コロナ禍のいま届けたい“奇跡の歌”

コロナ禍のいま届けたい“奇跡の歌”
震災復興への願いがつづられた歌「しあわせ運べるように」。
神戸だけでなく、各地の被災地で傷ついた人々をいやし、“奇跡の歌”とも呼ばれています。この歌を生み出した音楽教諭の臼井真さん(60)は、被災者の支えになろうと、音楽の指導を通じて「しあわせ運べるように」を広めてきました。

この春、定年退職する臼井さん。
1月17日に開かれる追悼の集いで、およそ1年ぶりに合唱の指揮をとります。コロナ禍の今だからこそ歌に込めて伝えたいのは、“毎日を大切に生きてゆこう”というメッセージです。

(神戸放送局 平井克昌カメラマン)

復興願い広まった「しあわせ運べるように」

1
地震にも負けない
強い心をもって
亡くなった方々のぶんも
毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を
もとの姿にもどそう
支えあう心と明日への
希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌
しあわせ運べるように

2
地震にも負けない
強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも
毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を
もとの姿にもどそう
やさしい春の光のような
未来を夢み
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌
しあわせ運べるように
届けたい わたしたちの歌
しあわせ運べるように
「しあわせ運べるように」は、阪神・淡路大震災からの復興への願いが込められた歌で、被災者の心の傷を癒やす“奇跡の歌”として神戸を中心に歌われてきました。
震災の追悼式や神戸ルミナリエ、成人式などをはじめ、神戸市内のすべての小学校で歌われています。昨年、小学校の音楽教科書にも掲載され、神戸だけでなく、全国の小学校でも教えられています。
この歌を作詞作曲したのは、この春で定年退職を迎える神戸に住む小学校の音楽教諭、臼井真さん(60)です。

震災前から子どもたちが楽しみながら歌えるオリジナル曲を数百曲も作る個性的な音楽教諭でした。

役に立てない無力感

震災が起きた日の早朝5時46分。

「ドドドドッ」と地鳴りがしたあと、電気が消え激しい上下の揺れに臼井さんは襲われました。家は、ガラスが割れて飛び散り、1階部分が押しつぶされ、2階がそのまま落ちてしまいました。

地震の直前に、偶然、2階に上がっていたため命は救われましたが、「死」を間近に感じました。
数日後、身を寄せていた親戚の家から職場の小学校に出勤すると、小学校は避難所になっていました。自分も被災していたため、家族や家を失った被災者を助けることができず、みずからの無力さを痛感させられました。

そして授業をする気にもピアノを触る気にもなれず、「死んだほうがよかった」とさえ思うようになっていました。

こみ上げてきた思いを歌に

さらに、テレビで変わり果てた神戸中心部の映像を見て、「これは私の知っている神戸ではない。神戸は死んだ」と思ったと言います。
しかし同時に、胸にこみ上げてきた思いがあり、目の前にあった紙に鉛筆を走らせました。

「地震にも負けない 強い心を持って」「傷ついた神戸をもとの姿に戻そう」。わずか10分ほどで「しあわせ運べるように」は完成したのです。
臼井真さん
「突然、歌詞とメロディーがこみ上げてきました。自分が子どもの時から見てきた古き良きふるさと神戸を元に戻したい一心で作りました。34歳にして、自分がこんなに神戸を愛していたのかとその時、初めて気づかされました。自分自身の心の痛みとともに作った曲なので、自分で聴いていても胸が痛くなります」
震災からおよそ1か月後。

臼井さんは、勤めていた小学校で子どもたちと「しあわせ運べるように」を披露しました。すると聴いていた先生たちや被災した人々、ボランティアたちから大きな拍手が起こり、涙を流す人まで現れました。

臼井さんは、その時に初めて、「自分は生きていてもよかったのかもしれない」と思えるようになったと言います。

強いメッセージに遺族から戸惑いも

しかし、歌がすべての被災者にすぐに受け入れられたわけではありませんでした。
西宮市の高井千珠さんは、地震で家が全壊して1歳の息子、将くんを亡くしました。
地震の直後、将くんの「うぅ」という声が聞こえ、将くんがいるはずの所を触ると、そこには冷たいタンスの板の感触しかありませんでした。病院に連れて行き、必死に心臓マッサージを行いましたが、将くんは息を吹き返すことはありませんでした。
高井さんは、将くんを救えなかったことを今でも悔やんでいます。将くんではなく、自分が犠牲になったほうがよかったとさえ考えました。

