落語家 林家こん平さん死去 77歳 大きな声と明るい人柄で人気

大きな声と明るいキャラクターで人気を集めた落語家の林家こん平さんが、今月17日、誤えん性肺炎のため亡くなりました。77歳でした。

林家こん平さんは新潟県生まれで、中学校を卒業したあと、昭和の爆笑王と呼ばれた林家三平さんに入門して落語家になりました。

昭和47年に真打ちに昇進し「幇間腹」や「品川心中」などの古典落語のほか、師匠の三平さん譲りの漫談を得意としました。

また、民放の演芸番組「笑点」では、持ち前の大声でふるさとの民謡「佐渡おけさ」を歌うギャグや明るいキャラクターで人気を集め、およそ40年にわたってレギュラーを務めました。

昭和55年に三平さんが亡くなってからは、林家一門のまとめ役として林家正蔵さんや、たい平さんなど弟子たちの指導に当たりました。

また、卓球好きでも知られ三遊亭小遊三さんとダブルスを組んで大会に出場するなど、日本卓球協会から4段に認定されるほどの腕前でした。

こん平さんは平成17年に「多発性硬化症」という神経の難病を発症していることが分かり、リハビリを続けながら全国各地で闘病体験をもとにした講演活動を行うとともに、落語を通して子どもたちに命の大切さを伝える活動に取り組んでいました。

こん平さんの家族によりますと、こん平さんは今月17日、誤えん性肺炎のため都内の自宅で亡くなったということです。

三遊亭小遊三さん「バイタリティ溢れた方だった」

長年、演芸番組「笑点」で共演し卓球仲間でもあった落語家の三遊亭小遊三さんは「『らくご卓球クラブ』を立ち上げるのに『手伝え』と言われ、こん平師匠が監督、私がヘッドコーチとして一緒に活動しました。方々へ引っ張ってもらい、世界ベテラン卓球選手権大会ではダブルスで一勝しました。人並み外れたスタミナにはいつも驚かされ、バイタリティに溢れた方でした。番組でも卓球でもいつも飲み過ぎで私は二日酔いで死ぬ思いでした」とコメントを寄せ、一緒に過ごした日々を振り返りました。

林家たい平さん「師匠の弟子になって本当によかった」

こん平さんの弟子の林家たい平さんは、NHKの電話取材に応じ「師匠とは親よりも長く一緒の時間を過ごし、今の自分があるのは師匠のおかげだと思っています。師匠はいつも、『笑点』に出演している時のままで、外を歩いていても、大人にも子どもにも、『こんちゃーん』と呼ばれるのがとても似合う人でした。そして、それをとても喜んでいました」と振り返りました。

そして「落語に関しては、『焦らず、自分が咲くのを待ちなさい』と言っていました。また『落語は師匠が教えるものではなく、自由にのびのびやりなさい』とも言っていました。師匠の弟子になって、本当によかったです。師匠がどこかで見守っていると思って、多くの人を笑顔にするためにこれからも頑張ります」と話していました。

「笑点」で共演 三遊亭円楽さん「大声のチャランを聞きたい」

長年、演芸番組「笑点」で共演した落語家の三遊亭円楽さんは「長い闘病生活お疲れさまでした。元気で呑兵衛で暴れまくってた思い出ばかりがよぎってます。私を守りいろいろ教えてくれたおじさんみたいな存在でした。先代の小言の時も耳元で、楽ちゃん我慢!とささやいてくれました。今の、私があるのは周りの先輩方のおかげです。また一人その大恩人の先輩が旅立ちました。私はもう少しこちらで落語の世界に恩返ししてから向かいます。またその時は皆で大喜利やりましょう。で、打ち上げで、酔っ払いの、こん平さんの大声のチャランを聞きたいです」とコメントしています。

初代 林家三平さんの妻「門下生として立派に尽力 誇りに思う」

落語家の林家こん平さんが亡くなったことについて、こん平さんの師匠だった初代・林家三平さんの妻でエッセイストの海老名香葉子さんは「修行中は一直線の真っ直ぐな子で、前座時代、師匠方によく気のつく先きが楽しみと言われた子でした。いよいよ芸風も笑点のお蔭でチャランを全国の皆様に知って頂けるようになりました。林家を守り貫けたのもこん平の力大(ちからだい)です。62年間の林家の門下生として立派に尽くしてくれたことを誇りに思います」とコメントを寄せました。

出身地 新潟 長岡で惜しむ声

新潟県長岡市出身の落語家、林家こん平さんが亡くなったことについて、JR長岡駅前では明るい人柄を惜しむ声が聞かれました。

60代の女性は「すごく寂しいし、今は日本が新型コロナウイルスで沈んでいる時期なので追い打ちをかけられたような気分です」と話していました。

また、70代の男性は「驚きました。テレビでの元気なキャラクターが印象に残っています」と話し、80代の男性は「病気になってからも一生懸命がんばっているのをテレビで見ていたので残念です。『こん平でーす』というあいさつが印象に残っています」と話していました。