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えひめ丸 事故から20年 ハワイで慰霊式典行われる

愛媛県の宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がハワイ沖でアメリカ軍の潜水艦に衝突され、生徒を含む9人が亡くなった事故から10日で20年となり、ハワイでは慰霊の式典が行われました。
愛媛県の宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」はハワイ沖で現地時間の2001年2月9日、アメリカ軍の潜水艦「グリーンビル」に衝突されて沈没し、生徒や教員、それに乗組員の合わせて9人が亡くなりました。

式典は事故が起きた海域を望む公園で行われ、ことしは新型コロナウイルスの感染防止のため規模が縮小され、日本から遺族は出席しませんでした。

式典では犠牲者全員の名前が読み上げられ、事故が発生した時刻と同じ、午後1時43分に出席者が黙とうをささげました。

そして、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑にハワイの伝統的な花飾りのレイをささげて、犠牲者を悼みました。

式典の主催者の1人、アール・オオカワさんは「ご遺族は、ことしはハワイに来ることができずとても悲しまれていることと思います。しかし、ご遺族とハワイの私たちはこれまでに強い友情を築いていて、今後もその関係は強くなることでしょう」と話していました。

米特使「政府反対も家族に謝罪」

アメリカ政府の特使として事故のあと、日本に派遣された当時、アメリカ海軍副作戦部長だったファロン氏は、NHKの取材に対し、宇和島水産高校を訪れて家族に直接、謝罪したことについて「アメリカ政府内には反対の声があったものの、正しいことだったと思う」と振り返りました。

ファロン氏は、当時、アメリカ海軍制服組のナンバーツーで、事故からおよそ3週間後にアメリカ政府の特使として日本を訪れました。

ファロン氏はNHKのインタビューで「自分に与えられた任務は東京を訪問することだけで、当時の森総理大臣と会談し、ブッシュ大統領の書簡を手渡すとともにアメリカ政府の立場を説明することだった。だが、家族のことを考えれば、自分が宇和島を訪れるべきではないかと考えるようになった」と述べました。

一方で、宇和島で家族と面会することについては「アメリカ政府内の多くの人たちが反対した。東京で公式な日程が終われば帰国すべきで、宇和島を訪問すべきではないと主張していた」と明らかにしました。

ファロン氏は「アメリカ政府の人たちは、えひめ丸の問題を政治的に考えていた。高いレベルで戦略的な国と国の関係として捉えていた。しかし、そこには人と人の関係もあって私は市民レベルで家族に接する必要性を感じていた」と説明しました。

そして、宇和島水産高校での家族との面会については「家族の痛みを感じた。難しく緊迫した面会だったが、宇和島行きを決めてよかったと感じた。今から考えると正しいことだったと思う」と振り返りました。

また、ファロン氏は、えひめ丸の事故から20年になることについて「事故に対する遺憾と遺族への心からのお悔やみを、改めて伝えたい。われわれはこの事故を忘れない。記憶にとどめ、同様の事故の再発を防ぐために、全力をあげるべきだ」と強調しました。

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