僕はろう、トランスジェンダーそしてアスリート

僕はろう、トランスジェンダーそしてアスリート
「僕はろう者、そしてトランスジェンダーです。ダブルマイノリティーのアスリートとして、自分らしくありのままで勝負したい」

陸上棒高跳びの佐藤湊(そう)選手。

聴覚障害があり、心と体の性が異なるトランスジェンダーです。

それは、周囲から見れば困難な人生と言えるかもしれません。
佐藤選手は「自分が挑戦する姿を通して、困難や壁にぶち当たっている人たちに前を向くきっかけにしてもらいたい」という思いを胸に、※ことし開かれる世界大会での金メダルを目指しています。

(横浜放送局 カメラマン 鳥越佑馬)

公表する数少ないアスリート

「社会には私のような、ろう者でトランスジェンダーという2つの個性を持つ人もいます。それはなかなか見えないけれど、そういう人もいることを知ってほしいです」

デフリンピック日本代表候補の佐藤湊選手(25)。

日本では数少ない、トランスジェンダーであることを公表し活動する現役のアスリートです。

生まれたときから両方の耳がほとんど聞こえない聴覚障害者でもあります。

女子棒高跳びでろう者の日本記録を持ち、※ことし12月にブラジルで開催される聴覚障害者のオリンピックとも言われている「デフリンピック」での金メダルが期待されています。

聞こえない世界に生まれて

佐藤選手にとって、耳が聞こえないことはずっと“日常”だったといいます。

幼い頃から近所の子どもたちと、身振り手振りでコミュニケーションを取りながら、外で元気に走り回って遊ぶ活発な子どもでした。
聞こえないことを自然と受け入れ、それをハンデと感じることなく育ったという佐藤さん。
しかし小学校に入学してから学年が上がるにつれ、黒板に書いてある情報だけでは授業についていけなくなりました。

小学5年生の時、みずから希望してろう学校に転校しました。

ろう学校では耳の聞こえない同世代の人たちと出会い、「手話」という自分の気持ちを伝えられる「ことば」があることを知りました。

「手話」を身につけ、周囲とコミュニケーションを取りたい。

佐藤さんは、2年かけて必死で手話を学び、自分の気持ちを自由に伝えられる「ことば」を手に入れました。

風呂場から逃げ出したい

女性として生まれ、「麻梨乃」と名付けられた佐藤さん。

幼稚園の頃には「男の子っぽい服がいいな。赤ではなく青いバッグがいいな」と感じていました。

幼い頃のアルバムをめくると、かわいらしい服を着て写っているものから、大きくなるにつれて男の子の格好に変わっていきました。

七五三も母親にお願いして、子ども用のスーツを着てお参りしました。
それでも「自分は男っぽい女の子かなあ」と思いながら過ごしてきました。

しかし、中学生になると体の成長とともに「周囲から女性として見られることに苦痛を感じる。女の子らしくするよう求められることや、それに合わせることが本来の自分ではない気がする」と生きづらさを感じるようになったと言います。

佐藤さんは、自分の性への違和感を最も強く感じた時のことを今も鮮明に覚えています。
佐藤さん
「修学旅行の入浴の時、みんなは湯船につかって楽しそうに話をしていたけど、私は早くシャワーを浴びて終わりたい。すぐにこの場から逃げ出したいという気持ちでいっぱいでした」
やっと自分の「ことば」で思いを伝えることができるようになった、ろう学校での生活。

しかし、生徒数も少ない中、築いてきた人間関係が壊れてしまうのではないかという不安から、佐藤さんは、悩みを誰にも打ち明けることができませんでした。

やっと見つけた「ことば」を心の中にしまい込んでしまいました。

世界の見え方が違った棒高跳びとの出会い

長い間、女性として生きることに葛藤を抱きながら、周囲には言えずひとり苦しみ続けた佐藤さん。

転機となったのが、高校2年生の時に出会った棒高跳びでした。

当時陸上部に所属していた佐藤選手。

短距離や砲丸投げ、やり投げなど、いろいろな競技に挑戦しましたが、結果が出ませんでした。

そんな時、顧問の教師から勧められ、最後に始めたのが棒高跳びでした。

ひたむきに練習に取り組み、いつの間にか棒高跳びの魅力にのめり込んでいきました。
佐藤さん
「今までより高く跳べた時は、いつもと世界の見え方が違った。視界が広がっていくような気持ちになった」
「棒高跳びはやればやるだけ結果がついてくる。これまで感じたことのない達成感があった」
日が暮れるまで跳び続ける日々を重ね、競技歴わずか1年で才能が開花しました。

