消えゆく鉄の灯 呉の街は

消えゆく鉄の灯 呉の街は
戦艦「大和」が建造された広島県呉市の旧日本海軍の「海軍工廠」。
その跡地に建設された日本製鉄呉地区の製鉄所は2年半後に全面閉鎖されます。戦後の復興から経済成長まで、70年以上にわたって地域経済を支えてきた製鉄所の火が、消えます。閉鎖の発表から1年たった呉の今を取材しました。
(広島放送局呉支局記者 榎嶋愛理)

高炉の火が消え、街の“灯”が消える

「製鉄所が閉鎖されれば、廃業せざるをえない。高炉の火が消えれば、呉の街は一気に衰退してしまうのではないか」

去年2月に突然、発表された製鉄所の閉鎖。その直後、製鉄所と取り引きがある協力会社の社長はこう話しました。地域に与える影響の大きさを思い知らされた私の取材はこのときから始まりました。
旧日本海軍の海軍工廠の中で唯一、製鋼部があった呉海軍工廠。日本製鉄の瀬戸内製鉄所呉地区はこの跡地に、終戦から6年後の昭和26年に建設されました。
143万平方メートル、東京ドーム30個分の広大な敷地に、高さ100メートルを越える高炉がそびえ立ちます。敷地内に足を踏み入れると鉄粉で茶色くなった巨大な設備が建ち並び、海軍工廠時代からのレンガ造りの建物が今も使われています。戦前から受け継がれてきた技術とその歴史を感じることができます。
協力会社も含めて3300人が働く製鉄所で、高炉の火がことし9月末に消えます。そして、2年半後の2023年9月末をめどに全面閉鎖され、70年以上続いた歴史に幕を閉じます。

ここでは、主に自動車向けの鉄鋼製品を生産してきましたが、国内市場の縮小と海外との競争激化で生産設備の削減を迫られました。高炉のある製鉄所の全面閉鎖は、鉄鋼最大手の日本製鉄にとっては初めてで、影響は計り知れません。

地域の声を聞こうと、取材に向かいました。

眠れない日々が続いた

はじめに話を聞いたのは、製鉄所と取り引きがある協力会社。

その一つ、従業員13人の「武田組」は、製鉄所の敷地内に事務所と作業場を構え、売り上げのほぼすべてを製鉄所との取り引きが占め、まさに一心同体です。地上30メートルの高さに20トンを越える機械を設置するなど、大型機械の設置を得意として、設備の取り付けやメンテナンスを担ってきました。

社長の江上道さん(46)は、閉鎖の発表を聞いて、先代から46年続く会社をたたむことを真剣に考えたといいます。
武田組 江上道社長
「聞いた瞬間は頭の中が真っ白。もう何も考えられなくなって、どうしていいか分からない状態でした。廃業になっても自分と家族だけなら何とか生きていけるかもしれない。でも従業員は…そんなことをずっと考えて眠れない日々が続きました」
発表から2週間後、江上さんに声をかけたのが、製鉄所で作業場が隣どうしの村上工業の村上繁則さん(54)。村上さんもまた設備関連の仕事を請け負っていました。

製鉄所の外に出れば同業他社、“ライバル”の関係ですが、それぞれの強みを生かして、ゼロから新たに仕事を開拓しようと持ちかけたのです。
村上工業 村上繁則社長
「うちは従業員が5人と少ないですが、2社が協力すれば、技術の幅が増えて、大きな仕事も請け負えるのではないかと考えました。もしうまくいかず、泣く時は一緒に泣こうと声をかけました。つぶれる時は一緒につぶれる覚悟です」
武田組 江上道社長
「声をかけてもらったおかげで、前を向いて頑張ろうという気持ちに切り替えてもらえました。従業員やその家族を路頭に迷わすわけにはいかないですから、ほんまにうれしかったです」
再出発にあたって、2人が取り組んだのが拠点作り。