そんな時に、高井さんは「しあわせ運べるように」と出会います。しかし、歌を聴いた高井さんにはどうしても受け入れられない歌詞がありました。

「亡くなった方々のぶんも毎日を大切に生きてゆこう」

将くんを助けることができなくて、自分が生き残ってしまったのに、亡くなった将くんの分まで生きようとは思えなかったと言います。

この歌詞はこの歌の心臓

数年後、高井さんは夫婦で震災9年の追悼式に参加することになりました。追悼式では、生きていれば将くんと同い年くらいの小学生が、「しあわせ運べるように」を歌っていました。

その時、隣で聴いていた夫が泣いていることに気が付きました。残った家族のために必死に仕事に向き合い、震災には触れてこなかった夫。その夫が泣く姿を見て、この歌には、震災から立ち直ろうとする人たちを励まし後押しする力があると感じるようになりました。
高井千珠さん
「今でも完全に歌詞を受け入れられたわけではありません。しかし、歌を聴くと心が落ち着き、勇気や力がもらえます。今では震災と向き合う時に絶対に必要な歌になっています」
臼井真さん
「『亡くなった方々のぶんも毎日を大切に生きてゆこう』という歌詞がつらいので、変えて歌ってもよいですか?という問い合わせがたくさんあります。しかし、私はすべて断っています。この歌詞は、この歌の心臓です。私自身も死んでもおかしくなかったので、その中で前を向いて生きていく誓いとして書きました」

「亡くなられた方々は悔しかったと思います。生きたくても生きられなかった方々のことを思うと、みんな時間を大切に生きていこうと呼びかけたいのです」

「高井さんたち遺族の方々の悲しみは、ずっと心に残るでしょう。でも、その心の傷を歌の力で少しでも小さくして支えたいと思っています。皆さんの心の傷が少しでも癒やされることで、私自身も人の役に立てて、生きていてよかったと思えるのです」

コロナ禍でよみがえる26年前の無力感

昨年、新型コロナウイルスによって小学校は休校になり、臼井さんは音楽の授業を休まざるをえませんでした。

在宅勤務で音楽の教材を研究したり、歌の振り付けを考えたりして過ごしましたが、感染防止のために歌の指導が一切できなくなるなかで、26年前の震災の後と同じ無力感が募り、ふさぎ込む日々が続きました。

ともに歩んだ歌に支えられ

そんな臼井さんを支え、再び歩みだすきっかけになったのは、みずからが作った歌でした。
去年11月、臼井さんが勤める小学校で、合唱団の練習が再開されました。

この合唱団は、臼井さんが16年前から始めたもので、毎年、1月17日に「しあわせ運べるように」を式典などで合唱してきました。練習で子どもたちの歌う「しあわせ運べるように」を聴くうちに、臼井さんは、歌によって、前を向くように励まされている気持ちになっていきました。そして退職する日まで、限られた時間を大切にして、自分にできることをしていこうと考えられるようになったのです。
1月17日には、追悼の集会で合唱団による歌の発表が予定されていますが、ことしは感染防止のため、満足な練習ができていません。室内では、大きな声を出せないため、CDを流しながら声を出さずに表情の練習を行っています。
グラウンドでは十分な距離をとりながら声を出して歌えますが、寒さのために長時間の練習はできません。厳しい条件のなかでも、本番に向けて1日1日を大切に、練習に取り組んでいます。

歌の力を信じて

臼井真さん
「自分が唯一できたことは、歌を作れてその歌を伝え続けられたことです。私が退職しても歌に託した思いは震災の記憶と教訓とともに残ってくれると信じています。そしてこの歌が、現在のコロナ禍のような厳しい状況でも、前向きに強い気持ちを持って生きようとする人たちの励みになってほしいと願っています」
阪神・淡路大震災から26年。
臼井さんは、コロナ禍と向き合いながら、およそ1年ぶりに「しあわせ運べるように」の指揮をとります。
神戸放送局

平井克昌
ニュースカメラマン
平成17年入局
報道局映像取材部を経て、
現在はニュース取材や4K8K取材を担当。