中村哲さん アフガニスタンを照らす

中村哲さん アフガニスタンを照らす
「アフガニスタンではずっと40年間戦争が続いておりますが、いまは戦争をしている暇はないと思っています。敵も味方も一緒になって、国土を回復する時期にあると思います」

これは、戦闘やテロが続くアフガニスタンで長年、人道支援と復興に取り組んだ医師の中村哲さんが生前、私たちのインタビューに残したことばです。中村さんが亡くなって1年余り。アフガニスタンではいま、その遺志を受け継ぎ、さまざまな活動を始めた人たちがいます。
(イスラマバード支局長・山香道隆)

「情熱のおじさん」

表紙には、子どもや女性、そして緑に囲まれ、笑顔を見せる中村哲さん。

去年出版された絵本『カカ・ムラド』です。アフガニスタンの公用語の1つ、ダリ語で「カカ」は「おじさん」、「ムラド」は「情熱」を意味します。「ナカムラ」と発音が近いことから、中村さんは現地の人たちから親しみを込めてこう呼ばれていました。

絵本は、中村さんの功績を広く伝えたいと、アフガニスタンのNGOが制作。中村さんがライフワークとした医療支援や砂漠緑化の取り組みなどについて、子どもが分かりやすいように描かれています。
NGOの代表ザビ・マハディさんが中村さんと出会ったのは、日本に留学中だった2016年。農業などのインフラ整備に関する、中村さんの講演会でした。

アフガニスタンが干ばつに見舞われ、食糧の生産が困難を極める中、中村さんが現地の人たちを支えようと懸命に活動しているのを知り、胸を打たれたと言います。
ザビ・マハディさん
「中村さんは日本人でありながら、宗教や宗派に関係なく、アフガニスタンのために一心に活動してくれていました。その姿は、講演を聞いたすべてのアフガニスタン人に深い感銘を与えました」

いつか「夢」の続きを

しかし、2019年12月4日。

中村さんは、活動の拠点としていたアフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで車で移動中に武装グループに銃撃され、帰らぬ人となりました。
ザビ・マハディさん
「深い悲しみに襲われました。中村さんは、一生をかけてアフガニスタンに尽くしてくれたのに、命を救うことができませんでした」
マハディさんは当時を振り返り、肩を落とします。

せめて中村さんの功績を風化させることなく、次の世代に伝えていきたい。マハディさんは、生前の中村さんを知る人たちを訪れて話を聞き、半年をかけて絵本を完成させました。
描かれているのは、病気や貧困に苦しむ住民たちに寄り添う中村さんの姿です。

病気の子どもを連れ、診療所を訪れた両親に「必ず回復しますよ」と優しく語りかけます。
さらに、病気を食い止めるためにはきれいな水が必要だと考え、用水路を計画しみずから重機を操縦。用水路は6年の歳月をへて完成し、砂漠化した土地は、緑豊かな大地へと変わりました。

それでも中村さんが願っていた、アフガニスタン全土での貧困の根絶と、平和の実現はまだ道半ばです。
絵本の最後のページには、中村さんにちなんで「ムラド」と名付けられた子どもに託された思いが記されています。

「きっといつかムラドが、カカ・ムラドが見た夢の続きをかなえてくれるはずさ」

広がる“ナカムラ流”治水

中村さんに感化され、実際に動き出した人もいます。
グラブ・グルブディンさん。中村さんが拠点としていたジャララバードの大学で、農業や治水技術などを教えています。

かつて用水路建設の現場で指揮をとっていた中村さんのことばに、大きな影響を受けたと言います。
グルブディンさん
「中村先生は『100の診療所より1つの農業用水路が大切だ』と常に口にしていました。アフガニスタンの問題は戦争や暴力ではなく、農業によって解決できると」
このことばに後押しされ、グルブディンさんは農業を学びに日本に留学。2018年には中村さんの講演会に参加し、治水技術などの指導を直接受けました。
教わったのは、堤防にコンクリートではなく、身近にある岩や木を使うことなどでした。コストを抑えられる上、地元の人だけで補修することもできます。
グルブディンさんは去年、アフガニスタンに帰国。地元ナンガルハル州の用水路建設計画に、中村さんに教わった治水技術を採り入れてもらおうと働きかけ、州も前向きな姿勢を示しています。
ナンガルハル州政府の職員
「中村さんの用水路事業は現地に雇用を生み、生活を改善させました。そのやり方をほかの地域にも広めていきたい」
グルブディンさんは日々、学生たちと接しながら、中村さんの治水技術だけでなく、その精神も伝えていきたいと考えています。
グルブディンさん
「中村先生は『やればできる』ということを教えてくれました。その遺志をしっかりと受け継ぎ、緑豊かな大地でみんなが安心して暮らせるという夢を実現したいのです」

「生き方をお手本に」

中村さんの絵本『カカ・ムラド』を作ったマハディさんたち。1200部余りを、アフガニスタン国内の小学校などに無料で配りました。

その思いは、子どもたちに確実に届いているようです。
女子児童
「中村さんは、遠く離れた日本からアフガニスタンにやってきて、私たちの暮らしを本当によくしてくれました。私たちのためにしてくれたことは、一生忘れません」
男子児童
「中村さんは、外国人でありながら私たちの国のために一生懸命、働いてくれました。本当にありがとうと伝えたいです。僕も将来、中村さんのような人になって国に貢献したいです」
絵本は、中村さんの命日の去年12月4日、日本でも出版されました。

マハディさんは、その生きざまを1人でも多くの子どもに知ってもらうことが中村さんへの恩返し、そしてアフガニスタンの平和につながると信じています。
「私の望みは、子どもたちに中村さんの生き方をお手本にして生活してもらうこと。そして、この国のすべての乾いた大地を潤すために、中村さんがやり残したことをみんなで実現することなんです」

死してなお、未来を照らす

中村哲さんは生前「アフガニスタンで緑豊かな大地が増え、皆が食べていければ争いごとはなくなるし、戦争なんてやる必要はないのです」と、私たちのインタビューに熱く語っていました。

その遺志を受け継ぎ、アフガニスタンでは祖国の復興・発展に向けて動き始めた人や、日本に留学して両国の懸け橋になりたいという夢を持つ人が増えています。

中村さんは、若者たちの希望の光として、いまもアフガニスタンの未来を照らし続けています。
イスラマバード支局長

山香道隆
1998年入局
函館、札幌、国際部などを経て
2019年からイスラマバード支局