「息子との約束があります」

「息子との約束があります」
突然の事故で19歳の息子を失った男性のもとに、息子が読んでいた1冊の本が戻ってきました。事故の衝撃か、ページの間にはガラスの破片が刺さっていました。その後男性は軽井沢スキーバス事故の遺族会の代表として走り続けてきました。何が彼を突き動かしたのか。私はずっと聞きたかったことを聞きました。
(長野放送局記者 斉藤光峻)

遺体の確認に来てください

田原義則さん(55)。

5年前・2016年1月15日の未明、長野県軽井沢町でスキーツアーのバスが道路脇に転落し乗客の大学生など15人が死亡した事故で、次男の寛さん(かん/当時19歳)を亡くしました。

寛さんは首都大学東京(現在の東京都立大学)の2年生で、将来は社会福祉士を目指していました。
大阪に住む田原さんは、朝のニュースで事故が起きたことを知りました。この時点で、寛さんが事故に巻き込まれているとは思いもしませんでした。
「寛がその日スキーに行くと聞いていたので、妻と『気持ち悪いよね』なんて話していました。寛にLINEや電話をしても出なかったけど、早く着いて寝ているのかな、くらいにしか思っていませんでした」
それからまもなく、自宅に知らない番号から電話がかかってきました。

「遺体の確認に来てください」。

軽井沢警察署からでした。田原さんは妻からの連絡を受け、すぐさま軽井沢町に向かいました。
田原義則さん
「正直信じられなかったし、人違いじゃないかなと思いました。現地に着いた瞬間に現実をたたきつけられて、悲しさや悔しさそして怒りもすべてが込み上げるような心境でした。遺体安置所で眠っているような感じで『起きて!起きて!』と妻が叫んでいたのが目に焼き付いています。本当に起きてきそうな気がしていました」

お通夜での「約束」

田原さんは事故直後のことはあまり覚えていません。

数日後、大阪でお通夜が営まれることになりました。お通夜の前日に寛さんの棺を前にして、田原さんはこれから自分に何ができるのか考え続けました。そして2つのことを決心し、寛さんに「約束」として伝えました。その約束は弔辞の中で読み上げました。

1つはどんなに悲しくても前を向くこと。
そしてもう1つは事故の再発防止です。
田原義則さん
「私たち家族はとんでもない悲しみの中にいて前を向きようのない状況ですが、寛が『前を向いて』と言っているように感じました。悲惨な事故を二度と起こしてはならない。また起きるようだと子どもの死がむだになる。すべてはお通夜の時の約束から始まり、この5年間やってきました」

ガラスの破片が刺さった本

時折先が見えなくなる活動の中で、田原さんの背中を押してくれたものがありました。
1冊の本です。タイトルは『社会を変えるには』。歴史社会学者の小熊英二さんの著作です。事故から1か月以上たったあとに戻ってきた、寛さんの遺品の中にありました。

ページの間にはガラスの破片が刺さっていて、田原さんは事故のすさまじさを改めて感じました。

息子はどんなことに興味があったのだろうー。

読み進めてみると社会を変えるための手法や、行動を起こすことの重要性などが書かれていました。お通夜の際、寛さんに事故の再発防止を誓った田原さん。寛さんが読んでいた本の内容と重なっているように思えて、勇気づけられたといいます。
田原義則さん
「遺族みずからが世の中を変えることができたらいいなと寛と約束していたので、偶然かもしれませんが本を見つけたとき、本当に驚きましたし、寛が背中を押してくれていると確信しました」
田原さんは事故の翌月に遺族会を立ち上げました。名前は「1.15サクラソウの会」としました。事故のあとに遺品とともにすべての遺族たちに届けられた軽井沢町の花にちなんで名付けました。事故を起こしたバス会社や旅行会社に説明を求めて記者会見を開くなど、遺族会の代表として活動を始めました。

