カラー化でよみがえる“老舗の心意気”

カラー化でよみがえる“老舗の心意気”
大勢の人でにぎわう浅草の仲見世。

実はこれ、戦後間もない頃の光景で、元は白黒写真でした。

よく見ると、通りの左側にはがれきの山が…。

ことしで太平洋戦争の開戦から80年。

戦前から戦後にかけて撮られた白黒写真を最新技術でカラー化すると、戦争に翻弄されながらもゆるがなかった「老舗の心意気」が鮮明によみがえりました。
(ネットワーク報道部記者 成田大輔)

浅草で155年 老舗の江戸玩具店

こちらは戦時中に撮られた浅草寺幼稚園の卒園写真です。

真ん中に座っているのが、木村吉隆さんです。

モンペをはいて、足を広げて座っています。

背が大きく、友達とけんかばかりしていてよく悪ガキと呼ばれていたといいます。
木村さんの父、卯三郎さんは、浅草の仲見世で、職人が手作りする江戸玩具の店、「助六」を営んでいました。

創業は、今から155年前、江戸末期の慶応2年。

隣に写っている人形焼き屋は、木村さんの母親の実家です。

これらの写真も、もともとは白黒写真。最新技術でカラー化しました。
昭和54年に、父の仕事を引き継ぎ、83歳となった今も仲見世で店頭に立つ木村さん。

父親が店で働いていた写真は残っておらず、外観が写っている先ほどの写真を大切にとっていました。

カラー化した写真をみて、父の仕事ぶりを改めて思い出したといいます。
木村吉隆さん
「父は勤めていた商社を辞めて婿養子として店を継ぎました。自分が玩具を作れるわけではないので、玩具を作る職人のことをとても大切にしていました。私が店を継ぐときには、もう一度来たくなるような店にしろ、店を継ぐ以上は続けろと言っていたことを思い出しました。」

カラー化したのは女子大生

写真をカラー化したのは、大学1年生の庭田杏珠さん。出身は広島市です。
高校時代から広島の被爆者や家族を失った人の証言を聞き取り、大学教授とともに、思い出の写真に色をつけて、記憶をよみがえらせるプロジェクトを続けています。

今回、浅草の戦争当時の写真が残っていると知り、木村さんに関連する写真のカラー化を手がけました。
庭田さんがカラー化に取り組む理由。

それは、戦時中にもかけがえのない人々の営みがあったことを多くの人に知ってもらい、戦争が、けして「ひと事ではない」と考えるきっかけを作るためだといいます。
庭田杏珠さん
「戦前にも普通の日常生活があって、それが戦争によって奪われてしまった。それを白黒写真をカラー化することで、戦争や平和に興味が無い人も、自分ごととして想像しやすくなるのではないか。興味を持ってもらうきっかけが作れるのではないかと思った。」

東京大空襲が浅草を襲った

昭和20年3月10日未明の東京大空襲。

浅草をはじめとした下町一帯が焼け野原となり、およそ10万人が犠牲になりました。

浅草寺へと続く仲見世商店街も空襲に見舞われ、コンクリートの外壁だけが焼け残りました。
右側の建物の奥から2軒目が、木村さんの江戸玩具店「助六」です。

空襲後の写真では、すっかり焼けおちていて店の面影はありません。

当時、木村さんは7歳でした。
木村吉隆さん
「うちから隅田川のほうに逃げたんだよ、水があるからね。ところが水面に油が広がり火がついて…。川に飛び込んだ人も死んじゃったのね。とにかくどこに逃げたらいいかも分からず、火の粉の中を逃げ歩きました」

コンクリートの建物に救われた

東京大空襲の時、木村さんの家族は一面に焼夷弾が降り注ぐ中、バラバラになって逃げました。木村さんは近所の「松屋」の地下にたまたま逃れることができたため、一命を取りとめました。
木村吉隆さん
「松屋デパートの地下のシャッターが半分くらい開いていて、たまたま助かったんです。逃げ込んだというよりは爆風に吹き飛ばされていて、気付いたら店内にいました。空襲がおさまって店の外に出ると、あちこちに死体があった光景は忘れられないですね」
写真に写っている建物は、今もその姿をとどめています。

「松屋」があった場所にある東武鉄道の浅草駅ビルは2012年、外壁を昭和6年の創業当時の姿へリニューアルしました。

左側に写る、日本最古のバー「神谷バー」は、大正10年に建てられた今の建物が、2011年、国の登録有形文化財に指定されました。

2013年の耐震化工事の際には、3階の天井部分から黒く焼け焦げた跡が見つかり、当時の空襲のすさまじさが改めて伺えます。
仲見世、松屋、神谷バー。外壁が焼け残った建物は、いずれもコンクリート造りでした。

幸い木村さん一家は、全員無事でした。戦後しばらくの間、外壁だけ焼け残った仲見世の店舗の二階部分、わずか3畳ほどのスペースで家族5人で生活していました。

カラー化の頼りは“当時の記憶”

今回、庭田さんがカラー化した写真の中で、木村さんがもっとも印象に残ったというのが、戦後間もないころの自分の店の周辺の写真でした。
カラー化はまず、白黒写真にAIによって自動的に色をつけます。

しかし、AIがつける色がすべて正確であるとはかぎりません。
そこで庭田さんは、当時の記録や当時を知る人の証言を集め、色を塗り替えていきます。

庭田さんは、木村さんに写真を見てもらいながら、一つ一つ状況を確認していきました。
【庭田さん】
建物は何色だったんですか?

