卵が値上がりする? 事件記者、真相を追う

卵が値上がりする? 事件記者、真相を追う
私たちの食卓に欠かせない卵。
その卵が国際社会の変化を受けて、値上がりなどの影響を受けかねない。
この問題に私たちが気づいたきっかけは、元農林水産大臣が大手鶏卵生産会社の元代表から賄賂を受け取ったとされる汚職事件…
「物価の優等生」とも言われる卵をめぐって今、何が起きているのか?

NHK社会部の事件担当の記者たちが真相を追いました。

日本の養鶏業界が“壊滅”?

吉川貴盛元農林水産大臣が東京地検特捜部から収賄の罪で在宅起訴された汚職事件。
NHK社会部は去年の秋、専従のチームを立ち上げ取材を本格化させました。

キーパーソンは吉川元大臣に、大臣在任中、現金500万円の賄賂を渡した罪で在宅起訴された大手鶏卵生産会社「アキタフーズ」の秋田善祺元代表。
長年、養鶏業界と政界とのパイプ役を務めてきたとされる人物です。

取材を進めると秋田元代表が、10年以上前から周囲に驚くべき言葉を語っていたことがわかりました。

「アニマルウェルフェアが日本に入ってきたら養鶏業界は壊滅する」。
アニマルウェルフェアは家畜にとってストレスや苦痛が少ない飼育環境を目指す考え方です。

秋田元代表が吉川元大臣に賄賂を渡した目的の1つは、国際機関のOIE=国際獣疫事務局がアニマルウェルフェアを反映して策定を進めていた鶏の飼育の国際基準案に反対するよう依頼することだったとされています。

養鶏業界の有力者をここまで追い詰める「アニマルウェルフェア」とは何なのか。

卵をめぐって、今、何が起きているのか?私たちは1月15日に吉川元大臣が在宅起訴された後も、取材を続けました。

スーパーの卵売り場は今

アニマルウェルフェアについて知る手がかりはないか。

私たちはまず都内のスーパーマーケットの卵売り場に向かいました。
この日は20種類ほどの商品が販売され、価格はもっとも安いもので10個で税抜き158円。

ほかにも1個10円台から20円台の商品が数多く陳列されていました。

一方、数は少ないものの「平飼い」や「放し飼い」などと書かれた高価格帯の商品もありました。
「平飼い」や「放し飼い」はケージと呼ばれる鳥かごの外で育てる鶏の飼育方法です。

1個50円から80円近い商品も。

スーパーの担当者に話を聞くと、こうした高価格帯の商品の多くが「アニマルウェルフェア」に対応した卵だと教えてくれました。

価格は、通常の卵より3倍から5倍ほど高いということですがこのスーパーでは10年あまり前から取り扱いをはじめ2年前からすべての店舗で販売しているということです。
東急ストア・グロサリー食品部 吉光祐二 チーフバイヤー
「平飼いなどお客様のニーズがあり、多様な値段の商品を扱うことになりました。アニマルウェルフェアに対応した卵の売り上げは全体の5%ですが、『より自然に近い鶏が産んだ卵を食べたい』という健康志向のお客様が購入されていると思います」

採卵鶏の飼育方法とは

アニマルウェルフェアに対応した卵の価格はなぜ高いのか。

家畜の生産システムに詳しい東京農工大学大学院の新村毅准教授によりますと採卵用の鶏の飼育方法は大きく3つに分類されます。
1従来型のケージ飼い、
2改良型のゲージ飼い(止まり木・巣箱付き)、
3平飼い・放し飼い

日本の卵は90%以上が従来型のケージ飼いで生産されているということです。
ケージは金属製で一般的には入り口の幅が30センチ前後、奥行きと高さが45センチほどの大きさで、1つのケージの中で2羽から3羽の鶏を飼育します。

1羽当たりの床面積はB5からA4サイズで床には傾斜があり、鶏が卵を産むと自動的に回収される仕組みです。

ケージを縦に何段も積み重ねることで卵を効率的に大量生産することが可能になるということです。
一方、2の改良型のケージと3の平飼い・放し飼いがアニマルウェルフェアを重視した飼育法とされています。
新村 准教授
「改良型のケージや平飼いは1羽当たりに必要な面積が大きくなる分、生産コストは上がります。また平飼いなどでは、鶏の活動量が増え、エネルギーが消費されることで産む卵の数が減ることも価格が上がる要因になります」

