え、この作業は従業員2人で作業する規定になっていたものの、当時は1人で行っていた」などと経緯を説明しました。
小林化工 小林広幸社長
「端的に申し上げて『取り違え』『ヒューマンエラー』の問題。日頃から従業員教育を厳密に行ってきたが、混入が発生したことは医薬品企業としてあってはならないことで、教育が不足していたと反省している」

拡大する“ジェネリック”

小林化工は先発医薬品より価格が安い後発医薬品、「ジェネリック医薬品」の製造や販売で急成長してきました。

混入が起きたイトラコナゾール錠50「MEEK」も、ジェネリック医薬品の一つです。
国は高齢化に伴い増え続ける医療費の抑制に向けて、ジェネリックの使用を積極的に推進してきました。

その結果、ジェネリックの使用割合は、平成17年には32.5%でしたが、令和2年には速報値で78.3%と約2.4倍にまで増加しています。

問題が発覚する直前の去年11月。小林社長は医薬品の情報提供などを行う「一般財団法人 日本医薬情報センター」の機関誌に文章を寄稿していました。
小林社長が寄稿した文章より
「追い風を実感したのは、やはり政府が医療機関・調剤薬局に対して使用のインセンティブを設けた02年度の診療報酬・調剤報酬改定以降です。その頃の当社の売上高はわずか30億円程度でしたが、継続した政府の後押しもあって、10倍以上の370億円に伸ばすことができました」
「経営者として強くこだわり続けてきたのは『品質』です。社員には『品質にこだわりをもって仕事をしてほしい』『正攻法でやりましょう』と言い聞かせ、それを地道に実践してきました」

本当のことを知りたい

自宅で意識を失い運ばれた美沙さんは、会社の会見内容を報道で知り「本当にありえない」と許せない思いでいっぱいでした。

命に関わる仕事をしている会社でなぜ「ヒューマンエラー」が発生してしまうのか。とにかく説明を求めたい気持ちでした。
その後、会社は処方された患者全員に見舞い金30万円を支払うことになり、手続きと謝罪のため美沙さん宅にも担当者が訪れました。

その際「なぜ起きたのか」についての説明は、やはり「ヒューマンエラーだった」との内容だったということです。

それでも懸命に謝罪する担当者の姿に一度は許そうかという気持ちにもなりましたが、説明された内容以外にも多くの問題を会社が抱えていたことがその後の報道で断片的に伝わり始めると、再び不信感が募りました。
美沙さん(仮名)
「隠していたんだろうなって思うと腹が立って来るし、何を信じたらいいかわからないです。こんな遠くまで来てそんな感じだったらわざわざ来てもらわなくてよかったかなって。本当のことを知りたかったので」

異常な実態

問題発覚から2か月余りたった2月9日。
福井県は小林化工に過去最長となる116日間の業務停止命令を出すとともに調査結果を公表し、会社も会見で説明しました。

その内容は、通常では考えられない異常な業務実態を示すものでした。
混入が起きた薬の主成分と睡眠導入剤の成分は、社内の同じ部屋の同じ棚で保管され、混入はここから原料を取り出す際に容器を取り違えたことで起きました。

この作業は本来2人で行うべき作業だったものの、当時は「人員不足」のため1人で行っていたということで、会社は「需要増加を受けて増産体制をとる中で人員を増やしたが追いつかなかった」としています。

この作業は機械などに付着して目減りした原料を補おうと行っていたものですが「原料をつぎ足す」という作業自体がそもそも国の承認を受けていない工程だったうえ、出荷前の品質試験は一部行わずに結果をねつ造していたほか、品質試験で異常が見つかっても原因を調査しないまま出荷していたということです。
このような事態が起こりえた背景として県は、会社が「組織的な隠蔽」を長期的に行ってきたことを指摘しました。

小林化工は定期的に行われる県の立ち入り調査で違法行為が発覚しないよう、少なくとも平成17年から虚偽の記録を記した「二重帳簿」を作成し、一部の品質試験は少なくとも40年以上前から行っておらず経営陣も黙認していたというのです。

会見で小林広幸社長も2005年ごろから違法行為を認識していたことを明らかにしました。
小林化工 小林広幸社長
「その時点で薬を回収すべきだったし、製造販売を中止する判断をすべきだったと思うが、販路拡大を私自身が積極的に行っていたので、一度にこれだけの品目をやめるわけにはいかなかった。増産体制で法令やルールより作業効率を優先させてしまった。従業員にも教育を実施せず、現場は場当たり的な対応が常態化していた」
最初の会見での「ヒューマンエラーの問題」との説明から一転、自身を含む経営陣や会社全体としての問題と責任を認めたのです。

会見では、機関誌への寄稿にあった社長のことばを問いただす質問も出ましたが、明らかになったのは「品質へのこだわり」や「正攻法」とはかけ離れた実態でした。

ぬぐえない不信感

処分が出された次の日、美沙さんに電話しました。

今も当時の恐怖から薬を飲むことができず、塗り薬だけで治療を続けていると話していました。

そして出てきたことばは、医薬品そのものへの不信感でした。
美沙さん(仮名)
「長年違法状態がまかり通ってきたということは、他の製薬会社でも同じことがあるんじゃないのかと思ってしまう。他の会社にはやっぱり次はわが身と思ってもらいたい。もし不正をしているなら、やめるなら今だと思う」
取材の中で美沙さんは、普通に続くと信じて疑わなかった日常が、ただ薬を飲んだだけで突然奪われることがあるという恐怖を話していました。

「100%信じて飲むものなのに裏切られた」

それが健康被害にあった当事者の皆さんの思いだと思います。

超高齢社会を迎える中、人口1億2000万人余りの日本国内で毎日何億錠の薬が飲まれているのでしょうか。

「医薬品は安全」との信頼が大前提になっています。

しかし、その大前提はたった1錠の薬で打ち砕かれてしまうものなのだということを、個々の企業だけでなく国・都道府県・医薬品業界全体で肝に銘じることが求められていると、心の底から思います。

そしてその教訓が今後どう生かされていくのか、私たち自身の目でもしっかり見つめていくことが欠かせない。取材を通して、あまりにも異常な事態に驚きと憤りを感じながら向き合い続けた記者としての実感です。
福井局 記者
鈴木翔太
平成30年入局
警察・司法担当を経て県政を担当。睡眠導入剤混入問題では主に健康被害当事者を取材。
福井局 記者
丹羽由香
平成29年入局
警察・司法担当などを経て県政・医療介護分野を担当。睡眠導入剤混入問題では行政や会社への取材を担当。