乗り物とマスクを巡る話

乗り物とマスクを巡る話
タクシーで”理由なく”マスクの着用をしないと、利用を断られることがある。こうしたタクシーを利用する際のルール変更の動きが、この1か月あまり急速に全国に広がっています。実は、このルール変更、マスクの着用を強制的に求めるのかそれともモラルに訴えていくのか、ぎりぎりの調整で生まれたものでした。乗り物とマスクを巡る話です。(社会部記者・山田沙耶花)

飛行機とマスク

乗り物とマスクを巡っては、ことし9月、航空機の中で、客室乗務員からマスクの着用をお願いされた男性が、理由を告げずに拒否し続けたトラブルを記憶している人も多いと思います。

このときは、この男性が客室乗務員の腕をつかむなどの行為に及んで業務を妨害し、安全な飛行を妨げたとして、北海道の釧路空港から関西空港に向かう途中、機長が新潟空港に臨時着陸して、この男性を降ろしました。

タクシー会社の悩み

このニュースに肝を冷やした人がいました。
東京 文京区にあるタクシー会社、日の丸交通の富田和孝社長です。
「とうとうトラブルが起きてしまった」

タクシーでも、理由なくマスクをしない利用者への対応に苦慮していたからです。

富田さんは1週間ほど前に自分たちがとった行動は間違っていなかったと確信を深めたといいます。

富田さんがとった行動

その行動とは、仲間の事業者とともにタクシードライバーが、マスクを着用していない利用者を断ることができる新たなルールを認めてほしいと、国土交通省に申請したことでした。
タクシーは公共交通機関として法律で基本的に乗車拒否を認められていません。

業界では、あくまで利用者へのお願いとして対処すべきでやりすぎではないか、利用者のタクシー離れが進むのではないか、などと慎重な態度を示す人もいました。

しかしやむにやまれぬ事情があったのです。

業界のガイドラインとドライバーの不安

時は緊急事態宣言が解除された翌月の6月に遡ります。

タクシーの業界団体は「新型コロナウイルス感染予防対策ガイドライン」をまとめ、この中で、利用者に対しては、
▽可能な限り後部座席に乗車するよう理解と協力を求める、
▽マスク着用について理解と協力を求める、と記されました。
富田さんの会社でも、ガイドラインに基づいて接客をするようにドライバーに徹底しました。

客足が少しずつ戻り始めた夏、ドライバーから不安の訴えが相次ぎました。稼ぎ時の深夜、お酒に酔ってマスクをつけない人への対応に苦慮しているというのです。

もちろん後部座席と運転席の間には、飛沫防止の間仕切りを設置しています。しかしグループで利用する場合は助手席にも乗ります。

特に酔っ払って仲間どうし大きな声で会話をするグループの場合、ガイドラインの「マスク着用について理解と協力を求める」のは難しいといいます。

ドライバーたちは富田さんに「感染して家族にうつしたり、自分が働けなくなるのではないかと心配だ」「着用をお願いしたいがトラブルになるのが怖い」と訴えたということです。

確かに酔っ払って気分が高揚している利用者に協力を呼びかけるとどうなるかわからないという怖さや、ためらう気持ちは理解できます。

”理解と協力”では限界

ドライバーたちは、乗客にもマスクの着用を義務づけてほしいと強く会社に訴えるようになりました。

このままでは、自分たちが感染リスクを背負うだけでなく、次の乗客にも感染リスクを広げてしまうことにつながりかねないというのです。
富田さんは、自社以外の複数の会社のタクシーに乗ってヒアリングをし、同じようにトラブルをおそれてマスク着用に協力をと言い出せない実態があることを確認しました。

なんとかしなければならないと感じた富田さん。しかし、マスクの着用を義務化するのは、簡単なことではありません。

ほかの事業者とも相談しましたが、よい案は浮かばず、事業者の集まる会議で、利用者のマスク着用の義務化を訴えても理解が得られませんでした。

国に対し、公共交通機関でマスクの着用を義務化してもらえないか掛け合っても、前向きな返事は得られませんでした。

アドバイス

富田さんが八方塞がりと思っていた矢先、ある人からのアドバイスが大きな転機となりました。

業界に訴えても難しければ、自分たちで決められる自社のルールを変えればいいのではないかというものでした。

富田さんにとって、目からうろこのアイデアでした。

タクシー事業者は、事業者ごとに運送約款と呼ばれる利用の際のルールを定め、国の認可を受けています。
認可が得られるかはわかりませんが、これなら自分たちで動けます。

通常、タクシーの事業者が一度定めたルールを変更することはめったにありませんが、やってみることにしました。

ルール変更とは

そのルールは、乗客が理由なくマスクの着用をしない場合利用を断ることができるというものです。

呼吸器系の病気や障害を抱えている人の中には、マスクを着用できない人がいるということを確認し、その点にも配慮して国に認可を申請しました。

公共交通機関として乗車拒否をできるようにするというだけのルールでは、国の認可を得られない可能性があるからです。

国のお墨付きを得て

国の審査は、通常の倍の2か月あまりかけて行われましたが、無事認可されました。
国土交通省に取材すると、一方的な乗車拒否でなく、マスクの着用ができない正当な理由がある人については乗車を断る対象外にすると明記していたことや、ドライバーだけでなく、次の乗客の感染防止になることを評価したということでした。

各事業者ごとのルールであるため、すべてのタクシー事業者に適用されるものではありません。

それでも富田さんは、マスク着用を求めることに、国の認可、つまり国のお墨付きを得たことで、これまで以上にドライバーが毅然とした態度で臨むことができるようになったといいます。

全国に広がる

富田さんが仲間の事業者とともにとった行動は、この1か月余りで急速に全国に広がっています。

大阪や名古屋、札幌など全国のタクシー事業者が次々と変更を申請し、国土交通省によれば、今月11日現在、全国の211のタクシー事業者と3799の個人タクシーの申請が認可されています。
認可の際に国土交通省は、事業者に対し、まず着用していない理由を丁寧に聞き取ることや、マスクを忘れた乗客には車内で提供するなどの対応をとり、乗客ができるだけ不利益を被らないよう求めています。

富田さんの会社では今

タクシー会社のルール変更と国土交通省が認可の際に求めていることは、マスクの強制ではなく、あくまで感染のリスクを下げるための取り組みです。

今富田さんの会社では、ドライバーに対し、ルールはマスクの着用をお願いする後ろ盾であるという位置づけは忘れないでほしいと指導しています。

そこにはあくまでもモラルに委ねたいという願いがあります。

強制とモラルのはざまで

全国的に感染拡大が続く中、東京では電車に乗ると、朝はマスクをしていない人を見かけることはほとんどありません。

しかし夜は、マスクをしていない人を見かけることがあります。

陽気に話し込んでいる人、つり革を持って揺れている顔の赤い人がいて、その姿に気が気でない人もいると思います。

乗り物とマスクの取材から見えてきたもの、それは私たちの社会が今後より強制力を強めてコロナ禍を乗り切っていくのか、それとも他者を思いやる想像力、モラルで乗り切っていくのか、ということでした。

新型コロナウイルスへの対応で日々さまざまなことが起きていますが、それを通して何がみえるのか、しっかりと取材し考えていきたいと思います。
社会部 国土交通省担当
山田沙耶花