欧米で急速に普及するアニマルウェルフェア

さらに取材を進めると近年、欧米では、「アニマルウェルフェア」が急速に普及し、飼育の法規制の強化にまでつながっていることがわかりました。

この問題に詳しい東北大学の佐藤衆介名誉教授に話を聞きました。
東北大学 佐藤衆介 名誉教授
「『アニマルウェルフェア』は『動物福祉』とも訳されます。イギリスの作家ルース・ハリソンが、1964年に出版した『アニマル・マシーン』という著作で、工場のような環境で動物を飼育する畜産のあり方を問題提起したことが始まりです」
世論の反響は大きく、イギリス議会は畜産の実態を調査する専門の委員会を設置。
この委員会の報告書をきっかけに
1飢えや渇きからの自由
2恐怖や苦悩からの自由
3不快からの自由
4痛みやけが、病気からの自由
5正常な行動ができる自由
これらを「5つの自由」とする「アニマルウェルフェア」の基本原則が確立されたということです。

EUでは1990年代以降、「アニマルウェルフェア」への配慮が法律や条約にも盛り込まれ、日本で90%以上を占める従来型の「ケージ飼い」は2012年から禁止されています。

EUでの「ケージ飼い」から「平飼い」などへの移行は▼生産者に多額の補助金を出し▼消費者もアニマルウェルフェアによる一定の値上げを許容することで、10年程度、時間をかけて進められたということです。

アメリカでもこれまでにマクドナルドやスターバックス、コストコなどグローバル企業を含めた300社以上が卵はすべて「ケージフリー」を使用することを宣言。
その結果、アメリカでは2025年までに全米で消費される卵の70%が「ケージフリー」になるという試算もあり、「2025年問題」とも呼ばれています。

アメリカの企業がアニマルウェルフェアに積極的に取り組む背景には、アニマルウェルフェアを投資判断の指標にする機関投資家が出ていることも影響しているという指摘があります。

「アニマルウェルフェア」の普及に力を入れている東京の動物愛護団体は「ケージ飼い」を中心とした日本の養鶏業は世界の潮流から取り残されていると厳しく批判しています。
アニマルライツセンター 岡田千尋 代表理事
「日本の採卵用の鶏は狭いケージに閉じ込められ、羽ばたきや毛繕いどころか歩くことすら出来ない。もはや『商品』ですらなく『産む機械』になっている。世界の畜産は欧米を中心に革命的に変わろうとしているのに日本は完全に乗り遅れ、ガラパゴス化している。日本ではアニマルウェルフェアが消費者にほとんど知られてないことが問題で鶏たちの犠牲の上に、自分たちが安い卵を食べていることを知ってほしい」

国内の養鶏業者の主張は

欧米を中心に急速に普及する「アニマルウェルフェア」を日本の養鶏業者はどのように受け止めているのか。

取材に応じた複数の鶏卵生産会社の幹部は日本に欧米並みの「アニマルウェルフェア」を導入することは難しいという思いを打ち明けました。

その理由は衛生面と消費者の理解だといいます。

採卵用の鶏はそもそも日本でも平飼いで飼育されていましたが、高温多湿の日本では鶏が病気になりやすく、ふんが卵について汚れることもあり管理しやすいケージ飼いの手法が広がった経緯があるということです。

また日本では卵を生のまま食べる文化があるため、サルモネラ菌などが付かないよう細心の注意が必要で平飼いの場合は生産効率だけで無く衛生管理の面でもかなりコストをかける必要があるということです。

日本養鶏協会によりますと日本の卵の消費量は1人当たり年間337個と世界2位。

生産の効率化や大規模化などによって価格は40年以上、安定していて、「物価の優等生」とも呼ばれています。

それだけに日本で消費者の理解を得るのは難しいというのです。
大手鶏卵生産会社の幹部
「アニマルウェルフェアに本格的に対応すると、新たに必要な設備投資などのコストは、卵の価格にはねかえらざるをえない。今の安い卵の価格が何倍にも上がることは日本の消費者には受け入れられないのではないか」

日本の養鶏業は変わるのか?

