阪神・淡路大震災から26年「がんばろう」の灯籠並べ犠牲者追悼

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で26年です。神戸市など大きな被害を受けた地域では、新型コロナウイルスの感染防止対策をとりながら、犠牲者を追悼する行事が行われています。

26年前の平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では建物の倒壊や火災などが相次ぎ、その後の「災害関連死」も含めて、6434人が亡くなりました。

追悼のつどいが開かれている神戸市中央区の公園「東遊園地」では、犠牲者を追悼する灯籠が「1.17」と「がんばろう」という文字の形に並べられ、地震が起きた午前5時46分に遺族などが静かに手を合わせて犠牲者に黙とうをささげました。

灯籠が形づくる「がんばろう」は、新型コロナの影響で多くの人が不安を抱えて過ごす今の状態と26年前を重ね、復興の原動力となった「がんばろう神戸」の合言葉を参考に心ひとつに乗り越えようというメッセージが込められています。

会場の入り口には消毒液が置かれ、人の動線を分けるなどの感染対策がとられています。

兵庫県に緊急事態宣言が出される中、追悼のつどいに訪れた人は午前7時の時点でおよそ2500人と去年の3分の1となっています。

公園の慰霊碑の前で開かれた神戸市主催の追悼式典も遺族と市長による追悼のことばを取りやめ内容を市のホームページに掲載したほか、一般の参加者の献花や記帳を取りやめるなど規模が大幅に縮小されました。

現在開かれている追悼のつどいも、例年より2時間早い午後7時で終わる予定で、感染防止対策を取りながら震災の記憶や教訓をつなぐ1日となります。

自分でメッセージを書いた紙灯篭を母親とともに供えた神戸市中央区の7歳の女の子は「地震で亡くなった人がいっぱいいるから、『じしんにまけないつよいこころをつくろう』と書きました。小学校で地震のことを聞き、いつ起きるか分からないからいろんなことを知っておきたい」と話していました。

母親は「震災当時、私は小学3年生で、たまたま無事で、出産もできましたが、亡くなられた方のことを思うと胸が痛みます。そうした方々の分まで一生懸命に生きていきたいと思います。震災など自分たちではどうしようもない出来事が起きても、自分の身は自分で守れるよう子どもたちに伝えていきたい」と話していました。

児童8人が亡くなった小学校で黙とう 兵庫 芦屋

阪神・淡路大震災で8人の児童が亡くなった兵庫県芦屋市の小学校では、児童や遺族らが慰霊碑に黙とうをささげました。

26年前の震災で芦屋市では、精道小学校の校区内にある建物のおよそ7割が全半壊して児童8人と保護者6人が亡くなり、毎年、小学校で追悼式が開かれています。

新型コロナの感染が拡大する中、ことしも全校児童およそ650人が参加し、感染対策のため6年生は慰霊碑の前で、ほかの学年の児童は教室で黙とうしました。

追悼式では、震災後この学校でも勤務した元教諭の竹本温子さんが追悼のことばを述べました。

この小学校では1年生だった米津漢之くんとその妹で幼稚園児だった深理ちゃんが亡くなり、毎年、児童たちが深理ちゃんが育てていたアサガオの種を「みりちゃんのたね」として植え続けています。

竹本さんはこの取り組みをもとに紙芝居をつくっていて「精道小学校では震災のことをとても丁寧に語り継いできました。でも、みんなが忘れたら消えてしまうかもしれません。これからも震災のことを何度も考えてほしいと思います」と呼びかけました。

そして、代表の6年生の児童が「震災について話すことはつらい気持ちになるので好きではありませんでしたが、経験した人の話を聞いて学ぶうちに、それは言い訳だと痛感しました。伝えなければならない責任があります」と述べました。

最後に児童全員が献花台に手作りした紙の花を供え、慰霊碑の前で手を合わせて祈りをささげていました。

震災後生まれの若者が語り部活動

追悼のつどいが開かれている神戸市中央区の「東遊園地」では、阪神・淡路大震災が起きたあとに生まれた10代と20代のメンバーでつくる市民団体が、震災についての語り部活動を行いました。

語り部活動を行ったのは、15歳から21歳のおよそ20人の若者で、去年10月に結成された市民団体「1.17希望の架け橋」のメンバーです。

会場に設けられたテントには、震災発生直後の壊れた建物やボランティアの人たちの様子を撮影したおよそ80枚の写真が展示され、メンバーが震災の経験者や防災の専門家から学んだことをもとに語り部活動を行いました。

テントを訪れた人の中には、神戸市長田区で被災した経験を涙ながらに話す人もいて、語り部の若者が耳を傾ける姿も見られました。

大学1年生の村田陽菜さん(19)は「きょうは震災を経験した人からたくさんお話を聞かせていただいています。その思いにしっかり向き合いたいです」と話していました。

代表の藤原祐弥さん(18)は「自分たちの代で忘れてしまわないよう、震災の犠牲者を思いながら取り組みます」と話していました。

語り部の話を聞いていた神戸市の男子中学生は「自分たちと同じように震災を知らない世代の人たちが継承活動をしていることはすばらしいと思いました。僕たちも興味を持っていろいろ調べ、震災の教訓や経験を伝えていきたいです」と話していました。

商店街 感染防止のため各店舗で黙とう 神戸 新長田地区

阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市・新長田地区の商店街では感染防止のため例年のような追悼の集まりを行わず、それぞれの店舗で黙とうをささげました。

震災で大きな被害を受けた神戸市の新長田地区は中心に位置する「大正筋商店街」でも店舗のほとんどが焼け、2人が亡くなりました。

商店街では例年、店の人たちが追悼の集まりを開いていますが、ことしは新型コロナウイルスの感染拡大防止のためそれぞれの店舗で黙とうするよう呼びかけが行われました。

正午になると店の人たちや買い物客はそれぞれの店舗の前や路上で黙とうし、犠牲者を悼みました。

この商店街は東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町と交流があり毎年、南三陸町から届けられた食材を使ったつみれ汁がふるまわれますが、ことしは感染防止のため中止されました。

一方、商店街の一角には、東日本大震災からまもなく10年となるのを前に神戸と東北の震災の記憶を伝えようと、両方の被災地の写真が展示されました。

大正筋商店街の伊東正和副理事長は「ことしはコロナで行事をやめようかと思いましたが、震災の記憶を途切れさせてはいけないと思い、規模を縮小して行いました。今後は若い世代を巻き込んで行事を継承していけるように、頑張っていきます」と話していました。