いずれ製鉄所の作業場から出ていく必要があるため、去年11月に2500万円を折半して、中古の工場を購入。

その後、社長みずからが営業マンとなり、県内外の企業を訪問して回りました。これまで経験のない建物の屋根の補修工事も請け負い、少しずつ取引先を開拓しています。
売り込んでいるのは、製鉄所の高温な環境下でも耐久性に定評がある技術力と、設備を止めずに限られた時間でメンテナンスを行ってきた実績、そして難しい発注にも必ず応えてきた仕事への姿勢です。

将来的には、工場や商業施設の配管などの設備工事を請け負いたいと考えています。
武田組 江上道社長
「やっていることが、本当に正しいのか眠れない日は今もあります。ただ、製鉄所には感謝の気持ちでいっぱいなんです。長く仕事をさせてもらって、技術も身につけさせてもらいました。従業員のためにも先頭を走って、やれることをやるしかないと思っています」
こうして事業転換に取り組む会社がある一方、協力会社の中には、後継者がいないことから閉鎖をきっかけに廃業を決断した会社や、先行きに不安を感じた従業員が辞めてしまい、事業を続けたくても人手が足りないという会社も出てきています。

60歳まで安泰のはずが…

協力会社だけでなく、製鉄所で働く日本製鉄の社員1000人にとっても、閉鎖は寝耳に水でした。

勤続10年以上の社員が胸の内を話してくれました。
「製鉄所に入社すれば60歳まで安泰だと言われていました。閉鎖の発表は本当に衝撃で、すぐに家族会議を開きました。呉市に一生住み続けようと、戸建ても購入しています。子どもの学校のこともあり、転職して呉に残ることも考えましたが、収入を考えると、転勤を受け入れざるをえないと思いました」
製鉄所で働く社員の多くは、地元の呉市で採用されました。

日本製鉄は「雇用を維持する方針」を示していますが、閉鎖されれば、呉からの異動・転勤を余儀なくされます。関係者によると、社員の一部は呉に残るためにすでに退職したといいます。

一方で、多くの社員は転勤を受け入れ、呉から離れることになります。

地域になくてはならない存在

数百人の社員とその家族が呉市を離れれば、地域経済への影響も避けられません。

製鉄所と40年以上つきあいのある「なべタクシー」。製鉄所関連の売り上げは、多い時には年間350万円以上ありました。社員の忘年会や構内の見学会があれば大型バスを1日貸し切りで運行することもあり、いちばんの得意先でした。
なべタクシー 日山謙二専務
「地域に活気がなくなってしまうことを最も心配しています。とはいえ、現実を受け入れるしかなく、得意先を増やすために営業を強化して何とか乗り切っていきたいです」
さらに、長年地域に根ざしてきた製鉄所の社員やOBは、地元の祭りや子ども会の行事にも多く参加してきました。

自治会の幹部に話を聞くと、地域の人にとっても“なくてはならない存在”でした。こうした人たちがいなくなれば、地域がさびれてしまうのではないかと心配しています。

“3重苦”の呉市

呉市の中心地を歩くと、新型コロナウイルスの影響で灯りが消えている店が増えているように感じます。

そこに追い打ちをかけるようにやってくる製鉄所の閉鎖。

地元の経済界などからは、3年前の西日本豪雨の被害、新型コロナの影響、そして今回の製鉄所の閉鎖は、呉市にとって「3重苦」だということばをよく耳にします。

グローバル化した経済の構造変化が、地域の雇用や暮らしにも大きな影響を及ぼすことを痛感しました。
「残された時間はなく、生き残るための方法を考えなければならないが、新型コロナの影響もあってなかなか思うようにいかない」
取材をした企業や地域の人たちが、そう口をそろえていたことが印象に残っています。

地域に新たな灯は見つかるのか。
製鉄所の閉鎖は、2年半後に迫っています。
広島放送局呉支局記者
榎嶋 愛理
2017年入局
警察担当を経て2年前から呉支局