もう一つ、田原さんを勇気づけてくれるものがあります。

遺族会の先頭に立って国やバス業界と対じするときに必ず身につける青いネクタイです。寛さんの下宿先で遺品を整理しているときに見つけました。
「遺族会などの活動をするときにこのネクタイを締めていると、寛と一緒に社会を変えていこうと闘えるような気がします。1人じゃないんだと。寛が背中を押して勇気づけてくれているような気がします」

社会を変えるために

田原さんたち遺族会は、バス事業者を管轄する国土交通省と意見交換を重ね、具体的な対策として27項目を要望しました。

このうち、事業者が法令違反をしていないかチェックする民間機関の設置など25項目は、国交省が打ち出した再発防止策の中に組み込まれました。

国の対策に入らなかった2項目のうちの1つは「不慣れな運転手にバスを運転させない」ためのものです。5年前の事故は警察の捜査で、大型バスの運転に不慣れだった運転手(死亡)がハンドルなどの操作を誤ったとみられていて、国土交通省に対して仕組みづくりを求めています。

おととし秋からは運転免許を管轄する警察庁とも協議を始めています。
田原義則さん
「二度とあのような事故が起きないよう願うだけではなく、その仕組みができるように提言しようと。国は今まで事故があって制度を変えたら終わりでしたが、われわれの意見も取り入れて途中で終わってしまわないように、トーンダウンしていかないようにフォローしていきたい。これまでの5年間の活動は間違いではなかったと思っています」

遺族そろって慰霊を

事故から5年となり、いま田原さんは焦りを感じ始めています。事故の直後は寛さんが夢によく出てきましたが、時間がたつにつれて寛さんの夢を見ることが少なくなってきています。

そうしたとき田原さんは、寛さんの写真を集めたアルバムを見て「約束」を再確認しています。「社会の役に立つ仕事がしたい」が口癖だった寛さんが、もし今生きていたとしたら...。田原さんはあまり考えないようにしていますが、新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、社会福祉士として忙しく駆け回っていたのではないかと思っています。

そしてことし、遺族会である呼びかけをしました。1月15日に遺族全員が集まり事故現場で慰霊をしようー。これまで事故が起きた日に遺族がそろって慰霊をしたことはなく、初めての呼びかけでした。感染拡大が続く中、何人の遺族が集まるのかわかりませんが田原さんは社会に向けて訴え続けることに意味があると考えています。
田原義則さん
「根拠はありませんが、5年たつと社会から事故が忘れられてしまうのではと多くの遺族も話しています。事故現場の慰霊碑に、子どもたちが最後にいた場所に、5年の節目にみんなで集まって慰霊するのがいいのではと思って呼びかけをしました。事故が忘れられて同じようなことが起きたら、われわれと同じような思いをする方をつくってしまうことになります。社会の皆さんが忘れずに、頭の片隅に残しておいてほしい」

あの事故を忘れないで

事件や事故、災害で家族を亡くした方々を取材する機会がありますが、悲しみが癒えるまもなく立ち上がって活動を始めた人を、私は田原さん以外に知りません。

繰り返し話を伺う中で、田原さんのぶれない気持ちの強さに尊敬の念を感じています。

取材の中で、田原さんは何度も「あの事故を忘れないでほしい」と言っていました。

バスに関わる人たちだけでなく、私たち一人一人がこの事故を記憶に残していくことが、何よりも再発防止につながるのではないかと思います。
軽井沢町スキーバス事故
2016年1月15日の未明、長野県軽井沢町でスキーツアーのバスがカーブを曲がりきれずに道路脇に転落し、乗客の大学生など15人が死亡、26人が負傷した。

バスを運行していた会社の社長ら2人が業務上過失致死傷の疑いで書類送検され、事故から5年となる今も、長野地検が捜査を続けている。
長野放送局 記者

斉藤光峻
H29年入局
入局後、警察・司法を担当し、現在の担当はバス業界を含む交通分野と経済など。
バス事故の取材を一貫して続けている。