「野球殿堂」に元五輪代表監督 川島勝司氏と作家の佐山和夫氏

野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる「野球殿堂」に、日本が銀メダルを獲得したアトランタオリンピックで代表監督を務めた川島勝司氏と、ノンフィクション作家の佐山和夫氏の2人が新たに選ばれました。

ことしはアマチュア野球などを含め、幅広く日本の野球の普及、発展に貢献した人をたたえる「特別表彰」で、新たに2人が野球殿堂入りしました。

川島氏は社会人野球の日本楽器、のちのヤマハの監督として、都市対抗野球で3回の優勝を果たしました。

日本代表では1988年のソウルオリンピックでコーチを、1996年のアトランタオリンピックでは監督を務め、ともに銀メダル獲得へと導きました。

佐山氏はノンフィクション作家として、日本とアメリカの野球の歴史に関する作品を数多く執筆したほか、高野連=日本高校野球連盟の顧問として、春のセンバツ大会の「21世紀枠」の創設に関わるなど、高校野球の発展に貢献しました。

一方、現役を引退したプロ野球選手が対象の競技者表彰では、殿堂入りに必要な75%以上の票を集めた人はおらず、ことしは23年前の平成10年以来、選出されませんでした。

川島勝司氏とは

川島勝司氏は栃木県出身の77歳。

中央大からヤマハの前身の日本楽器に入社し、社会人野球の都市対抗野球では2年連続で優秀選手に選ばれました。

1972年に日本楽器の監督に就任して、その年の都市対抗野球でチームを初優勝に導き、1987年と1990年にも優勝を果たしました。

監督として3回の優勝は史上最多です。

また、1988年のソウルオリンピックで日本代表のコーチを務め、1996年のアトランタオリンピックは監督として、プロ入り前だった松中信彦選手や福留孝介選手、井口資仁選手などを擁して銀メダルを獲得しました。

その後、2000年からはトヨタ自動車の監督、2003年には総監督に就任し、日本選手権で3回の優勝に導きました。

また社会人野球を統括する日本野球連盟で要職を務めるなど、アマチュア野球の競技力向上と指導者の育成に貢献しました。

佐山和夫氏とは

佐山和夫氏は和歌山県出身の84歳。

日本とアメリカの野球の歴史に関する作品を数多く執筆しているノンフィクション作家です。

代表作の一つに、20世紀前半のアメリカにあった黒人が中心のプロ野球リーグ「ニグロリーグ」で活躍したサチェル・ペイジ投手について書いた「史上最高の投手はだれか」があり、野球の歴史をわかりやすく発信し続けてきました。

また、1999年から高野連=日本高校野球連盟の顧問を務め、春のセンバツ大会の「21世紀枠」の創設に関わるなど、高校野球の発展にも貢献しました。

川島氏「選手のおかげ 感謝している」

野球殿堂入りを発表する通知式は、新型コロナウイルスの感染防止のため、ことしはオンラインで開催されました。

この中でスピーチした川島勝司氏は「野球を通して、いろいろな経験を積み、数多くの人生への教訓を学んだ。アトランタオリンピックでは、最後まで自分たちの目標だったキューバを倒しての金メダルを目指し、挑み続けた日本選手のファイティングスピリッツと戦う姿が強烈な思い出として残っている。そうした選手のおかげで、今の私があると感謝している。ことしは東京オリンピックがあり、代表を目指す選手は、コロナ禍で厳しい準備を強いられているが、この難関を乗り越えて日本野球界の悲願である金メダルを成し遂げてもらいたい」と話していました。

佐山氏「まさか自分が」

佐山和夫氏は「これまでの人生の中で、今回くらい驚いたことはない。40歳なかばに本でも書こうというときに、大リーグの外にある世界で、黒人のすごいピッチャーがいたと知り、調べてみようというのがきっかけ。いくらか書いていると、高野連が意見を述べろと言ってくださり、自信も実力もないがバッターボックスに入ったら、しっかりスイングしようと思っていた。振ったバットにボールが当たって、そこまで飛んでくれるのかということもある。今回の殿堂の話は、その最たるもので、まさか自分がという思いだ。残りの人生も微力ではあるが野球の発展のため、世界のスポーツの振興のため、尽力したい」と話していました。

高野連顧問の佐山氏に八田会長が祝意

ノンフィクション作家で高野連=日本高校野球連盟の顧問を務める佐山和夫氏が「野球殿堂」に選ばれたことについて高野連の八田英二会長は「おめでとうございます。高校野球の大きな節目では時に厳しく、時に優しい視点でたくさんのご助言をちょうだいしました。先生が常々言われている『高校野球が教育の一環として青少年の健全育成に果たしてきた原点』を今後も大切にして、未来の高校野球に向けて進んでいきたいと思います」とコメントしています。