津波で800人以上が犠牲となるなど大きな被害を受けた女川町では10日、新型コロナウイルスの感染対策を行ったうえで成人式が開かれ、新成人と保護者などおよそ150人が出席しました。
この中で津波で祖母を亡くし、自宅も大きな被害を受けたため、7年間仮設住宅での生活を余儀なくされた和田涼夏さんが誓いのことばを述べました。
和田さんは「何度もつまずきながらも家族や地域の方々に背中を押していただき、少しずつ成長することができました。復興のため多くの方々に支援していただきましたが、そこで感じた人とのつながりや温かさ、感謝の気持ちを忘れず、支えられる人から支える人へと成長していけるよう努力していきます」と語りました。
和田さんは祖母の写真をかばんに入れて式に臨んだということで「おばあちゃんに振り袖姿を生で見てもらいたかった。いろいろな支えでここまで来られたので、支えてくれた人に恩返しできるように頑張っていきたいです」と話していました。
会場で見守った母親の祐子さんは「すごく大変な思いをしてきたので、無事に成人式ができたことがすごくうれしく、ことばになりません」と話していました。
東日本大震災から10年 新成人「支えられる人から支える人に」
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町で成人式が行われ、小学4年生のときに被災して祖母を亡くし、仮設住宅などで生活してきた新成人の女性が「支援していただいた感謝を忘れず、支えられる人から支える人に成長したい」と決意を述べました。
同じく被災地の宮城県山元町でも成人式が行われ、新成人の若者たちが被災から立ち直ってきた経験を胸に、さらなる成長を誓いました。
宮城 女川町では
宮城 山元町では
山元町の交流施設で行われた成人式は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため来賓を大幅に減らして行われ、震災当時、小学4年生だった新成人92人が参加しました。
式では、新成人を代表して高橋旭さんと川村茉莉さんが誓いのことばを述べ「あの日から当たり前が当たり前ではなくなったが、苦しみや葛藤を乗り越えて成長につなげてきた。みずからの手で明るい未来を切りひらきたい」と決意を語りました。
新成人の1人で、震災で母親を亡くした亀井晴陽さんも式に臨み、震災の2年後に閉校した母校、中浜小学校の同級生や恩師たちと再会を喜び合っていました。
式のあと亀井さんは「まずは自立して自分のことだけではなく、周りのことを考えて動ける大人になりたいです。天国のお母さんには『安心してもらえるように頑張るから見守っていてね』と伝えたいです」と話していました。
山元町の成人式では、津波の被害やその後の人口減少で閉校となった中浜小学校の卒業生も集まり、久しぶりの再会を喜びあいました。
震災当時、中浜小学校に通っていた磯部啓太さんなど5人の新成人は、式で再会し、駆けつけた当時の校長、井上剛さんたちと記念写真を撮っていました。
磯部さんたちには、井上さんなど恩師から応援メッセージが書かれた寄せ書きがプレゼントされました。
磯部さんたちの母校、中浜小学校は、震災で高さ10メートルを超える津波に襲われましたが、当時の在校生59人は校舎の屋上にある倉庫で一夜を過ごしたり、迎えに来た保護者と避難したりして全員無事でした。
津波の被害や児童数の減少で震災の2年後に閉校していて、ことしの新成人は最後の卒業生です。
中浜小学校は教訓を伝える「震災遺構」として保存されていますが、多くの住民が内陸へ移住してかつての町の面影はほとんどなくなり、同級生の中で今も中浜地区に住んでいるのは磯部さんだけです。
成人式で実行委員会の副委員長を務めた磯部さんはふるさとを思い出してもらおうと町に関するクイズ大会を企画し、司会も務めました。
クイズ大会は新型コロナウイルスの影響で当初の予定の半分以下の時間になりましたが、同級生たちと思い出を共有できたといいます。
式のあと磯部さんは「久しぶりにみんなに会えて楽しかったです。これまでは町の人に支えられてきたので、中浜小学校の卒業生として、地域の活動にもっと積極的に参加して、全力で地域に貢献したい」と話していました。
式では、新成人を代表して高橋旭さんと川村茉莉さんが誓いのことばを述べ「あの日から当たり前が当たり前ではなくなったが、苦しみや葛藤を乗り越えて成長につなげてきた。みずからの手で明るい未来を切りひらきたい」と決意を語りました。
新成人の1人で、震災で母親を亡くした亀井晴陽さんも式に臨み、震災の2年後に閉校した母校、中浜小学校の同級生や恩師たちと再会を喜び合っていました。
式のあと亀井さんは「まずは自立して自分のことだけではなく、周りのことを考えて動ける大人になりたいです。天国のお母さんには『安心してもらえるように頑張るから見守っていてね』と伝えたいです」と話していました。
山元町の成人式では、津波の被害やその後の人口減少で閉校となった中浜小学校の卒業生も集まり、久しぶりの再会を喜びあいました。
震災当時、中浜小学校に通っていた磯部啓太さんなど5人の新成人は、式で再会し、駆けつけた当時の校長、井上剛さんたちと記念写真を撮っていました。
磯部さんたちには、井上さんなど恩師から応援メッセージが書かれた寄せ書きがプレゼントされました。
磯部さんたちの母校、中浜小学校は、震災で高さ10メートルを超える津波に襲われましたが、当時の在校生59人は校舎の屋上にある倉庫で一夜を過ごしたり、迎えに来た保護者と避難したりして全員無事でした。
津波の被害や児童数の減少で震災の2年後に閉校していて、ことしの新成人は最後の卒業生です。
中浜小学校は教訓を伝える「震災遺構」として保存されていますが、多くの住民が内陸へ移住してかつての町の面影はほとんどなくなり、同級生の中で今も中浜地区に住んでいるのは磯部さんだけです。
成人式で実行委員会の副委員長を務めた磯部さんはふるさとを思い出してもらおうと町に関するクイズ大会を企画し、司会も務めました。
クイズ大会は新型コロナウイルスの影響で当初の予定の半分以下の時間になりましたが、同級生たちと思い出を共有できたといいます。
式のあと磯部さんは「久しぶりにみんなに会えて楽しかったです。これまでは町の人に支えられてきたので、中浜小学校の卒業生として、地域の活動にもっと積極的に参加して、全力で地域に貢献したい」と話していました。