【木村さん】
昔から赤をよしとした訳ですよ。神社、仏閣、だるま、しし。みんな赤でしょ。

だから壁は赤かったんです。

【庭田さん】
屋根は?

【木村さん】
屋根は銅です。今と同じように緑青の色ですね。

あと当時の地面は、今よりももっと石ころに近い色だった気がしますね。

よみがえる“老舗の心意気”

当時の光景を振り返っていくにつれ、木村さんの記憶はどんどん鮮明によみがえっていきます。

そして再現したのがこちらの写真です。

AIが自動で色を付けた写真と比べると、建物や地面、ちょうちんの色が変わっています。
記憶をたどっていく中で、木村さんがまず思い出したこと。

それは白黒写真を見たときには気付かなかった、仲見世を歩く人たちのにぎやかさでした。
木村吉隆さん
「カラー化すると迫力がありますね。これのちょうちんはおそらく三社祭じゃないかな。浅草にとって最大のイベント。ありがたいことに、すごく人がいらっしゃいますね。大変なものですよ、こんなときでもお祭りをやっているんだもの」
浅草の三社祭は東京大空襲から3年後の昭和23年に再開されました。

当時は、物資が不足し、仲見世にもヤミ市が広がり、食べ物でも、長靴でも何でも売れた時代でした。

そしてもう一つ木村さんが思い出したのが、父親の仕事に対するこだわり、“老舗の心意気”ともいえるものでした。
木村さんの父、卯三郎さんは、店の二階に家族で寝泊まりするような状況でも江戸玩具にこだわり続け、他のものは扱わなかったといいます。

戦後7年間、おもちゃは売れなかったそうです。
木村吉隆さん
「おやじは不器用だから、ほかのことができなかったんでしょうな。でも、僕は職人さんを養うために続けたんだと思う。もし他のものをやっていたら今の店はなかったと思うから、おやじは偉いと思います」
「助六」で扱う商品は3000種類ほど。

いずれも職人による手作業で作られ、ここでしか買えないと、遠方から足を運ぶ常連客も多くいます。

今回カラー化した写真によって、代々続く、店の歴史の重みを感じたといいます。
木村吉隆さん
「歴史があっての今だから、一足飛びというわけにはいかないんです。仲見世の建物がコンクリートだったからこそ、住むところがあったのはありがたいですし、商売を続けてくれたおやじにも感謝しています。古い物を残そう、探ろうというのは大切です。庭田さんのような若い人が、カラー化で歴史を伝えようとしてくれるのはありがたいです。」
庭田杏珠さん
「カラー化することで『今まで気付かなかったことに気付いた』とか、『当時の様子を生き生き感じた』とおっしゃってくれたので、よかったと思います。浅草といえば観光地という印象でしたが、東京大空襲で日常生活が奪われた後、皆さんが力を合わせて復興してきた街なんだとすごく伝わってきました。これからも各地に眠っている写真をカラー化して戦前から戦後にどういう風に復興してきたのか。体験者の思いとともに伝えていきたいです。」

コロナを乗り越えて

いまは新型コロナウイルスの感染拡大で、観光客も大きく減少。

二度目の緊急事態宣言も出され、飲食店をはじめさまざまな業界で厳しい状況が続いています。

木村さんのお店でも客足は大きく減っているといいます。

そんな中で、取材中、木村さんが話していたことばが印象に残ります。
木村吉隆さん
「継続は力なりですね。何事も続けることが大切ですし、本物をやっていれば残るんじゃないかな。日本はどんどん古いものを壊して新しくしちゃうけれど、それで後悔していることもずいぶんあると思います。文明は進化しますけれど、文化は引き継いでいきたいと思います。」

太平洋戦争当時の写真・日記を募集します

NHKでは、太平洋戦争当時の写真や日記を募集しています。

当時の人々のくらしや思いを今に伝えるとともに、皆さんと一緒に「戦争」について考えていきたいと思っています。

なお、写真や日記は、撮影もしくはスキャン頂いた画像を、それにまつわるエピソードとともに「戦跡」サイトの投稿フォームにお寄せください。
ネットワーク報道部記者
成田大輔