高校2年の夏にブルガリアで開催された、ろう者の世界大会で、自己記録を大幅に更新し、銀メダルを獲得しました。

「銀メダルがうれしいよりも、まだまだ自分もできるんだ。もっともっと高く跳びたいという気持ちになった」

ありのままの自分を受け入れた日

競技者として、今までの人生で味わったことのない自信がついた佐藤選手。

しかし、なおも変わらずに消えることのない心の葛藤がありました。

それは、誰にも打ち明けられず、ひとり悩み続けてきた自分の性に対する違和感でした。

その原因をはっきりさせたい。

そして、これからは自分らしく生きていくきっかけがほしい。

佐藤さんは病院へ通うことを決心し、高校3年の3月、「性同一性障害」と診断されたのです。

長年抱えてきた違和感に区切りがつき、ありのままの自分を受け入れることが出来た瞬間でした。
佐藤さん
「自分がトランスジェンダーだったんだなと、やっぱりそうだったんだと納得が出来た。悩んできたことがはっきりとして晴れやかな気持ちになった」

トランスジェンダーとして社会へ踏み出す

その後、大学へ進学した佐藤選手。

棒高跳びを続けながら、ふだんの生活では、湊(そう)という通称で過ごしました。

大学4年の時には、胸の膨らみを切除する手術を受けました。

そして大学卒業を機に、初対面の人にも男性として見てほしいと、戸籍名を「麻梨乃」から「湊」に変えました。

2018年、アスリート枠のある会社に就職し、トランスジェンダーの競技者であることを公にして活動する事を決意しました。
「世の中には自分のようなマイノリティーが存在すること。そのことで生きづらさを抱える人たちがいること」を、競技者として表舞台に立つことで伝えていきたいとの思いからでした。

そして、2021年に開催される世界大会で金メダルを獲得することを目標に定めました。

地道に練習を重ね「3メートル6」を記録し、日本記録を更新するなど、順調な選手生活を送ってきました。

先の見えないコロナ禍で

そんなやさき、新型コロナウイルスが世界中で大流行しました。

棒高跳びの練習施設は閉鎖され、週に5日行ってきた棒を使った実戦練習が2か月に一度しかできなくなりました。

耳が聞こえない佐藤選手は足音でタイミングをとることができません。

これまでは、何度も跳躍を繰り返すことで体に感覚をしみこませ、記録を伸ばしてきました。

しかし今、思いどおりに練習できない日々が1年近く続き、記録が伸び悩んでいます。

そんな環境でも、佐藤選手は現状を前向きに捉えています。

今までやってこなかった筋力トレーニングや走り込み、跳躍のイメージトレーニングなど、今できることに黙々と取り組む日々が続いています。
佐藤さん
「私は難聴やトランスジェンダーであることを恨んだり、誰かのせいにしたことは一度もありません。どのような状況下でもすべて受け入れて生きてきました。コロナだって同じ。世界中の選手が同じ困難にぶつかっています。私は絶対に諦めません」

自らの経験を生かして

競技の練習が思うようにできない中、佐藤選手は、講演会やSNSなどによる交流を積極的に行っています。

ろう者、そしてトランスジェンダーとして生きる自らの経験や葛藤を知ってもらうことで、社会の理解が深まってほしいと考えています。

その活動が広まり、かつての自分のように、ひとり悩みを抱える人たちから相談が寄せられるようになりました。
「性の違和感を親にも誰にも言えない」
「就職活動で化粧や服装など女性らしさを求められ悩んでいる」

さらに最近は学校で講演を頼まれる機会も増えました。

1月中旬、佐藤選手は母校の横浜国立大学で、オンラインによる特別講義を行いました。

将来教育現場で働くことを夢見る学生たちに向け、自らの経験やトランスジェンダーのアスリートとしての思いを語りました。
佐藤さん
「日本のアスリートの中には、私のような性的少数者の選手もまだまだいる。でも、声を上げられないのが現状です。マイノリティーの人たちをみんなが自然と受け入れていける、優しい社会になってほしい」
「世界の注目が集まる東京五輪・パラリンピックを機に、だれもが自分らしくスポーツに取り組めるよう、社会の理解が深まってほしい」

葛藤の中世界の頂点を目指す

今、佐藤選手は男性として日常を過ごしています。

しかし、戸籍上は女性であるため、女性選手として世界大会に出場します。

男性選手として出場するには、ホルモン治療や性別適合手術など、越えなければならない課題が多いのが現状です。
佐藤さん
「競技を続けるために自分のアイデンティティーを犠牲にしているようで複雑な感情です。でもしかたないこと。だからこそ、圧倒的に良い記録を残して金メダルを取りたい」
佐藤選手が最近、強く願いはじめたことがあります。

“聴覚障害者であり、トランスジェンダー。そんな自分がアスリートとして成功することで、誰もが自分らしく生きられる社会となるきっかけを作りたい”

自らを「ダブルマイノリティー」と呼ぶ佐藤選手。

そんな自分を決して隠さず、ありのままを受け入れながら、世界の頂点を目指す姿。

それは、障害者健常者にかかわらず、私たちすべての人に、大切なことを訴えかけているように感じます。

※ことし12月に開催予定だったデフリンピックは、来年5月に延期されることがICSD(国際ろう者スポーツ委員会)から、発表されました。
横浜放送局 カメラマン
鳥越佑馬
平成23年入局
和歌山・大阪を経て現職スポーツや山の話題など幅広く取材