日本では従来型の「ケージ飼い」を中心とした今の飼育方法が続くのか?鍵を握るのは吉川元農水大臣をめぐる汚職事件でも登場したOIE=国際獣疫事務局が策定を進めている鶏の飼育の国際基準です。

OIEは182の国と地域が加盟しパリに本部がある国際機関で、OIEが策定する国際基準に法的な強制力はありません。

しかし、OIEが、従来型の飼育を認めない基準を示せば、これに準拠して、国内の飼育の管理指針も変更されるため影響は避けられないとみられます。

OIEは2018年9月、アニマルウェルフェアの観点から鶏の習性に配慮してケージに「巣箱」や「止まり木」の設置を義務づける飼育の基準案を加盟国に提示。

日本政府は「巣箱」や「止まり木」の設置を義務化すれば「卵のひびや汚れが増加し、鶏の死亡率も上がる」などの反対意見を提出し、おととし9月に示された修正案では巣箱などの設置義務化は見送られました。

NHKの取材に対し、農林水産省の関係者は「OIEの基準案は日本の養鶏業界への影響が極めて大きく、受け入れられないのは当然だった。日本以外にもアジアやアフリカなど、各地から反対する声が上がっていた」と話しています。

ただ、将来的にはアニマルウェルフェアに対応した条項がOIEの国際基準に盛り込まれる可能性は否定できないということです。

アニマルウェルフェアなぜ日本と欧米に温度差

動物の苦痛やストレスに配慮すべきという「アニマルウェルフェア」の考え方は、2018年に日本がIWC=国際捕鯨委員会から脱退した捕鯨問題でも、反対派が捕鯨を批判する根拠の1つとされていました。

専門家はアニマルウェルフェアをめぐる温度差の背景には日本と西洋との文化や思想の違いがあると指摘します。
東北大学 佐藤衆介 名誉教授
「ヨーロッパでは家畜を食べることを前提としながらも、動物を苦しみから解放することが重要だと考えられている。一方、アニマルウェルフェアの『5つの自由』の中で日本人が特に理解するのが難しいのは『正常な行動ができる自由』という考え方でそれが『巣箱や止まり木の設置』にもつながっている。この考え方は、『やりたいことをやる』つまり『自己実現』を善とする古代ギリシャのアリストテレスの哲学的な思想が源流になっている」
こうした考え方は19世紀のイギリスで工場労働者の労働時間の短縮が実現した背景にあるという研究もあります。
「自己実現」を大切にする考え方が労働運動のあり方にも影響を与えてきたという見方です。

アニマルウェルフェアが国内でなかなか浸透しないことは、日本で『働き方改革』が進んでこなかったこととも関係しているかもしれません。

どうする日本?現場の生産者は

現場の生産者はアニマルウェルフェアをめぐる激動の世界情勢にどう対応しようとしているのか。

私たちは宮崎県都城市の養鶏業者を取材しました。
社長の赤木八寿夫さんは2012年にヨーロッパで「ケージ飼い」が禁止されたのをきっかけに16億円を投資し、4年前、アニマルウェルフェアに対応した国内最大規模の鶏舎を作り、全体の1割、20万羽を「平飼い」の飼育に切り替えたということです。
赤木八寿夫 社長
「先輩の業者たちからは、高温多湿の日本では平飼いは病気になりやすいので無理だと言われましたが何もやらずにアニマルウェルフェアに反対というのは嫌だったので、まずは5年、自分でチャレンジしてみようと思い、始めました」
「平飼い」で生産した卵を6個238円など、通常より高い価格で販売していますが売れ行きは、決して順調とはいえません。

このままの状況が続けば「平飼い」を縮小し、半分ほどを従来型の飼育に戻すことも検討しています。
赤木八寿夫 社長
「日本でアニマルウェルフェアが浸透するのは簡単なことではありません。だからといって無視していいというわけではなく、スーパーに従来型とアニマルウェルフェア対応の両方の卵が置かれていて、消費者が好きな方を選べるのがベストだという思いは持っています」

どうなる日本の卵

今回の汚職事件を取材するまで私たち自身も全く知らなかった「アニマルウェルフェア」をめぐる問題。

身近な卵の価格が国際社会の動向と密接に関わっていることに気付かされました。

「物価の優等生」と言われる卵はどうなっていくのか。

その答えは消費者である私たち一人一人の選択にかかっています。
社会部記者
神津全孝
平成16年入局
警視庁捜査1課担当ロサンゼルス支局などを経て現在、事件遊軍担当
社会部記者
佐野豊
平成18年入局
警視庁捜査2課警察庁担当などを経て現在、検察担当
社会部記者
森永竜介
平成23年入局
兵庫県警察本部警視庁捜査2課担当などを経て現在、国税庁担当
社会部記者
田畑佑典
平成24年入局
愛媛県警察本部警視庁生安担当などを経て現在、公正取引委員会担当